第十三小節 急襲! 旧市街に潜む罠

 場の空気がゆっくりと豹変した。見て取るように空気が冷たく張り詰めたものになる。

 すっと目を細めたオズウェルが、音もなく腰に手を伸ばした。隠れた外套の下、何があるのか。それがわからないティアではない。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 慌ててティアは割り込んだ。二人の間に入り、とにかく何か言おうと口を開く。


「エルスは──エルスは悪くないんです! エルスは巻き込まれただけで!」


 しかし、オズウェルは落ち着いた様子でうなずいただけだった。


「そう。彼は巻き込まれただけだ。だが、ここで抵抗するというのなら、話は違ってくる」

「自分から首を突っ込むことになりますから、巻き込まれたから、という言い訳は通用しないってことになりますねぇ」

「……そうなったら、どうなるんですか?」


 ごくりとティアは息を飲んだ。

 しれっと、エルスが親指で自らの首を横一線に切る。


「死刑?」

「なにのんきに言ってるんですか!」

「そんなに心配しなくても、大丈夫だよ、ティア」


 不安を溶かすように微笑むオズウェルを、ティアは見上げた。


「本当ですか、オズウェルさん……?」


 だが、オズウェルは心細げなティアを見ると、少しばかり言いにくそうに口を開いてきた。


「でも、その……、君が帰らなかったり、彼が抵抗するつもりなら、話は違くなるかもしれない」

「そうですねぇ。死刑とかはなくても、いったぁい目には遭っちゃうかもですねぇ」

「アメーリエっ」

「そんなの駄目です! 私戻ります。戻りますから──!」


 ティアは頑固として首を振った。

 これ以上、エルスに迷惑をかけたくない。その一心だった。

 もともと、自分が軽い気持ちで部屋の外に出たから、オズウェルたちに足を運ばせることにになり、あまつさえイリーナは命を落とすことになってしまった。この上、エルスにまで害が及ぶようなことがあれば、胸が押し潰されてしまう。


「なら、話は決まったかな」


 そう言って、差し出されたオズウェルの手をティアは、呆然と見つめた。


 この手を。

 オズウェルの手を握り返してしまったら、自分は塔に戻る。

 閉じ込められた部屋で一人で暮らす日々に。

 そして、今度は二度と外には出してもらえなくなるのだろう。

 そう思うと、ティアはどうしてもその手を喜んで握り返すことができなかった。


 ……せっかく外に出られたのに。


 ぽつりと浮かび上がった心の声をティアはぶんぶんと払い落とした。

 ここで断ったらオズウェルたちも困るだろうし、なによりも、エルスをこれ以上、ティアの事情に巻き込むのわけにもいかない。

 ティアが帰ることで全てが丸く収まるのなら、塔に戻るのがいい。きっとそれが一番いい方法なのだ。そう自分に言い聞かせ、ティアはその手をオズウェルへ伸ばした。


 けれど、本当は──


 ぱし、と、突然、その手を誰かに取られた。はっと我に返る。

 見れば、ティアの手がオズウェルの手のひらに重なる直前、エルスがその手を上からつかんでいた。


「……どういうつもりだい?」


 慎重な面持ちで、オズウェルが尋ねてくる。

 革の手袋が明確な意図を持ってティアの手を握りしめる。


「あいにくと、こちらも『はい、そうですか』って大人しく引き渡してやるわけには行かなくてな」

「その発言は、帝都カレヴァラに楯突くと捉えることもできるけど、そう受け止めても?」

「え、エルス!」

「そっちの好きなように取ればいい。だが、一つ確認させろ」


 眼差しを強くするでもなく、エルスは言ってきた。


「お前たちは〈ラティメリア第一計画〉を知っているのか。五年前、死傷者二百三十七人、廃人五百六十人、逃亡した被験体番号九を残して研究員も、その関係者も、研究施設まるごと炎上したあの計画を」


 ──その瞬間の二人の表情に。


「……なるほどな」


 エルスは得心がいったようにうなずいた。

 オズウェルは信じられないものでも見るような目をすると、叫んできた。


「なぜ……、それを君が知っている!」


 エルスはの反応は、実にあっさりしたものだった。


が教えてくれたからな」

「当事者……? 当事者って、あの時、生き残ったのは――」


 動揺を露わに、オズウェルが口走った時だった。

 話の途中でエルスがふっと顔を上げ、ゆっくりとアメーリエが横目で扉を見る。

 オズウェルも何かを察したように入り口を睨みつけたところで、ティアも異変に気づいた。

 慌ただしい足音が大勢、下の階から迫ってくる。

 間髪入れずに轟音。ぼろぼろになった木製の扉が爆発し、跡形もなく崩れ落ちた。


「な……」


 もうもうと立ち込める煙を前に、オズウェルが呆然と声を上げる。

 木片を無骨な靴が踏む。無惨な姿になった扉と壁の残骸を踏みしめながら、中に入ってきたのは、二十代から三十代ぐらいの男の集団だった。


「よぉ、さっきは世話になったなぁ」


 そう言って、先頭にいた荒っぽい男がエルスを見た。嬉しそうににやりとする。


「ずいぶん楽なかくれんぼだったなぁ。もうちっと、時間がかかると思えば、いいお友達に恵まれたようで」

「あっのトレイター。ほんとにあちこちに人の情報を売りやがって」


 半ば諦めるようにエルスがうめいた。

 オズウェルがティアの前に腕を伸ばし、毅然と声を上げる。


「何者だ!」

「兄ちゃん、俺達はそちらさんに用があるんでね。関係ないんなら引っ込んでな」

「僕は帝都カレヴァラ親衛隊〈盤上の白と黒〉の騎兵、オズウェル・L・K・アイゼンシュタットだ。彼女たちは現在、僕らの保護下にある。話があるなら僕を通してもらえないか」

「へえ? あんた軍人さんかい?」


 最初に入ってきた男とは別の、どこか皮肉っぽい造作の男の目が鋭く尖った。


「いい機会だ。あんたらにも、礼をしてやらなきゃなと」

「礼……?」

「ああ~、これは私たち警備隊もどこかで一緒に恨みを買ってる感じですねぇ」


 アメーリエが、のほほんとつぶやくと、男たちが一様に武器を構えた。厚い剣、組打ち用の短剣、無骨な鋼の棒が剣呑にぎらりと光る。


「邪魔するってぇなら兄ちゃん――」

「やっちまえっ!」


 天井を突く大声を引き金に、男たちが爆発めいた叫びを上げなら室内に押し寄せてくる。

 あっという間に混乱に満ちた。さほど広くはない部屋の中、オズウェルがすばやく体をひねり、一人目に殴りかかってきた男の腕をねじり上げて背中から昏倒させる。

 その一方、エルスは背後から襲いかかろうとしていた相手の腹に、渾身の一撃を叩き込んでいた。


「や、やめてください!」


 ティアがそう叫ぶも、聞いている者は誰もいない。

 訓練を積んだ軍人と、ただのごろつきでは実力差がありすぎるのだろう。オズウェルとアメーリエは殴りかかってくる人々を次々と手際よく打ちのめしている。エルスも負けず劣らず一人、また一人と窓の外に放り投げている。その細腕のどこにそんな腕力があるのか。


「ああん、アメーリエさんは後方支援担当なのにぃ」

「なあ、俺も保護下にあるってことで守ってもらえるってことでいいのか?」

「二人ともしゃべってる暇があったら、この状況をどうにかするのを手伝ってくれ!」


 叫ぶオズウェルだが、素早くエルスは肘鉄で男の後頭部を穿ち、アメーリエは半身にかわした後、裏拳で容赦なく相手の顔面を打ち据えた。

 このままではいけない。ティアはなりふり構わず、鉄棒を振り上げた男の一人に飛びついた。太い腰に腕を回しながら叫ぶ。


「お願いですから、いったん落ち着いてください!」

「うるせぇっ、邪魔だ!」


 そう言って、男がティアの身体を軽々と引き剥がすと、突き飛ばした。


「ティア!」


 オズウェルの叫び声。別の一人をいましがた蹴り、振り返る。

 尻もちをついて痛む身体を起こせば、たん、と素早い影が隣に着地した。エルスだった。手を掲げ、小声で唱える。瞬間、飛んできた椅子が無色透明な壁に遮られて爆砕した。


「エルス!」

「とにかく君は下がってろ」

「でも!」


 食い下がろうとするティアを置いて、エルスは混乱の渦中へ戻っていく。

 翻った紺色の上着を成す術もなく見送り、ティアは収まらない騒ぎを呆然と見つめた。

 もはや、誰もティアのことなど眼中になどない。目の前の打ち倒すべき敵しか見えていないのだろう。


「やめて……」


 口からか細い声がこぼれ落ちる。

 わあああ、という喧騒が、目の前の光景が、いつかの光景と重なる。視界が赤くなっていく。

 砲火の音。子供の悲鳴。そして、フィディールの絶叫。

 どくんどくんと、訳のわからない心臓の音が、頭の奥まで聞こえてくる。身体の中を駆け巡る血が、生々しく脈打ち、ティアの身体の中で大きく荒れ狂う。


「やめて……お願い……」


 たどたどしく繰り返される自分の声が、やけに遠い。

 目の前の光景はそのままに、音だけが徐々に切り離されていく。

 やがて、音のない世界が訪れ、やかましいほどに脈動していた心臓の音さえも聞こえなくなる。代わりに、水のような何かが静かに身体に満ちていくのを感じた。


 ふと、蛍が舞った。夜の水辺でもないのに、淡い光が踊る。

 光のざわめきが増す。おびただしい量の光の粒が、ざわざわと波紋を描く。光はティアの身体の輪郭を縁取り、風もないのに、黄金色の髪の毛がざわりとなびく。

 とっさ、ティアは両腕で自身の身体を抱きしめた。奥から何かが溢れ出す。止められない。震える手を両腕に回し、爆発しそうなそれを必死に抑え込もうとして──決壊した。激流がティアの感情ごと全てを飲み込む。


 そこで、はっと、エルスが気づいたように叫んだ。


「よせ! ティア! ――は使うな!」


 焦燥めいたエルスの叫びに重なるようにして、ティアの喉奥から悲鳴がほとばしった。祈りにも似た声が、鉛色の空へと高く上る。

 

 ──浄化の光にも等しい、白き光が天を衝いた。

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