最終章ー10 桃瀬のズレた準備

 翌日の精霊部門。事務室には悠希を加えたメンツが揃っていた。

「はい、兄さん。急だから最高級品質は無理だったけど、これも品質は保証するわ」

 悠希はカバンから、野球ボールほどの大きさの水晶を取り出して榊へ渡した。


「デートではなかったのですね、主任。ところで、ビッグ・ウォーター・マンってどんな精霊ですか?」

 なんだかいろいろ聞きたそうに柏木が聞いてくる。

「ああ、北アメリカの精霊だ。病気を防ぐ守護精霊でもあるが、川を支配し洪水を呼ぶと言われ、時には地滑りを起こすと言われている」

「洪水?」

「榊主任、まさか……!」

 桃瀬は気づいたらしく、青ざめていく。

「ああ、もし召喚されたら大洪水は免れない。それに彩湖公園近くの荒川や支流の鴨川に洪水が起きるということは、当然下流である都内の荒川流域にも浸水が起きる」

「そんなことになったら首都がマヒします!」

 桃瀬が青ざめたまま叫ぶ。

「それ、県や都に非公式でも警告出した方がいいです! 俺、とりあえず総務と所長へメールの報告をしてきます!」

 柏木は慌てて事務室を飛び出していった。

「あいつもとんでもないものを引き連れてくるな」

「兄さん、本当に私が同行しなくていいの? さすがに相手が……」

「いや、いい。俺とあいつの因縁だからな。あいつはお前にはそこまで敵がい心を燃やされていない。それにお前までいなくなったら榊家が混乱する」

「桃瀬さんは連れていくのに?」

「彼女は兄の仇を取りたいと言うのさ、それを言われると反対できなかった」

「兄さんは好きな人に甘いけど、危険から遠ざけるのが筋じゃない?」


「悠希さん、それはいいのです。どうしても死んだ兄のためにも見届けたいのです」

「頑固なところは兄さんそっくりね。だからお似合いなのかしら。……仕方ないですわ。桃瀬さんには榊家の女性用のお守りを貸します」

 そう言うと悠希は左腕に付けていたブレスレットを外して桃瀬に手渡した。

「このブレスレットは榊神社の御神木の一部を使っているの。榊の家に嫁いできた女性は力が無いから、霊障を受けないようにこれを作って身に守るようにするのが慣わしですの。これは祖母の形見で古いけど効果は保証しますわ」

「ありがとうございます。でも嫁いで来た女性に持たせるなら、私には効かないのではないですか?」

「まあ、桃瀬さんはまだ嫁いでませんが、前倒しってことでいいでしょう」

「え、いや、そんな、嫁ぐって、ま、前倒しって」

 悠希はカラカラと笑うが桃瀬は変に赤くなって、うろたえてる。こんな時でも悠希のお調子者ぶりは相変わらずだ。

「大丈夫ですわよ。くれぐれも兄さんを頼みますわ」

「はい、力になれるかわかりませんが」

「それもありますが、ドSになると止まらないですから」

「ああ、そちらの方ですか」

「悠希、こんな時までそんなことを」

 榊はたしなめるが、悠希は目を落として沈んだ声で話始める。

「十条三項指定外来種精霊ならば、打ちのめしても抹殺が認められてますけど、今回は抹殺は……さすがに躊躇われます」

「悠希さん……」

「雄太兄さんは雄貴兄さんしか見ていなかった。妹の私も目に入っていなかったのです。幼い頃はそれがとても寂しかった。でも、そんな兄でも兄なのです。人では無くなっても、あんなことを引き起こした兄でもです。私が立ち会ったら情が邪魔してしまうかもしれません」

 沈黙が事務室内を駆け巡る。

「それに雄貴兄さんはドSになりすぎて抹殺してしまうかもしれません。何と言っても雄太兄さんは雄貴兄さんを精霊部門ここへ配属されることにした元凶ですから。抹殺なんてなったら雄太兄さんと同じになってしまいます。桃瀬さん、本当に雄貴兄さんを頼みます。ボコり過ぎて殺してしまう前に止めてくださいね」

「あ、はい。確かにボコり過ぎからの抹殺はやらかしそうです」

桃瀬が納得して頷いたのを見て、榊は二人に突っ込みを入れる。

「お前らなあ……俺ってそんなにヤバい奴に見えるのか?」


「ええ、いつも見てるとちょっと……」

「キレた時の雄貴兄さんはヤバいわよ」

 二人がほぼ同時に異口同音で答えたのに榊はショックを受けた。


「俺って……そんなにヤバかったのか」

「と言うか、雄貴兄さんは自覚無かったの?!」

 容赦ない妹の一言でとどめを刺された榊はさらに打ちのめされる。

「うう、そうかそんなにヤバいのか」

「主任、時間はありませんから支度を始めた方がいいですよ。自分もいろいろ準備します」

 桃瀬はショルダーバッグを出して何やら入れ出した。


「って、桃瀬さんは力が無い一般人だから準備なんて必要なの?」

「うーん、念のため盾と武器になりそうな環境小六法とか詰めておこうかと」

 桃瀬はショルダーに詰めかけた小六法を掲げる。A5サイズで辞書並みの分厚さだ。見た感じはかなり重そうである。

「小六法が武器? 確かに分厚いですけど」

「日頃から思っていたのですよ。この分厚さならナイフは受け止められるだろうし、銃弾も止められる、角で殴れば頭蓋骨陥没はいけそうだし。問題は胸や腹に仕込むには大きすぎるのですよね。やはりお腹に雑誌を仕込むのが防弾にはいいのでしょうけど」

「桃瀬さん、何と戦うつもりなのですか」

悠希は呆れたように止めようとするが、榊が首を振って制した。

「悠希、桃瀬君の好きにさせてやれ」

「あとは天狗は鯖が苦手と言いますが、鯖の缶詰ですかね。でも、汁が飛びそうだし。ちょっと干物か鯖ジャーキーでも見繕いにスーパー行ってきます」

そう言って桃瀬はベンチコートを羽織り、廊下へ飛び出していった。

「兄さん、本当に連れていくの?」

「……ちょっと、不安になってきた」

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