第16節 再びネヴィム・スピーネ相談室
「知ってるの?」
「そう」
「どういう関係?」
「プライベートな話は他の情報より高いわよ」
「…はーい」ロゼは低い声で言い、腑に落ちない顔をして背凭れを軋ませる。
ブリュンヒルトは隣の部屋から持ってきた簡易の丸椅子に座って耳に嵌めたイヤホンに手を当てていた。あんたが思っているより私は真剣だぞと内心に毒づく。
ウルズの右のディスプレイの右上には「4‐2」の表示があり、議場の四階の部屋であることを告げていた。タイムテーブルと照らし合わせたところ、使っているのはエルフリンクの社長とロシア海軍の少将。つまり、コーネリウス・ラウェンブルクとアルトゥール・エーリン。カメラは話者が対面しているところを真横から映せる場所に隠して設置してあるようで、航空機の運用関係の話をしているのが良く聞こえていた。先程までは、だ。
おそらく訓練の契約などだろう、三十分ほど話すと互いに一人ずつ連れた護衛を部屋の外に追い出し、それからコーネリウスは当たり前のようにカメラに目隠しを被せた。部屋にあったクッションなんかを重ねたのだ。そのおかげで画面は真っ黒。パソコン側のヴォリュームを最大にしても砂嵐ノイズに混じった微かな声しかイヤホンからは聞こえなくなってしまった。
一方ロゼは左のディスプレイで小さく区切ったライブ映像群を眺めながら暇を持て余していた。緊張感のない彼女が立てる物音に時々辟易としながら、十分、二十分と耳を澄ましていると、突然画面がホワイトアウトした。暗闇の中で光を探し回っていたカメラが急激な光量の変化に耐えかねたからだ。輝度が通常に戻った時、コーネリウスがカメラを覗いていたのでブリュンヒルトは声を出して驚いてしまった。
それに反応したロゼも画面の中から送られてくる異質な視線に口を閉じた。
コーネリウスは人差し指を口に近づけ、指先を咥える仕草を見せた。
首筋が熱くなった。
羞恥心だろうか。
「聞こえていたら、頼みがある」コーネリウスは言った。ドイツ語だった。
間違い無い、彼は私に話しかけているのだ。感動が先行して思わず「なに」と訊き返していた。
平常だったらロゼから辛辣な突っ込みが返ってきたところだろうけれど、彼女も状況の不自然さに呑まれていた。
本来当ホテルの警備室でしか流れないはずの映像の中から、ドイツ語で訴える男。自分はこの男に見られている。そう直感した。
「この建物に出入りを許可されている人間をリストアップしてほしい。参加者だけでなく、スタッフから、食事の出前まで。できれば職種、企業別にしてほしいが、それより早さだ。いいか、パソコンは、ある」
よろしく頼む、と言い終えるとコーネリウスはすぐに背中を向けてしまった。
「ロゼ!」ブリュンヒルトは叫んだ。
「わかってるわよ、なんかよくわかんないけど」ロゼは椅子に座り直してディスプレイをクリアした。コーネリウスの部屋の映像は右に残る。
ブリュンヒルトはロゼの部屋に走って仰向けにひっくり返した旅行鞄から自分のノートパソコンを引っ掴んで立ち上げながら仕事部屋に持って帰った。
パソコンはある、というのは、つまり、データベースをエクセルにして送って来いってことだろう。それなら、ロゼはアドレスを知らない。応接セットのソファに座ってカーソルの砂時計が消えるのを待ち、アウトルックを起動して彼女のウルズにコーネリウスの持つ複数のメールアドレスを送付。相手にとって仕事上秘匿の必要な情報でも、ロゼなら巧くやるだろう。
「送った」
「了解」
あとどれくらいかかりそうかと訊きたいところだったけれど、彼女が一度のめり込んでしまうと現実の方はおおむねシャットアウトされてしまう。訊いても無駄。あとは自分から上がってくるのを待つのみだった。
十分ほどしてロゼが床を蹴って椅子に座ったまま滑った。そしてそのまま窓の下の壁にぶつかった。「終わった」彼女は息をつく。
ブリュンヒルトはその横に走って行って右ディスプレイを凝視した。ロゼの操作で画面を拡大したところ、コーネリウスがちょうど親指を立てるところだった。
安堵の溜息が出た。
「なんか、ディープな関係」ロゼが熟れた葡萄みたいな目を向けていた。
「ゴシップな女は嫌われるわよ」ブリュンヒルトはもう冷静だった。コーネリウスからのメッセージに比べれば、ロゼの冷やかしなんて何ら動揺を誘うものではなかった。
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