第3章-9 女子達、伝説にマジ切れ
「ううう、また振り出しに戻りましたぁ。あれ? 主任は?」
夕方の六時過ぎ。事務室に戻ってきた桃瀬はキョロキョロしながら榊を探した。
「ああ、定時であがったよ。ほら、今度の見沼田んぼの外来種精霊一斉捕獲の道具作り」
「道具作り?」
「さすがに見沼田んぼはデカいし、俺達だけでは人手が足りないからさ。市役所の緑地保全課とボランティアが参加するんだ。で、一般人でも捕獲できるように虫取網と軍手を用意して、それに
「それ、パクられたらヤバいんじゃないですか?」
「だから、効果が半日限りの弱い
桃瀬の頭の中には町工場の従業員がせっせと虫取網作りをする様子が浮かんだ。
『父ちゃーん、仕上げはこんなもんかい?』
『ああ、そんなもんだろ。期日までにあと百本だからな』
『母ちゃん、お腹すいたー』
『もう少し待ってな。ああ、この不良品なら持っていっていいから遊んできな』
『わーい!』
(いや、絶対に違う。こんなほのぼの町工場じゃない)
『オンソワカなんとかかんとかっ!』
『バカ野郎! それじゃ強すぎる! 効果は1日でいいんだ!』
『ええ、そんな手加減できないよ』
『バカ野郎っ! それでも榊の
(これも大差ないわね……。って、主任の家族って想像付かないな。独身なのは聞いてるけど、親兄弟いるのかな?でも、家業嫌って役所に入ったってことは、跡を継ぐ兄弟いるのだろうし……)
「桃瀬ちゃん、どしたの?」
柏木の声でハッとまでの我に帰った。どうしてこうも変な想像やら余計なことを考えてしまうのだか。
「い、いえ何でもないです」
「あ、そうそう。庶務の高梨さんから伝言。『本と資料を渡したいから七時までには来て下さい。』って」
「あ、今は六時過ぎだからまだいるわね。じゃ行ってきます」
「やっと来たか、桃っち」
庶務課へ行くと高梨が一人残業していた。わざわざ残ってくれていたのだろうか。
「ごめーん、タカちゃん、調べ物が長引いて」
高梨は机の脇にあった紙と本を桃瀬に渡しながら言った。
「はい、SNSに寄せられた情報。と、言ってもあまり有益な情報ないかも。それと本」
桃瀬はそれらを受け取り、本の表紙を眺めて思わずすっとんきょうな声を出してしまった。
「『見沼の伝説・小学校高学年から』って、子供向けの本じゃない」
「そ、弟は物持ちが良くてさ。でも、やさしく書かれているけど、いろんな伝説が入ってるから分かりやすいよ」
「そう、じゃあ、ありがたく借りるわ」
「ちょっと読んでみたけど、見沼って悲しいお話も多いのね」
「そうなの?」
「岩槻のホタルの話とか、いろいろあるけど、一番印象に残ってるのはミナノエシの花の伝説」
「ミナノエシ?
「うん、見沼に咲いてたという花。で、由来がね。ある姫に小間使いが仕えていたの」
「ふむふむ」
「姫君の恋を取り持とうとした小間使いが、その相手の若君と恋に落ちてしまうのよ」
「えええ。それ、まずいじゃん。禁断の恋ってやつ?」
「それで、若君の子供を身籠ってしまって、ひっそりと女の子を産むのだけど、己の罪深さに悩んだ小間使いは失踪しちゃうの」
高梨は仕事より語りに力が入り始めたようだ。身振り手振りが混ざってきた。
「で、若君は?」
「それが、腹立つの! 結局小間使いがいなくなったからって、姫君とくっつくのよ。」
「えええ、無いわー‼」
「無いでしょ! 二人は姿を見なくなった小間使いを『我らを取り持ってくれた天の使いに違いない』とか言って幸せに暮らしたとさ。それからは見沼に不思議な花が咲くようになったと。どう考えても小間使いが死んでミナノエシになったオチしか読めないし、報われないわ」
「無い無い無い! 若君、クズの中のクズじゃんっ‼」
思わず桃瀬も力が入って、プリントを持つ手に力が入り始めてくしゃくしゃに握り潰した。
「そうよ、小間使いは弄ばれたんじゃんっ! 姫君だってこんな男の正体知ったら振るわよ! 今、男がこの場にいたらドロップキックかますわ!」
高梨が椅子に座ったまま、蹴りを入れる仕草をする。
「自分だったら、裏の倉庫へ呼び出して〆る‼」
桃瀬が腕を伸ばして、ラリアットのポーズを取る。
「悲しいのもあるけど、腹立つわね。っつーか、伝説にマジ切れしたのは初めてかも。その伝説だけでも、女子会できそうね」
「そうね。でもそれだけ、見沼には様々なドラマがあって意味をつけようとしたのでしょうね」
「それもそうね。じゃ、そろそろ引き上げるけど、その前に……」
高梨が桃瀬の言葉を遮るように彼女の手を指して言った。
「そのプリント、出し直してあげるわ」
桃瀬の手の中には興奮して握り潰したプリントの残骸。
「……ありがと、タカちゃん、気が利くわね」
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