第6節 黒海会議・ルーラーに関する報告
黒海沿岸国安全保障会議。黒海の縁を見渡して一番でかい都市がイスタンブール。イスタンブールが面しているのは、正確に言えばマルマラ海だし、ヴァルナ、セヴァストポリ、オデッサ、ネームバリューならソチやヤルタも妥当な選択肢に入るだろうに、なぜトルコか。黒海の玄関だからか。そもそもなんで黒海沿岸という括りで集まらなければならないのかわからない。集まったところで、一見有意義に見える暇つぶしの方法を語らう、どこの高校にでもひとつはある得体の知れない競技名の部活のようなもので、似たネーミングにもかかわらず着々と実務をこなしてきた北大西洋条約機構とは大違いである。
国連総会のそれを真似て作ったような議場には、中央にトルコの議長役が陣取り、周りを各国の外相がスーツ姿で囲む。さらに各々その背後にはアドバイザとして軍の将校が制服で控えるが、主役はむしろこちら。実際、白々しくも文民統制に楯を突くための集まりである。
シードルはロシアに与えられた席の五列目、ノーリッシュ大佐の背後に控えて溜息の音を忍ばせながら会議の様子を傍観していた。隣の席に座るはずだったユーリは昨日の嘔吐で体調を崩して朝から部屋で寝込んでいる。
正直溜息ものだ。パイロットという職種ゆえ会議に出席する将校に同行する義務性は薄いけれども、ただのパイロットではなくて海軍の戦闘機パイロットなのだ。いざ艦に乗っても待ち受けるのは船酔の嵐、嵐。運の良く天賦の三半規管が光る可能性は無きにしも非ずで、彼が勝手に青くなっている分には構わないが、それの世話を焼かされるのだけは御免だった。
「では、議題の第三に移りたいと思います」
各国の配置は議長席周りの空間を黒海に見立ててその配置通りで、ロシアから時計回りに、右側に毛虫の針のような視線を向けてくるグルジア、誇らしげなトルコ、堅めの表情のブルガリアにルーマニア、ほとんど左のロシアと同化しているウクライナと並ぶ。将校は陸海空を基本に、有する組織の分だけ人数が居り、国によって各々が多いところもあって、ロシアの海軍からは三人出している。専有面積で云えば背後に傍聴の士官なり護衛の兵なりをどっさり従えたトルコが断トツで大きく、四十人は下らない。組織の規模ならロシアだって同じくらい居ても良いはずだったけれど、十数人。この会議自体をあまり重要視していない上層部の脳味噌が透けて見えた。
「資料の二十八ページを開いてください。こちらはロシア連邦から提起された議題ですので、始めに提起者からの説明を行います。それでは、ロシア連邦外相」
議長の野暮ったい指名に預かって当方外相のサレンコが立ち上がる。純粋な政治家キャリアらしい短躯である。軍の経歴はないということ。
「はい。では、昨年十二月ごろから活発に我が国への領空侵犯を繰り返している所属不明機についてご説明します。一連のケースは全て同型機による仕業とみられており、我が国の防空軍機によるスクランブル発進及び迎撃に先んじて既に防空識別圏を突破している点が同様に共通しております」
つまり、防空軍のMiG-31やSu-27による迎撃が全く間に合っておらず、役立たず状態である、という旨の発言に会場がどよめいた。その所属不明機の進行速度が凄まじいのだと受け取ったか、ロシアの防空網が穴だらけだと受け取ったか、そのどちらかが理由だろう。
シードルは前者の理由で重たい瞼を少しだけ持ち直した。どういうわけで捉えられないのか、奴のスピードが速いからか、奴の形状がレーダー波を拡散させるからか、あるいは並外れた低空飛行で来るのか、それら詳細をこれからの説明に期待したのだ。
「画面にスチールが出ますでしょうか」
議長席の上には四方に向けられた四枚のばかでかい液晶ディスプレイが天井から吊るされている。先程までは一日きっかりでやっつけデザインしたような黒海会議の紋章が映しているだけだったが、ロシアの国土全体を映す映像に切り替わり、さらに話の所属不明機を映したスチール写真に替わった。見るに、被写体を八時方向からわずかな迎角をもって撮られた写真で、機首には画面外から伸びる給油用のドローグが接続されている。輪郭の粗いスチールを大写しにするのもナンセンスだと感じたけれど、そのシルエットは間違いなく目に焼きついたあの白い鳥だった。
「これが我が国に領空侵犯を繰り返している所属不明機です。同様の被害を受けている他国では、これが広く『ルーラー』と呼称されているという情報を得、当方でも当機に対してルーラーのコードネームを用いております。故に、以下我が国に領空侵犯を繰り返しているこの所属不明機をルーラーと呼ばせていただきます。
単刀直入に言って、ルーラーの目的は航空燃料の奪取、それも、空中を巡回する給油機からの被給油であると考えられます。ルーラーに接触した給油機の乗員に行った事情聴取においても、ほぼ全員が燃料の補給を要求されたと供述しており、さらに、他の物品に関しては全く要求がなかった、という供述も共通して多数あり、航空燃料の奪取こそルーラーの最大にして唯一の目的であるというのが、当方の見解であります」
喋りすぎて口の中の水分が飛んでしまったサレンコは手元のペットボトルの蓋を開けて一口煽るが、スイッチを入れたままのマイクが近すぎて彼の水を啜る音が会場中に響き渡った。間の悪い失笑が軽い地鳴りのように会場から湧き、サレンコは自尊心を囲って咳払いする。
「失礼。では続いて、ルーラーの犯行地点の推移についてご覧ください」
再び画面が切り替わって、先程のロシア全土の地図に戻る。衛星写真のように大地の色に忠実に着色されたもので、図法はありがちなランベルト正積に見える。そこに二色の×マークが打点されていく。極東から発して西に進んでくるのは、ルーラーが辿った道筋を表しているわけだ。
「赤いХマークは我が国、青いХマークは、日本、中国、インド、ウクライナ他、他国の被害地点を示します。見ての通り、オホーツク海から華北を通ってシベリアに抜け、モンゴル、チベットを越えてインド、カザフスタンからカフカスに、その速度からして現在はヨーロッパに入り、あるいは大西洋に抜けているとも考えられます。想定される航路上にある国々には情報の提供を呼び掛けている段階で、いまだ回答は得られませんが、既に被害を受けた国も少なくないものと想定しております。
次に、ルーラーの具体的な犯行手口について説明します。ルーラーは高度一万メートルを超える高空から進行し、地上のレーダーを避けつつ、給油機を捜査し、我が国のスクランブルを察知すると給油機の高度まで降下して加速。スクランブル機より早く給油機に到達して、場合によっては機関砲で威嚇を行った後に給油機の乗員を恐喝し、給油を強制します。この間にスクランブル機が到達してエスコートする位置に着きますが、ここでは給油機を人質に取られているようなものなので手出しはできません。給油終了後にすかさず攻撃を加えるという手も試しましたが、給油装置を離れた直後ではルーラーの照準はそのままですし、それ以上に姿勢を変えるにあたっても大変敏捷性が高く、捉えきれない。また、味方機が射線に入らない位置での機関銃による待ち伏せも試しましたが、ルーラーが自らそこに入るというようなこともありませんでした。
そしてその性能についてですが、当方でもこの由々しき事態に対処するため、北カフカスにおいてはルーラーの進路を予測して待ち伏せ、結果的に逃してはおりますものの、各種計測を行い、パイロットは管制区内から優秀な者を選抜し、ルーラーとの接触を得た者には、機体規模やエンジン出力の推定などを考察させました。
ルーラーは高度な電波ステルス性能を有しており、ほぼ同高度において、Su-27PのN001レーダーで十四キロメートル、MiG-31BのN007レーダーで二十キロメートルの探知距離でした。地上の対空レーダーでは五十キロメートル前後の探知距離が望めますが、ルーラーはこの位置を把握して迂回していると考えるのが妥当です。往路の進行速度は、複数機からの観測によって割り出したところ、交戦圏内に入ったのちの行動を除いて平均値がおよそマッハ1・6でありまして、これがルーラーの発揮できる最大速度であると考えることも可能ではありますが、オグメンタを用いない最も経済的なエンジン出力を以てマッハ1超の巡航を行う、いわゆる超音速巡航をこの速度で行っているとの見解が当方の主流であります。航続距離については、インドのデリー付近から給油機を保有しない国々の上空を通過して北カフカス管制区まで飛来したと考えると、これを無着陸で飛行していた場合、少なく見積もっても三千五百キロメートルは下らないと推測されます。また、給油機への照準を外してから交戦範囲外に逃走するまでに、数で劣勢にありながらいずれのケースでも要撃機の攻撃を回避したことから、加速性及び運動性機敏性は我が国の戦闘機に対して非常に高いものがあると思われ、交戦したパイロットの証言もこれに準じております。
最後になります。一連の犯行におけるルーラーという飛行機の運用について、これが単独個人によるものとは考えがたく、組織的なものであることは確かでありますが、それが誰か、また、どれほどの規模か、については一切断言できません。我が国の地上通信施設や空海軍の早期警戒機及び電子戦機、いわゆるエリント機を用いて無線の傍受を試みましたが、観測できた範囲では、警告以外全く外部との通信を行っていなかったというのがその理由であります。
我が国は、既に大西洋に進出したとみられるルーラーの捕捉と、これ以上の被害拡大防止のため、ただいま地中海から航空艦隊を大西洋に回航しております。ルーラーに有効な対処を行うためには空中と地上階層、両方からの連携的な対処が不可欠であるため、洋上で接触するという考えを導きました。現在は我が国が単独で対処法を模索している状態ですが、ルーラーが国境を無視して跳梁跋扈している以上、これは我が国だけでの問題ではありません。グロナスや偵察衛星のカメラ、レーダー施設による捕捉が難しく、現時でも大西洋に居るという確証はありません。この場に居る皆様のご支援を頂けるよう、ルーラーの実態について、我々が知る限りのところをお話しした次第であります」
演説台本を朗読し終えたサレンコは、どっと肩の力を抜いて一礼し、今度は確かにマイクのスイッチを切ってから着席した。
「えー、では、以上の説明について質問を受け付けます」と議長が吹き込むと真っ先にトルコの外相が手を挙げる。武官は当国外相か議長から指名がある時しか発言を許されないので、武官からの質問は伝言ゲームよろしく前の席へ伝達される。サレンコの演説中やけに内緒話が多かったのはそのせいだ。
「トルコ、どうぞ」
「ルーラーが、給油機の乗員を恐喝して、と説明にありましたが、具体的にどのような手法でしたしょうか」歳は六十前後だろう、細面に似合わぬ巨体を席に詰め込んだトルコ外相が座ったままで訊く。彼が喋ったのは、えーとかあーとか、やたら繋ぎの多いトルコ語だったが、すぐに整った英訳・露訳が例のディスプレイに示された。外相の耳にはそれと別に、ヘッドセットから同時通訳の声が入っているはずである。
サレンコは質問を受けて体を後ろに反らし、空軍の濃紺制服に耳を近づける。その隣に座ったエーリンが何かしら助言を加えているのも窺えた。
「はい、具体的に申しますと、無線を用いてモールス信号を送付してきます。目標の給油機に接近したのち、我に供せよ、抵抗しなければ危害は加えない、という旨であります」
「それ以外には何も?」
「場合によっては同じ文を繰り返しますが、パターンは一種です」
「わかりました」
「他に」トルコの質問が終わったと見て議長が言うが、トルコが再び挙手する。「トルコ」
「例えば、十二月十九日のウラジオストクから、次の大連の一月十五日まで、ほとんど一ヵ月近い期間が空いていますね。この間、どこに潜伏していたのか、目撃情報などは得られていないのでしょうか」
「えー、それはですね、無論、当方の調査では、航路上に当たるとみられる地域の住民には聞き込みなどを行いましたが、いずれも飛行中の証言ばかりです。何しろ、地上に降りて止まっているよりも、轟音を立てながら飛行している方が目立つのは必然かと思われますゆえ」
「当方、というのはロシア国内という意味ですね。ウラジオストクから大連では航路のほとんどが中国国内になりますが、中国から提供された情報はないのですか」
「はい。ヨーロッパ諸国同様、打診は行いましたが、情報提供は行えないとの回答でありました」
背中を眺める向きではわからないが、口調からしてサレンコはどうやら額の血管をいくつかぷちっとやってしまったようだ。かつてのパートナーとの関係の冷え込みをトルコの外相はせせら笑った、少なくともサレンコはそう受け取ったというわけだ。
以後意義ある質問も無く、会議は「ルーラーへの具体的対策と各国の協力」と胡散臭く銘打たれた時間に突入した。それはもう、とても実のあるものではない。いわゆる政治のお話しというやつだろう。それこそ、カルメ焼きにシロップをかけて、上から飾り砂糖をまぶしたアメリカン・スウィーツに劣らないくらい中身が無かった。
「次はイスタンブールだな」ノヴォジェヴィチの墓場でエーリンにそう言われたのが、ロマネスクのニーナに話した通り、二週間くらい前のことだ。今日もまたエーリンは俺を待たせるつもりらしいとシードルは思う。彼が言うに「生憎この後は空いていない。晩餐で話そう」
まったく、付き合いの悪い男である。シードルはウィン・ノーリッシュと顔を見合わせ、とにかくこの鬱屈した空間から抜け出すことで合意していた。
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