番外編 榊の休日・急
「さ、お財布のメンズコーナーはここですね。デパートもいいけど、ここも品揃えいいですよ」
東口そばにある東京ハンディへ行き、革製品コーナーへ移動した。確かに都内の店よりは規模がやや小さいが、ラインナップが充実している。
「まあ、色はメンズですし、汚れが目立たない黒ですかね」
桃瀬が候補の財布を手に取り、榊へレクチャーするようにアドバイスする。
「た、高くない?」
榊は値札を見て、ひきつりながらも精一杯の抵抗をする。
「何を言ってるのですか。三十代ならこのくらいの良いお財布は当たり前です。初期投資はかかりますが、革製品は使い込むほどにいい感じになりますから、長く使えますよ」
「そ、そうか」
拒否しようと思えばできるはずなのだが、今朝からの気迫に押され気味の榊はそのまま勧められた財布を手にする。
つるっとした表面は丁寧になめされたものとわかるいい作りだ。
「持っているだけで様になっていますよ」
ニコッと桃瀬が笑う。まるで商品を勧める店員のようだが、彼女に言われると悪い気がしない。
「そっか、じゃ、買うかな」
そうやってコートバンの財布を購入した。よくわからないが、桃瀬いわく「馬の尻部分の革」を使った財布で高級らしい。尻が高級とは榊には理解できない世界だ。
「さすがに今日は金、使い過ぎたな……」
「確かにお財布は高いですからね。じゃ、お買い物はここまでにしますか。時間もあるし、どこか観光しますか」
「観光?」
「ええ。氷川神社はメジャーですけど、精霊調査でたくさん行ってますし。それとも何か観ますか」
「観る?」
「お笑いライブもありますし、ちょうど今日はサッカーもありますよ。詳しくは知らないけど、大宮アルディナがそろそろJ1昇格がかかっているとかで。ほら、オレンジの人がちらほらと」
桃瀬が言う通り、確かに周囲を見回すとオレンジ色のユニフォームを着た人が歩いている。
「検索したら当日券があるようです。キックオフは四時ですし、行ってみましょうか」
そういうと桃瀬はすたすたと歩いていってしまった。
「え、おい! 待て! って、なんだか俺、振り回されてる?」
「仕事以外で、この並木道歩くのは初めてですね」
「ああ、そうだな。ところで神社への道と同じようだが、大丈夫なのか?」
「ええ、スタジアムは神社の隣ですから。やはり昇格かかっているからですかね。いつもよりサポーターが多いです。まあ、このオレンジの人達についていけば間違いないですよ」
神社へは大きな杉の並木道を歩いていく。千年の歴史があるこの道にもシルフが飛んでいるのが目立つ。
「休みとはいえ、気になるな。あそこの杉にはドリアードがいるし」
「ほら、休日までそんなこと気にしない! ……きゃっ、すみません」
桃瀬はぶつかってしまったサポーターに謝った。スタジアムが近くなったためか、サポーターが増えてきて混雑し始めている。
「ほら、危ないから」
そう言うと榊は桃瀬の手を取った。
「え?」
「人が増えてきたからな。はぐれては大変だろ?」
それって、これは手を繋いでるってことだ。あちらは意識しているのだろうか、なんだかどきどきする。
「は、はい」
少し赤くなった顔を見られないように顔を反らす。気づかれてませんように。
手を取ってから榊は気づいた。
妹を引っ張る感覚で手を取ってしまったが、相手は妹ではない。かといって、今さら手を離すのも不自然だ。まずい、セクハラとか言われないだろうか。
「し、しかし、すごいな。と、当日券が売り切れてなければいいけどな」
「そ、そうですね」
お互いになんだかぎこちないまま、大宮アルディナのホームスタジアム「MACK5スタジアム」に到着した。
チケット売り場に尋ねると、やはり昇格がかかっているためか、ほとんどの席が売れてしまい、ペアシートかファミリーシートならば売っているとのことであった。
(ペアシート、カップルみたいだな)
(ペアシート。えっと、カップル?)
なんだろう、この微妙な空気。二人は顔を見合せた。
(付き合ってはいないよな)
(付き合ってはいませんよね)
言葉にしなくても同じ事を考えてるのはわかる。榊は意を決したようにチケットの売り子に声をかけた。
「じゃ、じゃあ、付き合ってはいないがペアシートをください」
「わざわざ口にする!?」
ぎこちないまま、二人はゲートに入り、手荷物検査を受ける。
「ビン、缶、ペットボトル、精霊の持ち込みは禁止でーす」
「前の三つはわかるが、精霊の持ち込みってなんだ?」
「以前、試合妨害目的でピクシーを大量に持ち込んだバカがいたらしいです。その試合はピクシーがキーパーを目隠ししたり、ボールの軌道を反らしたり、ボールボーイのボールを奪ってフィールドに沢山投げ込みをしてカオスになったと。結局収拾がつかなくて再試合になったとか」
「たまに掴める奴がいるからなあ」
「だから、
「ああ、確かに」
精霊絡みの話をしたためかリラックスした二人は席につき、観戦をした。
試合は激しい攻防戦であったが、2-2の引き分けであった。周りの会話からして次の試合までJ1昇格は持ち越しらしいが、それでも昇格間近のウキウキした空気は感じた。
「すごい試合でしたね。シーソーゲームみたく点の取り合いで」
「ああ、J2でもやはり上位は違うな」
「さて、駅まで歩き……」
そうして並木道を再び歩き出したその時。
「あら?! 兄さんじゃない」
後ろから聞き覚えのある声。……一番ここでは聞きたくなかった声だ。
恐る恐る振り向くと、オレンジのユニフォーム姿の悠希がいた。
「あ、悠希さんこんばんは」
「まあ、兄さんも隅におけないわねぇ」
「い、いや、悠希、これは……。って、お前いつの間にサポーターになってたんだ?!」
ニヤニヤとしている悠希に榊が慌てて取り繕おうとする。
「あれー? 悠希さんのお兄さんですか?」
「ちわーす、初めましてお兄さーん」
悠希と一緒にいたサポーターグループが次々と声をかけてきた。
「この人達は?」
「ええ、一緒に観戦したサポーターグループの皆さん。婚活のつもりで最初はここに来ていたのだけど、思ったより観戦にはまってしまって。まあ、男友達は増えましたけれど」
「悠希さんのお兄さんと彼女さーん!」
「イェーイ!!」
サポーター達はテンション高く榊達に声をかけていく。
「か、彼女?!」
「え?! か、彼女?! わ、私は、その」
二人とも慌ててへどもどしている。
「桃瀬さん、ここは諦めた方がいいですわよ。次節昇格だから皆さんテンション高いのですわ。こんな時、単なる部下と言っても誰も聞いちゃいないわよ。まあ、カップルの方がいろいろ私も都合がいいのだけど」
「悠……!」
「お兄さーんと彼女さーん、これから前祝いなんすけど一緒に飲みませんー?」
「次、昇格なんすよぉ!」
「イェーイ!!」
次から次へとテンション高い観戦仲間が二人に声をかけてくる。
「ほらね」
「主任、諦めましょう」
「……ああ」
そうして、巻き込まれるように飲みに行った店は「酒蔵
浦和が本店のこの居酒屋は、浦和スカーレットの赤が店のカラーだが、この大宮に限ってはオレンジである。
「最初の一杯はアルディナサワーでしょ!」
テンション高めのメンツに囲まれて二人は戸惑っていた。
「あ、アルディナサワー?」
「何ですか? それ?」
「アルディナサワーとはチームカラーのオレンジにちなんだオレンジジュースがベースサワーですの。ちなみに浦和だと赤ジソベースのスカーレットサワーになりますわ」
悠希が淡々と説明する。
「じゃ、じゃあそれで」
「私もそれでお願いします」
「「「それじゃ、一足早くJ1昇格前祝いって、ことで!」」」
「「かんぱ……」」
「「「オイッ、オイッ、オイ、オォォ~……オーイ!!」」」
予想外の掛け声に二人は固まる。
「「⁉」」
「サッカーサポーターは皆、応援の掛け声で乾杯するのですわ」
「そ、そうなのか」
そうして、悠希とサポーター仲間から散々いじられて、解放されたのは夜九時過ぎになっていた。榊の家までは駅からバスのため、バス停で桃瀬が見送る形となった。
「悠希さん、アクティブな方ですね」
「ああ、さすがにサポーターになっているのは俺も知らなかった」
「サポーターの皆さん、私たちをカップルだと思ってたようですね」
「ま、訂正しなくてもいいんじゃないのか?」
「え、それって主任、どういう……」
その時、榊が乗るバスが到着した。
『お待たせしました。このバスは最終……』
「じゃ、お疲れ様」
「あ、お疲れ様でした」
なんだか思わせぶりなことを沢山言われた気がする一日だった。これってデートだったのではないか?桃瀬はふとそう思ったが、初心に戻ることに決め、メッセージツールを立ち上げた。そうだ、これはファッションダメダメ上司矯正計画だったはずだ、そうだ、そうに違いない。なら次の計画も立てなくては。
榊は見送っている桃瀬が遠ざかるのを見ながら、今日買った品物を見定める。確かに自分が今まで選んでいた服よりもセンスがいい。
「ふう。なんだか今日はデートみたいだったな」
いや、待て。これってほとんどデートではないか?買い物して食事して、サッカーまで観て飲みにも行った。
「い。いやまさかな。世話焼きの部下がお節介焼いたのさ」
その時、榊のスマホが振動した。桃瀬からのメッセージだ。
『主任、お疲れ様でした。財布は早速入れ替えてくださいね。それから、次は予算をちゃんと多めに持ってきてくださいね! 靴も揃えないと真のオシャレさんではありませんから!』
つ、次⁉次があるのか⁉彼女は何を考えているのだ⁉
「女って精霊よりも不可解だ……」
榊を乗せたバスは夜の闇の中、疾走していくのであった。
~番外編 了~
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