第六小節 交差する思惑

「あれ? トレイターさん?」

「おっ、ティア。元気だったか?」


 わしわしと楽しそうにティアの頭を撫でまわすトレイター。

 エルスは目もくれず言い放った。


「一週間ぶりだな、裏切り者」

「出会い頭にその物言いはないっしょ」

「自分が何をしたかわかっててそれを言えるんなら、いい度胸だな」

「つーか、一部は誤解だぞ! 俺はお前らの居場所を帝都に流してねぇっての」

「つまり、その他には散々流したってことか」

「だから毎度毎度揚げ足取んじゃねえよっ」


 叫び、そのまま、ごく自然にルーシーの隣に着席する。


「ったくよー」


 不服げにトレイターが言ったところで料理が届いた。運ばれてきたサーモンと季節の野菜のパスタを素早く受け取り、いきなりかき混ぜ始める。


「あっ、ちょっと!」


 ルーシーの声を無視して、トレイターががつがつと食べ始めた。


「昔っからお前は口を開けば人の揚げ足ばっかりとりやがって。もうちょっと、素直に可愛く大人しく、ぶひっ、って豚の鳴き真似でもしてりゃあ、丸焼きにしてやろっかぐらいの殺意にしてやんのに」


 そこまで言ったときには皿は空になっていた。続いて給仕が一緒に持ってきた小さなオーブン焼きも横取りする。


「おまけに口だけ達者ならまーだ救いようがあったものの、初めて出会ったときなんか、外交都市で劇場の楽屋を文字通り炎上させやがって……大人しそうな顔してやること過激だよなお前!」


 トレイターが占領している器が空っぽにならないうちに、ティアはそうっと最後のマリネは確保した。見れば、エルスの手元には既に別の皿があった。焼きたての半月形のパイ。い、いつの間に。


「人を放火魔みたいに。ちゃんと人死が出ないよう被害が少ないよう加減もすれば治安員会や警邏に先に連絡してやったんだから十分穏当だろうが。第一、あれは、俺は一つも悪くないぞ」

「俺ごとまとめて燃やして、お巡りに突き出そうとしたことに文句言ってんの!」

「お前にされたことを考えたら、妥当な対応だと思うがな」

「酷っ」

「ちっとも酷くない」

「……あなたたち、どうしてそんなに親しげなのかしら」


 そんな二人を眺めていたルーシーが疑わしげに問うてきた。眉間にはくっきりと皺が寄せられている。

 エルスはこれ以上にない仏頂面で返した。


「そんな不名誉なことをお前まで言うのか」

「もしかして、友人とか?」

「そんな汚名は今すぐ返上する」

「不名誉とか汚名とか言うなよぉ。俺たち友達じゃん?」

「今すぐ帰れ」

「うわひっで」


 ルーシーはますます不信の色を濃くすると、険のある声で尋ねてきた。


「友人じゃなくても、あなたたちどう見ても知り合いよね?」

「残念ながら」


 どこまで本気かわからないエルスの嘆息。

 ルーシーはかなり厳しい眼差しになった。


「つまり、トレイター。あなたはあのとき、エルスのことを知っていて私に教えてくれなかったわけ?」

「おい、どういうことだそれは」


 そこでエルスが顔を上げた。

 ルーシーと一緒になって、トレイターに半眼を差し向ける。


「ええー? そーだったっけかぁ?」


 へらっと笑顔ですっとぼけるトレイターに。


 ――エルスとルーシーが座ったまま同時に武器を構えた。


「ちょ――待て待て落ち着けっ。んなムキになるなよお二人さんっ」


 どうどう、と手を出してトレイターが二人をなだめようとするも、二人はまるで聞いた風もない。

 エルスは音もなく後ろ手で短剣を引き抜くと、トレイターを射抜いた。蒼い瞳を鋭く尖らせ。


「お前とはここら辺で一度ケリを付けておかないと、後々俺の人生に響くような気がするんだ」

「馬鹿は死んでも直らないっていうけれど、性根の悪さは死んだら直るのかしら」


 と、こちらはルーシー。手首のすそから小さなナイフがまろび出た。先ほどまでの丸みを帯びた柔らかな声音はどこへ消えたのか、別人と思えるほど低い声。


「うわお……結構マジ?」


 二人が無言で得物を握り直した。

 トレイターが逃げを打ったが最後、一斉に襲い掛かるつもりなのだろう。その気配は十分見て取れた。

 いよいよ本格的になりつつある場の空気に、ティアはごくりと固唾を飲んだ。テーブルの隅でこっそり行方を見守りながら、スープを口へ運ぼうとし。


 と、いきなり、その手首が掴まれた。うっかり木匙を取り落とす。


「へ?」

「ってなわけで、逃っげろーっ!」

「え、えぇぇぇぇぇ!?」


 トレイターが、ぴゅーっと小さな嵐のごとく、ティアの手を取ってさらっていった。


「ちょ――ちょっと! ティアをどこに連れてくつもりよ!」


 ルーシーが一拍遅れて立ち上がる。

 その頃には、トレイターはティアを引っ張って、店の外に出ようとするところだった。

 何の騒ぎだと注目が集まるなか、トレイターは片手を挙げた。


「四時までにはこの店の前に返すんでーっ! んじゃなっ!」

「ま、待ち──」


 伸ばしかけたルーシーの手が見え。

 しかし、自重でしまった木製の扉によってティアの視界から遮られた。







「もう! 一体なんだっていうのよ!」

「いーよ、ルーシー」


 あっさりとエルスは言って、とっくの昔にしまった短剣の代わりに、ティアの食べかけの皿を自分の手元に引き寄せた。ほどよく冷めた玉ねぎスープを自分のスプーンで食べ始める。

 苛立ったらしい。ルーシーが怒鳴ってきた。


「何がいいのよ! いいわけないでしょう! あのまま連れ去られでもしたら、あなただって困るでしょう!」

「それはそうなんだが……。というか、さっきから声がでかい」


 少し開いた口から、はあ、と気のない息を吐く。

 幾人かの給仕や他の客たちから、ちろちろと物言いたげな視線がルーシーたちに注がれている。

 注目の的にされて恥ずかしくなったのか、ルーシーは頬をやや赤らめると大人しく腰を下ろした。


「別に帰ってこなかったら、探しに行けばいいだろ」

「そんな悠長な。どこに行ったのかのかもわからないのに」

「まあ、そこはなんとかなるだろ」


 感知特化のフェイもいることだし。

 口には出さず、エルスは続いてティアが置いていったりんごのコンポートを口にした。はちみつと砂糖と白ワインで煮付けたらしい。甘くない生クリームが欲しくなるな、などと、ぼんやり考えていたら、ルーシーが卓から身を乗り出して言い募ってきた。


「ティアは賞金をかけられてるのを忘れてない? もし、トレイターがあの子を〈盤上の白と黒〉にでも引き渡したりしたら──」

「だったら、お前だけでもティアを追ったらいいだろ。──なあ、〈夢の遺児〉?」

「あなた、どうしてそのことを!」


 口走った瞬間、ルーシーは、しまったと言う風に口をつぐんだ。

 エルスはさして面白くもなく、合点する。


「なるほど。どうやらそっちもずいぶんと隠し持っている情報があるらしい」

「く……っ」


 ルーシーはぐっと強く握りしめている。

 食べ終わったところで、エルスは持っていた食器をことりと卓の上に乗せた。

 たったそれだけの動作に、びくり、とルーシーが反応した。

 不審の色を濃くして、エルスを睨みつけている。


「おあつらえ向きにティアもトレイターもいなくなったところだし、情報交換をしないか? お互い、まだ出していない手札があるだろ?」







 トレイターに手を引かれるまま店を飛び出し、ティアがやってきたのは広場だった。

 子どもたちが遊ぶ広場は、露店のテントやお土産物の屋台と、祭りのためか軒を連ねるにぎやかな市場に一変していた。

 芸術好きらしき客が、店子と言い合う傍を過ぎたところで、トレイターは足を止めるとティアの手を離した。息の上がったティアを放って、頭の後ろで両手を組む。


「あーひっでひっで、何も武器まで持ち出すことねーじゃん。なあ?」

「……えーと」

「おや、味方してくれない?」


 とぼけた風に聞き返してくるトレイター。

 ティアは息を整え、やや迷ってから言った。


「だって、オズウェルさん……えっと、〈盤上の白と黒〉の人は来るし。他にも大勢押し寄せてきましたし、撃たれた車が爆発したり」

「だったみたいだな。ったく、優秀たあ噂に聞いていたが噂以上じゃねぇか、あのルーク女王クィーンは」


 忌々しそうにぼやくトレイターに、ティアが小首をかしげた。


「あれ? 〈盤上の白と黒〉の人に、トレイターさんが教えたんじゃないんですか?」


 少なくともエルスはそう思っているし、ティアもそうだと思っていたのだが、彼の口ぶりから察するに異なるようだ。


「んだよ。お前も信じてくれてねえのかよ」


 拗ねたように口を尖らせ、言いがかりだとでもいうように反論してくる。


「ちっげえよ。ゴロツキみたいなのはそうだが、さすがに〈盤上の白と黒〉に情報を売るようなことはしてねぇよ」

「そうなんです?」

「とりあえずそこんとこだけは、きっちり訂正しとかないとな。でないと、あいつはどういう形で報復してくっかわかんねえし」


 トレイターはぶつくさ言いながら、どうすっかなー、などと呟いている。

 その姿は機嫌を損ねた友人にどう謝るかを思案しているだけのようにも見える。

 だからこそ、ティアにはわからない。


「……トレイターさんはエルスのことが嫌いなんですか?」

「いんやー。好きでっせ?」


 にぱ、と屈託のない笑顔。

 ティアはますます困惑が胸に広がっていくのを感じた。


「なら、どうして……」

「『ならどうして、エルスを怒らせるような真似をするんですか』ってとこか?」


 こくんと、ティアはうなずいた。

「言ったはずだぜ。俺とエルスは同業者だってな。これも、俺にとってはお仕事。ビジネスなんですよ」

「仕事?」

「つまり、俺はあいつが余裕で対処できる奴だけにエルスの居場所に関する情報を教える。そして、教えた奴から報酬をもらう」


 トレイターは人差し指と親指で輪っかを作った。


「俺は情報屋だからな。エルスのことは、割と気に入ってるけど、食い扶持稼がなきゃならねえ。傍目から見ればエルスを売っているようにしか見えないんだろうけれど、これでもきちんと思いやってるつもりだぜ。俺なりの善意ある付き合い方ってやつなんですよ。――フィディール・アファナシエフのお姉さん?」

 事前通告なく飛び出してきた名前にティアが息を飲んだ。

「どうしてそれを知っているのかって? 他にも知ってるぜ? あんたが十年前に発見された双子の片割れ、ブランシュとそっくりだってことも、もう片方のフィディールって奴があんたの弟じゃないってことも。ま、どう見てもあっちの方が年上だしな」

「フィディールが十年前に発見された……?」

「おや、愉快。どうやら本当に何も知らないまま、夢物語を大事に抱えたまま育てられたらしい」


 トレイターが厭味ったらしく口の端を吊り上げる。

 ティアは胸にちくりと嫌な痛みを覚えて口をつぐんだ。

 本当にその通りだと思ったからだ。

 ティアは何も知らない。フィディールのこともイリーナのことも、自分自身のことですら。

 誰も教えてくれないからという理由で勝手に諦め、今までしつこく食い下がりもしなかった。

 ややあって、ティアはうつむきかけていた顔を上げた。


「トレイターさん。教えてください。私は、フィディールは一体何者で、どうして私はあそこに閉じ込められていたんですか?」

「俺だって、詳しいことは知らねえよ」

「じゃあ、知ってることだけでいいですから教えてください」


 そう言ってティアは頭を下げた。

 へえ、とトレイターが興味を惹かれたようにぼやく。ティアの初めて見る態度をしげしげと眺めたあと、こう言ってきた。


「それは、俺から情報を買いたいってことでいいのか?」


 まるで捕食者のように笑うトレイター。

 ティアの胸にひやりとした恐れが走る。

 すっかり忘れていたが、彼は一度自分を売り払おうとしていたのだ。

 こんな風にお願いなんてしたら、何を要求されるか──

 トレイターの顔を見て固まったティアの内心を見抜いたらしい。トレイターが笑みを深めた。


「情報を買うってんなら、もちろん代金は払ってもらうぜ。けど、金持ってないだろお前」


 返せる言葉もなく、ティアは口を閉ざす。


「ま、手っ取り早く、誰かに売られてくれるんなら、俺が持っている情報まるごとやってもいいんだがな」


 言外に、払えないだろう? とせせら笑う気配があった。

 ティアはぐっと拳を握った。怯みそうになるのを耐え、


「私…は、ここで売り払われるわけにはいきません」

「だろ?」


 しかし、ティアはくっと顎を引くと、トレイターの目を見て、もう一度丁寧に頭を下げた。


「だから、どうやったらお金を手に入れられるか、私に教えて下さい」


 声は、我知らず、どこか怯えをはらんでいた。

 ティアはこんな風に、相手の言葉を断って強く頼み込んだことは、今までに一度だってない。だから、トレイターがどのような反応をするのか不安で仕方がなかった。

 トレイターがますます興味をそそられたようにうなずいた。


「なるほどな。無知の罪から卒業ってか。成長著しいようで何よりだぜ」

「……えっと、ありがとうございます?」


 ちら、と頭を上げながら言う。褒められているかどうか微妙だったが。


「それで、お金を手に入れる方法って、どんな方法があるんです?」

「まあ、やっぱ働いて稼ぐってのが無難なんだが……」


 トレイターはティアの姿を見て何を思ったのか、あからさまに厄介そうな顔をした。


「なんつーか、そっちの方が損害出そうだな」

「……どういう意味ですか」


 むぅ、と聞き返すが、きれいに無視された。

 数秒間、トレイターは黙考するような間を空けてから。


「……そうだな。とりあえず、俺と一緒に街を回んね?」

「え?」

「俺に付き合えってんの。デートだデート。少しは情報代の足しにしてやっから、そんなら文句ねえだろ?」

「え? でも──」

「あ、間違っても売っぱらいやしねえよ。安心しろって。んなことしたら、エルスが本気で俺の首を取りに来るからな。もちろんルーシーも黙ってないだろうし」

「ちょ、ちょっと待って――っ!」


 同意するよりも早く、トレイターに手を引かれる。

 そうしてティアは、更なる街の中心部へと連れ去られるのだった。

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