最終章ー3 榊家の禁忌

「お兄さん、真面目な人ですね。主任と似ているのかな」

 桃瀬が自分で入れたお茶を飲みながら、率直な感想を口にする。

「似ている……のか?

 俺はとにかくやる気がなくて、修行も適当にしていた。俺は家を出るつもりだったし、跡継ぎなら妹でもいいし、養子でも良かったのではないかと思ってた。さっきも言ったが、過去に実子が沢山いながら養子をとったケースもあったからな。だが、兄は違った。ずっと長男の自分が榊家を継ぐと頑なに信じていた」

 榊は湯飲みに手を添えたまま、目を落とした。



「今日は榊の家に伝わる書物についてだ」

 今日の修行はいつもとちょっと違っていた。

 父の傍らには陰陽道や仏法、神道を記した本、怪異を集めた書物、そして榊家に起こった出来事を記した書物が沢山置かれていた。

「原本は傷みやすいし、お前たちには読みにくいだろうから易しくしたものを渡す」

 そう言って父から何やらプリントの束を三人に渡した。中学三年だから一応古文は習っているが、 その授業の延長のようでうんざりだ。悠希なんてまだ小学生なのにわかるのだろうか。

(受験勉強を早くしたいし、めんどくさいからさっさと読もう)

 雄貴はかったるそうに読み始めた。

「お父さん、この『榊家異聞録』にある異界へ行った話ってなんですか?」

 雄太がもう早く読みきったのか、先にめくったのか質問を口にする。

「ああ、それはまだ先にしようと思ってたが教えておくか。こういう仕事だから妖怪に狙われることも沢山あったし、この世ではない所へ迷いこんだ話もある」

「この世ではない所?」

「ああ、江戸時代の話だがな。ご先祖様の一人である『虎太郎』が山へ薬草を採りに行ったきり、日が暮れても帰ってこないと騒ぎになった。人々は方々を探したが見つからなかったため、人々は神隠しに遭ったと噂をしあった」

 父は淡々と話し始めた。今日の修行はまるで民話を聞くような感じだ。楽かもしれないな、と雄貴は思った。

「それから半月ほど経ったある日、虎太郎が何事もなかったかのようにふらりと帰ってきた」

「その虎太郎はどこへ行ってたのですか?」

「うむ、虎太郎が言うには天狗の山へ連れ去られたと。そこで天狗と共に暮らし、雑用をしていたと言うのだ」

 天狗?

「天狗ってあの鼻が高くて赤い顔の?カラス天狗だっけ?」

 悠希が不思議そうに尋ねる。

「ああ、元々姿ははっきりしていなかったが、江戸時代の頃にそのように定まった。それに天狗は善い天狗とされたのは江戸時代の頃からだ。それまでは人を惑わす悪い鬼のような存在だった」

「え?じゃあ、天狗の不思議な道具、うちわとか隠れ蓑とかも違うのかな」

「雄貴、その話はまた後だ。天狗の山に連れ去られていた虎太郎は不思議な力を得ていた」

「不思議な力? どんな力?」

 今度は雄太が食いついた。

「今日は皆、熱心に食いつくな。いつもこうならいいのだが。まあ、いい。虎太郎は未来を予知したり、空を飛ぶ力を身に着けて崖の上の薬草を軽々と摘んで見せたらしい」

「へえ、すごい! じゃ、修行しなくても天狗の元へ行けばいいのじゃない?」

 ちゃっかり屋の悠希が言うあたり、彼女らしい。確かにそれができればこんなめんどうな修行の日々からは解放される。

「そんないい話じゃないんだ」

 父は少し声のトーンが落ちた。

「虎太郎は少しずつ眼光が鋭くなり、肌は赤くなり、鼻が伸びて人間離れした格好となっていった。そしてついに人ではなくなってしまった。つまりは天狗そのものになってしまっていたのだ。この姿では人の世界で生きていけないと悟った虎太郎は、自ら天狗の山へ旅立ち、二度と榊の家に戻ってこなかったという」

「人では無くなった?」

 雄貴はすっとんきょうな声をあげた。

「ああ、どんどん人間離れしていったとある。姿形もそうだが、何よりもいつまでも年を取らなくなっていたことだ。別の民話だが、天狗にさらわれた子供を取り返したが元の子ではなく、魂が抜けてしまったように腑抜けていた話もある。異界へ行くと言うことは何かと引き換えなのだ」

「やだ、怖い。さらわれないようにしなきゃ」

 悠希が大袈裟に身震いする。あんなこと言ってるが、きっと悠希のことだ。さらわれそうになったら習い始めた合気道で倒そうとするに違いない。

「まあ、天狗は山に現れるというから都会には来ないだろう、大丈夫だ」

 父親が悠希をなだめるように言う。いつの世でも父親は娘に甘い。

「ちなみに天狗の世界へ行く方法が古文書に残っている」

「行く方法って、なんでそんなものがあるのさ」

 思わず雄貴が声を上げる。人間でなくなる恐ろしい所に行ける方法を書くなんてどういう神経しているのだろう。

「虎太郎が家を去るときに、永遠の別れだと嘆いた母親のために『会いたくなったらこれを使って来てください』と書物を置いていったのだ」

「「「書物?」」」

 三人が同時に声を上げる。

「ああ、『天狗の山』は普通の人間は行けないが、行くための道順というか、方法がその古文書『天狗見聞集』に記されている。結局、虎太郎の二の舞を恐れた一族によって書物は厳重に管理され、母親はそれを使うことは無かった」

「それって今もあるのですか? 父さん」

 雄太が興味深げに尋ねる。

「ああ、現存しているが、それを使うことは禁忌とされている。人智を越えたものだからな」

「僕、それを読んでみたいです!」

 雄太は異様な食い付きを見せる。読んでみたいのか、天狗の山へ行きたいのか。でも、原本なんて文字がぐにゃぐにゃして読めなさそうだし、天狗の山なんて言ったらゲームもできないだろうし、うめえ棒も食べられないだろうから自分は嫌だと雄貴は思う。

「ああ、だが今は家に無いぞ」

「何故ですか」

「東経大学の山中教授の元へ古文書の研究に使いたいということで、貸し出している」

「そんな危険なものを外部に出して大丈夫なの?」

 雄貴が素朴な疑問を口にすると、父は自信ありげに答えた。

「ああ、あれは一般人が読んだとしても天狗の山へは行けないだろう。細かくは省くが榊家の霊力がないと行けない。それに研究が進めば榊家のためにもなるだろう。そういう訳で特別に貸し出している。当面帰ってこないから読めないぞ」

「そうですか」

 残念そうにしている雄太を見ながら、雄貴はなんとなく嫌な感じを覚えた。

「まあ、そんなに嘆くな。そもそも本があっても正式な跡取りにならないと読めない。先程も言ったが一般人にはただの本でも、榊家の霊力がある者、しかも未熟な者が手に取ると危険だからな。さ、他の話を進めるぞ」

 父はこの話を打ち切って、講義を続けるのであった。

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