最終章-8教授の嘆き

「あれ? 今日は桃瀬ちゃんは休暇ですか?」

 翌日の精霊部門。出勤してきた柏木がホワイトボードを見ながら榊に尋ねた。

「ああ、昨日、急遽届を出してきたから予定休だ。本来は届は前日の午前中までなのだが、緊急の用とかでな」

「きっとデートの準備ですよ。昨日はうまく行きました?」

 柏木はニヤニヤと聞いてくる。

「ああ、まあ、準備のため、うん、間違っていないな」

「やりましたね」

 柏木はVサインしてくるが、榊は昨晩の会話を思い出していた。


「主任、対決と言っても勝算はあるのですか? 相手は強大な力を持った天狗ですよ」

 帰り支度をしながら、桃瀬は榊に尋ねる。

「正直、わからない。俺の力も榊家の中でも強いと言われているけどな」

「その古文書を研究していた東経大の教授の元へ明日行ってきます。何か手がかりがあるのかもしれません」

「しかし、抹殺の決裁が下りないから公用では行けないぞ」

「有休を取って個人的に会いに行きます。アポ無しで会えるかどうかわかりませんが、その時は大学の図書資料でも探してきます」

「それは構わないが、新しい情報は無いと思うぞ」


「まあ、手がかりは期待してないけどな」

 榊は独り言をボソッとつぶやいた。

「デートに手がかりって何すか?」

 柏木は不思議そうに聞いてくるが、榊はそれを流した。

「いや、こっちの話だ。さ、今日は西区に出たゴブリンの調査に行くぞ」



「うわあ、すごい本の山ですね」

 桃瀬は東経大の山中教授の執務室にいた。榊一族以外で一連の事情を知る唯一の人物だ。アポ無しではあったが、榊家の代理と告げたらすぐに通してもらえた。

「ああ、どうしても本は増えていく。こんなにITが進んでも専門書は電子化がなかなか進まないからね。まあ、目が疲れるから紙の方がいいのだがね」

 山中教授は桃瀬にコーヒーを入れながら答える。定年間近と聞いていたが、髪は染めているのか若々しく見える。桃瀬よりやや背が高いから一七〇センチ前後といったところだろうか。

「突然の訪問で申し訳ありません」

 桃瀬が頭を下げると教授は慌てて手で制した。

「いえ、そんな頭なんて下げないでください。自分のうかつさが原因で榊さんたちにも、あの時の被災者たちにも私は取り返しのつかないことをしてしまった。それに、君は環境省の人だね?妻が君たちに迷惑をかけてしまった」

「え? 妻?」

「ああ、吸血鬼の騒動では済まなかった。ミサヲ叔母さんから話は聞いたよ」

「あ、山中芙美子さんの旦那様でしたか」

 そういえば、あの人も苗字が山中だったと思いだした。

「榊家への贖罪として天狗の研究ばかりしていたから、家庭が疎かになってしまっていた、妻にも本当に済まないことをした」

「あの、芙美子さんは、あれからは……」

「ああ、罰金刑となったから収監はされずに、自宅で再びミサヲ叔母さんと暮らしている。さすがにそんな事態になってしまっては、黙ってはいられない。私が研究ばかりになった理由をきちんと話したら納得して落ち着いたようだ」

「そうですか、落ち着いたのですね」

 桃瀬はほっとした。

「ああ、だが震災の原因を引き出したことまでは妻には黙っている。さすがにあれは妻も耐えられないだろうからな」

「確かに自分が渡した本で震災が起きたなんて知ったら、自責の念に駆られそうです」

「それで、今日はその古文書に関する件なのかね」

 自ら入れたコーヒーを飲みながら、教授は単刀直入に聞いてきた。

「はい、研究していたと聞きましたから何か手がかりは無いかと思いまして」

「ああ、あれから異界と天狗の研究をしているが、目新しい発見は無い。最初は雄太君を天狗から人間に戻せないかと、いろいろと探したのだが、そういった記録は皆無だった」

「そうですか、人間には戻せないのですか」

 桃瀬は目を伏せる。やはりというか、人間に戻せる方法が無いとなると対決は榊に不利なものとなる。

「高僧が天狗を諭した話や成敗した話は多々あるが、詳しい方法までは記されていない。鯖が苦手とか、目を見据えて話すと成敗できたとか、小さなことは載っているのだがな。話を書いた人間もそこまでは記録することを考えていなかったのだろう」

「鯖、ですか」

「ああ、天狗は鯖が苦手とされているから『鯖食った』と唱えると天狗除けになると信じられている地方もある。だが、それでは雄太君の問題の解決にはならないだろう」

 つまり、ここに来ても無駄足だったということか。桃瀬はがっかりとした。

「だから、対策をするのならば何かに封印ということになるのだろうな」

 教授は桃瀬を見据えて言った。

「封印?」

「ああ、日本各地には妖怪を封印した話は沢山ある。福島の猪苗代町には足長手長という妖怪を壺に封印した話、島根県は月照寺の人食い亀を封印した石の話、那須の殺生石も九尾の狐を封印したものという説もある。人は手に負えないものは成敗という手段が取れない時は封印を使用してきた」

「はあ……」

「榊家の人ならば、その気になれば封印することはできるのだろうが、やはり元は身内だからためらっているのではないかね」

「……」

「封印するものは壺、石など無機質な物が多い。生きた物だと本体を殺してしまうこと、生き物が死んだときに封印が解けるからね。彼を封印とするならば大きな岩か、水晶などだろう。榊家の人もそういう結論に至っているだろう」

「無機質な物ならなんでもいいのですか? 壺だと割れたら出てきそうですが」

「壺なら地中深く埋めるなど対策がいるだろうね。やはり先ほども言ったが無機質な物、例えば石のように変質しにくく、かつ硬度があるものが望ましいだろう」


 コーヒーカップを置きながら教授は切なそうに続ける。

「雄太君は本当に優秀だった。もし、榊家の跡取りになれなかったら私の元で助手をしてもらおうと思っていた。彼ならば素晴らしい学者になれただろう。しかし、彼は他の道と言うものが見えていなかった。本当に残念だ。正直、まだ彼を人間に戻せないか研究をしているが、あんなことを引き起こした以上はもはや無理だろう」

 教授は深くうなだれた。


「封印しかない、か」

 桃瀬は榊にいい報告ができそうにないことにがっかりしながら、大学を後にした。

 主任のお兄さんはとても悲しい人だ。父親に愛されていなくても、気にかけてくれる人は弟や恩師など周りにいたはずなのに。彼はあまりにも視野が狭すぎた。

 しかし、それが沢山の命を犠牲にしていいはずがない。

「何か主任の助けになれないのかしら」

 答えがすぐには出ない自問自答をしながら、桃瀬は電車に乗るのであった。







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