第十二小節 盤上の白と黒

 嵐でも過ぎ去ったかのような静寂。

 エルスはすっきりしないような、どこか釈然としないようにも見える顔で、トレイターが出ていった扉を見ている。だが、何かを頭から振り落とすように首を横に振ると、ティアを見た。


「とりあえずここを出るぞ」

「は、はいっ」


 凛と引き締まる声に背筋を伸ばし、すぐ丸くなる。


「……でも、あの、どうして私が探されてるんですか?」

「君が塔からいなくなって一週間経つし。見つからないとなれば、まあ捜索願も出されるだろ」

「い、いっしゅうかんっ?」

「そ」


 端的に言って、エルスはてきぱきと荷物をまとめ始めた。出しっぱなしの衣類やカップを大きめの鞄に押し込んだ後、宙に軽々と放り投げる。やはり、荷物は空間ごとすぱっと切り取られたように消えた。

 謎めいた光景より、思ってもみなかった時間の経過の方が驚きだった。驚きとも感心ともつかない気分でつぶやく。


「そんなにずっと、私寝てたんですか……」

 

 と、外套に袖を通していたエルスの手が止まった。妙なことを聞かされたような顔で聞いてくる。


「寝てたって……、途中で一回起きなかったか?」

「え? 私、一回も起きてない……はずですよ、たぶん」


 夢を見ていた覚えはあるが。目を覚ました記憶はない。ティアが声には出さずにいれば、エルスは何か物思うように沈黙し、だが、すぐさま言い直してくる。


「いや、話は後だ。とにかく立つ立つ。立って」

「はい……でも、立ってどうするんですか?」


 エルスが肩をこけさせた。何か辛抱するように返してくる。


「あのな、逃げるに決まってるだろうが」

「逃げる……?」


 なぜだか、ティアにはそれがまるで自分のことではない、遠い地で起きた出来事のように感じられた。


「まさか、塔に戻りたいとでも言い出すつもりか?」

「それは……」


 言いかけ、ティアは顔を伏せた。

 自分は塔に戻りたいのだろうか。そうなのかもしれないし、そうではないのかもしれない。でも、だからといって、逃げるという発想はこれっぽっちも思い浮かばなかった。だって、逃げてどうするのだろう。エルスの言う通り、逃げて、逃げ続けたところでどうすればいいのだろう。逃げた先に一体何があるというのだろう。


 ──と。


 ぱっと、前触れもなくエルスが扉の方を向いた。

 何事かと、ティアもつられて扉を見る。

 遅れて、こんこん、と扉を叩く音。


「はー……」

「しっ」


 エルスがティアの口元に手を軽く当てた。声を潜める。


「そこのベッドの下にもぐるぞ」

「なんで……」

「いいから」


 半ば無理やり、ティアはベッドの下に押し込まれた。身動きを取るのもを難しい狭い寝台の下、後から身体を滑り込ませてきたエルスと身を寄せあう。

 扉がギィと軋み、室内に人が入ってくる。


「あれれー? いませんねぇ」


 能天気でのびやかな女の声。

 続いてもう一人、別の誰かが入ってくる。


「いない?」


 その声に、とっさにティアは口を自身の手でふさいだ。

 もの柔らかな青年の声には聞き覚えがあった。ティアが部屋の外で出会った日、初めて出会った栗色の髪の青年。確かオズウェルといったか。


「出かけてる、とか?」


 寝台の下、細い隙間から見える二人分の黒い靴が、室内を探すようにぐるりと回る。

 ふと、片方が立ち止まった。思案げな女の声。


「雪の町、姿を消した一組の少年と少女……」

「え?」

「残された手がかりは『うしろの正面だあれ』という謎のメッセージ。二人を追う中、露わになる町の秘密……明かされる衝撃の真実……浮かび上がる過去の闇……誰が本当の敵なのか?」


 ごくり、とオズウェルが固唾を飲む。


「交錯する運命が導く驚愕のサスペンス、今冬、ラ・ペリューズ劇場で大公開!」


 一気にオズウェルが白けた。


「どこで見たの?」

「新市街についたとき、ポスターが貼ってあったんですぅ。なんと主役はあのリリー・ガーデン! せっかくですから後で見に行きましょうよぉ」

「仕事中なんだから、そんなことをしている暇はないよ」

「ええ~?」

「観たいなら、休みのときにカヤさんあたり誘って来ればいいだろ。それよりも、早くブランシュを見つけて、フィディールさんのところへ戻らないと」


 フィディール。出てきた名前にぎくりとする。


「まだこの近くにいるだろうから、周辺を探そう。ほら、アメーリエも手伝って」

「はあ、しょうがないですねぇ」


 肩を落とし、変わらぬ調子で。


「二人ならさっきからずっとそこのベッドの下にいますぅ」


 ぎょっとティアは瞳を見開いた。エルスの表情も心なし強張る。

  オズウェルは聞いたことの意味がわからなかったらしい。一拍遅れて繰り返した。


「……さっきから、ずっと?」

「はいぃ。もうアメーリエさんお仕事して疲れたので帰っていいですかぁ」

「え、でも、さっき入ったとき、君、アメーリエいないって……」

「アメーリエさんはぁ~、自分の目で見たものをきちーんと報告しましたよぉ」

「そういうところがさ、似てきたよね」

「隊長の悪影響だなんてそんなぁ。上司のいないところで悪口なんて、オズも度胸ありますねぇ」

「人の心を軽率に読まない。まったく……」


 言い返す気も失せたらしい。オズウェルは寝台に向かってゆっくりと歩き出した。

 一人分の黒い靴が、目の前に近づいてくる。無意識に、ティアは床に伏せた身体を後退りさせた。もっとも、狭い寝台の下では、せいぜい拳ひとつ分ぐらい、背後に下がった程度だったが。

 靴のつま先が、いよいよティアの目と鼻の先で止まる。ぎゅっ、と意を決した瞬間。


収穫月メスィドールの知らせ!」


 固化した大気が寝台の床板を突き破る。


「な――」


 同時、寝台の下から躍り出たエルスを見た二人が目を丸くする。

 エルスは寝台の端に着地すると、予備動作なしに短剣を引き抜いた。逆手に持ち替え、一気にオズウェルへ襲い掛かる。反射的にオズウェルが腰へと手を伸ばすも、エルスの方が早い。その喉元に銀色の刃が突きつけられる。


「く……っ」


 びたり、とオズウェルが硬直した。喉を微かに震わせる。


「待ってください!」

「ブランシュ!?」


 叫んだのはオズウェルだった。寝台の穴から顔を出したティアを見て、驚いた顔をしている。


「知り合いか」


 エルスがティアを見ずに問いかけてくる。


「は、はい。だから、その……それ下ろしてもらえませんか?」


 壊れた寝台を危うげに乗り越え、ティアはエルスの背中へ呼びかけた。

 だが、エルスは短剣を掲げたまま、下ろそうとしない。

 しん、と真空に晒されたような空気が場を支配する。

 ぱちぱちと音を立てて燃えるストーブはそのままに、漆喰の壁からじわじわと冷気が染み込んでくるのを感じながら、ティアは冷えた指の先をぎゅっと握った。


 おそらくでもなく、エルスは、ティアたちを襲ってきた人に短剣を突き刺したように、オズウェルにも同じことをする。


 もし、エルスがそんなことをしたら、そのときはティアは──


 首筋に刃を突きつけられたまま、身動きできずにいるオズウェルと、表情を厳しくしたアメーリエと。

 ともすれば、長いような、短いような時間のなか、その場の誰もがエルスの次の行動を見張り──


 ……不意にエルスがすっと刃を下げた。


 ティアの肩の力が一気に抜けた。長い息を吐き出す。


「だ、だいじょうぶですかぁ!」


 緊張の面持ちでいたアメーリエが、ぱたぱたとオズウェルの下へと近寄った。


「僕は大丈夫だ。それよりも」


 オズウェルがティアを見た。ティアも、改めてオズウェルを見やる。

 栗色の髪に湖色の瞳。真面目に軍服を着こなした、どこかあどけなさを残した爽やかな顔立ちの青年。部屋を脱走したティアが初めて出会った人物――オズウェルその人に他ならない。


「久しぶりだね、ブランシュ。いや、今はティアでいいのかな」

「……お久しぶりです。オズウェルさん」

「うん」


 そう言って、なんともぎこちない空気が漂った。打ち解けるには遠く、会話もまだ弾まない。お互い顔を突き合わせたまま、数秒黙り込む。


「それで、ええと……」


 困った顔で言い淀みながら頬をかくオズウェル。その様子は、出会ったときとだいぶ違っているようだった。ティアを強引に連れ戻そうとする風ではない。なんだか間の悪いような様子で、どう切り出そうかと悩んでいるらしい姿は、軍人というよりごく普通の素朴な青年のようで、ティアもすんなりと話しかけられていた。


「あの、どうして私の名前がティアだってことを……?」

「ああ、隊長が言ってたんだ」


 そう頷くオズウェルは、話題ができたためか、どこかほっとした様子だ。


「隊長……えっと、ハインツさんでしたっけ。今日は一緒じゃないんですか?」

「うん。ちょっとね」


 引っ掛かりのある声で曖昧に濁される。

 と──


「こんにちはぁ。はじめましてぇ。私はぁ、アメーリエって言いますぅ」


 のびやかな女性の声。ティアの手が、小さなぬくもりにそっと包まれる。

 亜麻色の髪をゆるく二つに編んだ女性が、微笑みながらティアの手を両手で握りしめていた。眼鏡の下、軍服に似合わない甘く柔らかい眼差し。年齢はオズウェルと似て二十歳ぐらいか。


「は、はじめまして。私はティアって言います」

「これはこれはぁ、ご丁寧にどうもぉ」


 アメーリエは背伸びするような形で、いい子いい子、とティアの頭を撫でてきた。身長こそティアより低いようだが、その物柔らかな手つきは年下の面倒を見るのに慣れたもので、なによりおっとりとした調子に、ティアも大人しくされるがままにされる。


 嗜めるような口調でオズウェルが言ってくる。


「そんな小さな子供でもないんだから。彼女に失礼だろう」

「そんなぁ、これは親愛の挨拶でぇ」

「どう見ても子供扱いしているようにしか見えないと思う……。ごめんね、ティア」

「い、いえ、大丈夫です」

「ほら、アメーリエもさっさと離れて」


 しかし、ふっふっふっ、というアメーリエのいたずらっぽい含み笑い。


「さてはオズってば、今の私を見て、ニコレットちゃんになでさせてもらえないことを思い出して嫉妬してますねぇ?」

「そんなわけないし……」

「隊でなでたことないの、オズだけですしねぇ。オズとしては、ニコレットちゃんがこれ以上大きくならないうちに、早めになでなでミッションをクリアしたいところ……」

「なでたいなんて誰も言ってないし……」


 脱力気味にオズウェルが嘆息した。

 笑ってはいけないのだろうが、その姿に口元がほころぶ。気づいたようにオズウェルが振り向いてきた。


「ああ、ごめん、ティア。さっきから待たせて。それで、今日は話があって君のところに来たんだけど……」

「ああん、オズったら真面目過ぎますぅ」

「君がいつまでもふざけているからだろう」


 オズウェルの口調は呆れを含んでいたものの、強く咎めるという風ではない。仲が良いのだろう。馴染みから来る気安さのようなものが二人の間からうかがえて、ティアは心が軽くなるのを感じた。つい、尋ねてしまう。


「オズウェルさんとアメーリエさんとは、友だちなんですか?」

「彼女とは同僚だよ。同じ職場で働いているんだ」


 笑顔のアメーリエが両手をひらひらと振っている。つられてティアも手のひらをゆるりと振り返せば、アメーリエが、おお〜!と顔を明るくして驚いた。


「これは、稀に見る純粋さ……! ニコレットちゃんやオズにもこの半分ぐらい純粋だったら良かったのにぃ」

「なんで僕までそこに」


 オズウェルがうめく。彼は気を取り直すように小さく息をついて、その表情が、僅かに硬質なものに代わった──気がした。


「ところで、ティア。そっちの彼については……」

「あ、ごめんなさい。こっちはエルスって言って……エルス?」


 手のひらを上にして振り返ったところで、ティアはきょとんとした。

 先ほどから背後でずっと黙っていたエルスは、オズウェルを──正確には、胸のブローチを見つめていた。

 四角い形を交互に組んだ台座の上、チェスの駒を意匠にした銀細工。優美な光沢を放つそれが、高価な代物であることは、目利きのないティアでも察せられた。


「〈盤上の白と黒〉――か」

「はいぃ。はじめましてぇ、エルス・ハーゼンクレヴァさん」


 にっこりと、アメーリエが笑った。ティアに向けていたものと同じようで、明らかに性質の違う微笑みだった。

 様子が変化したのはオズウェルも似たようなものだ。こちらは姿勢を正すと、エルスに向き直っている。


「はじめまして。僕はオズウェル・L・K・アイゼンシュタット。こっちはアメーリエ・マトリカリア。よろしく」


 そう言って、オズウェルはエルスへ手を差し出した。

 しかし、エルスは差し出された手を握り返さず、ティアを見るだけだった。


「〈盤上の白と黒〉と知り合いってどういうことだ?」

「どういう……うんと、〈盤上の白と黒〉ってなんですか?」

「帝都カレヴァラにある特殊な親衛隊のことだよ」

「ですぅ」


 答えてくれたのはオズウェルとアメーリエだった。


「帝都カレヴァラの最高責任者の護衛や執務の補佐を行う組織だ。要するに、国で一番偉い人に仕えてる奴ら。つまりはエリート」

「それを言ったら、君も似たようなものだろう? 上級法術士資格の最年少記録保持者タイトルホルダー、エルス・ハーゼンクレヴァ」

「上級法術士……?」


 ティアは咀嚼するようにぼんやりと口にした。

 エルスが、魔法と似て非なる力──法術を扱える法術士だというのは先ほど聞いたが、オズウェルの口振りから察するに、普通の法術士とは少し違うらしい。

 丁寧にオズウェルが説明してくれる。


「法術士の中でも高い実力を持っているっていうことさ」

「らしい」

「らしいって、えっと、エルスのことですよね?」

「そう言われても」


 どうにも反応は鈍い。聞き飽きたとも格好をつけているとも興味がないとも違う風に見えるそれは、どこか途方に暮れているようにも見える。


「別に資格を持っていなくても、でたらめな強さを持つ高位法術士なんて山ほどいるだろ」

「そうなんです?」

「そーなんです」


 ほのぼのとエルスが頷く。


「そう言われてしまうと、そうかもしれない……」

「ですねぇ」


 誰か思い当たる節でもあるのか、オズウェルとアメーリエはやけに実感がこもった風だ。


「それで、古都トレーネの法術士である君がどうしてこんなところに?」


 唐突なオズウェルの質問に、エルスが目を瞬かせた。


「どうしてって……」

「ここには一人で来たのかい? そうなら、義理のお兄さんやお姉さんが君のことを心配して──」

「こっちの調べは一通りついてるって?」


 エルスの刺すような一瞥。牽制を込めた口調に、オズウェルは反省したように言い直してきた。


「……すまない。君が警戒するのも無理はないと思ってる。でも、僕たちは君たちと争いにきたわけじゃないんだ。だから、話を聞いて欲しい」


 固く芯のある声音には、エルスやフィディールにはない青い誠実さがあった。

 エルスは相変わらずオズウェルから差し出した手を握り返そうとしない。だが、オズウェルはエルスに手を出し続けていた。

 やがて、そんなオズウェルの手を見ていたエルスは、なにを思ったのか、抜身のままにしていた短剣をくるりと返した。腰の剣帯に収める。あくまで手は握り返さずに。

 それで、オズウェルも握り返されなかった手を下ろした。微笑みかけてくる。


「ありがとう」


 エルスが変な顔をした。誠実さがやりづらいのだろう。居心地の悪さでも感じたように、口を閉ざす。


「それで、お前……じゃなくて、あなたたちは何の用事があってここに来たんですか、って聞くのは愚問なようも気がするんだが……ティアを連れ戻しに来たんですか?」


 単刀直入なエルスの質問。

 今度はオズウェルも迷う素振りを見せなかった。


「ああ。一週間前の塔での出来事の後、彼女が行方不明になっていたからね」


 言って、オズウェルはちらりとティアを見た。慎重に切り込んでくる。


「見つかったからには、彼女を連れて帰りたいと思っている」

「……質問が四つ」

「答えられるかどうかわからないが」

「一つ目。たかが、女の子一人探すのに、わざわざ〈盤上の白と黒〉が出向いてくる理由ってなんですか?」

「それは、機密事項だ」


 訓練された返事だった。

 エルスは淡々と続けた。


「二つ目。彼女はどうして塔に住んでいたんですか?」

「それも、機密事項だ」

「だったら、彼女は何者なんですか。結局のとこ、さっきの二つの質問の答えも、ここに起因するんだろ?」

「機密事項だ」


 エルスの質問に機械的な応答が返される。

 最初から答える気がないとしか思えないオズウェルの態度に、エルスは特に怒りもしなかった。代わりに。


「──じゃ、引き渡すのを断った場合は?」


 思い付きのように、さらりととんでもないことを言い出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る