第十一小節 光を詠む者

 不可侵にも似たエルスの静謐な空気に、ティアは既視感を覚えていた。この空気に覚えがある。

 エルスと初めて出会ったとき、彼がした最初の質問。


 ――君は、〈不協和音〉か?


 トレイターがけろりと答えてくる。


「ああ、そいつは帝都カレヴァラの預言者だ」

「それは知っている。年齢とか、どこの出身とか、詳しい情報が知りたい」

「残念ながら年齢も性別も不明。……けど、俺わかっちゃったんよ」

「何が?」

「あっ、知りたい? 知りたい知りたい~?」


 もったいつけるような言い方の後、トレイターはわざとらしく迷う口振りで悩み始める。


「どーしよっかなあ~、でもなあ~、こーればっかはお前にも簡単に教えられないっていうかあ~。けどな~、お前がどおおおおおおおおおしてもっていうんなら俺も考えてやらなくもないっていうかあ~」


 エルスは無表情で立ち上がるとすたすたとトレイターの背後に回った。音もなくトレイターの首筋に短剣を突きつけ。


「不快指数が上がるたびに、一回引くからな」

「俺も今迅速に話に入ろうと思ってたとこなんよ」

「それはよかった。で、何がわかったんだ?」


 トレイターの人懐っこい瞳が、抜け目ないものに変わる。彼はひっそりと囁くようにして言ってきた。


「たぶん、預言者は十二歳以下の女の子だ」

「なんでそう思う」

「あっ、そこ聞いちゃう? 聞いちゃうのか~。そっか~、エルスくんったら破・廉・恥……」


 エルスがトレイターの後ろ髪を切り落とした。


「お前ええええええええええ」

「だって不快指数が上がったら、一回引くって言ったぞ」

「そこは脅しにとどめておけよ、それが交渉力ってもんだろうが!」

「別に交渉じゃなくて、効率良く会話を進めるための方法だし。お前がさっさと話してくれればこんなことしなくて済むのに。面倒なやつだな」


 ひどく身勝手な言い草を臆面もなく言ってのけた後。


「それで、お前が預言者が十二歳以下の女の子だと思った理由は?」

「その預言者を拾って世話してた長老が、お前が言うところのをお待ちの方だったから」


 さらっと言い切るトレイターに、エルスは表情一つ変えなかった。

 今度はトレイターも茶化さない。


「もちろん、旧貴族に代わって民衆の代表者となっている長老が、そんなご趣味を持ってたなんてスキャンダルだ。孤児院とかに手厚い寄付とかして、本邸の方では孤児院から何人もの子供を住まわせてたから余計にな。だから表では金銭的な汚職の方だけ取り上げられた」

「お前はどうやってその情報を……いや、なら年齢と性別の他、いつ現れたとか出身とかは」

「わかんね。ってか長老も、たぶん帝都カレヴァラも調べてない」

「調べろよ。そんな正体不明の奴」

「俺に言うなよ。現れたのは二年前。なんでもみずぼらしい格好で長老の家の前で倒れてたんだとさ」

「それで?」

「その子供を哀れに思った長老は、その子を屋敷に招き入れ、孫のようにとても可愛がりましたとさ」

「めでたしめでたし、って童話ならつけてやったところなんだがな」


 違うらしい。

 エルスは念を押すような口調で尋ねた。


「預言者は本当にただの子供で、大陸の崩落を当ててみせるのか?」

「それがなー、そうらしいんよ。詳しいことは知らねぇんだけど。拾った長老も、最初は意味不明なことを言う子供だとしか思ってなかったらしいし、その話を聞いた他のお偉方も気にしちゃいなかったんだが、どうやら本当に先のことを当ててみせるらしい」


 エルスが静かに短剣を下ろした。


「あ、信じてねぇなその顔」

「いや、噂程度には聞いていたからな」

「言っとくが、帝都が共謀グルとかじゃないからな? そのあたりは同じこと考えたやつらが調べて回ったし、手の込んだ自作自演できるとは思えない」

「普通に考えて、そうだろうな」

「おかげで、〈光詠み〉だなんて呼ばれて奉られてる。長老の寵愛といい、いいご身分なこって」

「他に情報は?」

「わかんね。保護されたあとは情報がなっかなか手に入らなくてよー」

「保護される前は、入手先があったってことか。……長老の屋敷に務めていた使用人でも買収したか?」

「政治家なんて、おいしい情報たらふくもってんじゃん」

「そのうち命拾いするぞ」

「ひっひっひ、極東の魔境では毒は喰らわば皿までってね」

「ろくな目に遭いそうにないなお前」

「ふっふーん、我が人生、快楽こそ史上!」


 ティアは手を上げてみた。控えめに外から言ってみる。


「あの……、さっき大陸が崩落するって、それは一体どういうこと……なんですか?」


 エルスはまるっきりの無頓着だった。説明するの忘れてた、とでも言うように、頬を指先で軽くかいている。


「あー、言ってなかったっけか。帝都カレヴァラってさっき見たように、白樹の塔の周辺に、大陸が浮かんでるんだが、二年前に一回大陸が崩落したことがあって、あんまり安定してるわけじゃないらしい」

「は、い……?」


 目を白黒させ、ティアは言葉を途切れさせる。


「いつ他の大陸が同じように崩落してもおかしくないってことだ」

「ばっか、エルスお前。そんなあっさり言ってどーすんだ」

「他にどう言えと」

「かーっ! もっと神妙な顔して、少しは演出ってもんをだなあ。こういうおちびは怖がらせてなんぼだろーが。あっさりばらしてどーすんだ」

「お前が子供から嫌われるか面白がられるか舐められるかの極端な理由の一つが、今わかった気がする」

「んだと」


 噛みついたトレイターがやいのやいのと騒ぎながら抗議している。

 ティアは、びっくりしてエルスを見返した。


「それは……大変なこと、じゃないんですか?」

「大変だな」

「ですなあ」


 今度はエルスはトレイターと一緒にうなずいていた。

 あれっ?となる。ティアは何度か目を瞬かせ、拍子抜けした気分で聞き返した。


「のんびりしてていいんですか?」

「よくはないだろうな」

「ありませんなあ。一国まるごと心中! なーんてことにもなりかねない!」

「俺はその前に退散させてもらうが」

「あ、てめ、裏切り者が! 死ぬときは一緒だと右から二番目の星に誓ったあの日を忘れたのかよ!」


 エルスは聞き流した。トレイターが更にうるさくなる。


 ティアは、うーん、と考え込んだ。人が住んでいる大陸が崩落する、というのは一大事のように思えるのだが、実はティアが考えているほど、深刻な話ではないのだろうか。

 エルスは抱きつこうとしてくるトレイターの顔面を無表情で抑えながら──特に力を入れていないように見えたが、その手はぎりぎりと微かに震えていたので、力は拮抗していたのだろう──涼しい顔で口を開いた。奇妙な格好はそのまま、二人は話を再開する。


「ところで、予言、魔法だと思うか?」

「逆にお前は魔法じゃないって思ってる?」

「思っている」


 トレイターは馬鹿にするを通り越して、呆れた口調で言い放った。


「おいおい、じゃあ、魔法じゃないならなんなんだ。てか、随分と気にしてるみたいだが何かあるのか?」

「あるといえばある。だが、直接会って確かめないと」


 ふいっと、エルスが手の力を抜けば、トレイターが勢い余って床を踏んだ。だが転ばず、猫のような軽やかさでつま先立ちして踏みとどまる。


「今度はトップシークレット様とご対面する気かよ……どうやって?」

「幸い交渉材料なら手元にある」

「交渉材料?」

「はーん……」


 トレイターはピンときたらしい。何かを察したような顔の後、なぜか気の毒な子供を見るような目で、ティアの隣に腰かけてきた。


「悪いヤツに捕まっちまうのは誰かねぇ。かわいそうに」


 それから、にっこりと笑いかけてきた。


「ね、今からでも遅くないからさ、エルスじゃなくて俺にしとかない? ちゃーんと大事に可愛がってくれそうな奴のところに売ってあげるから」

「唆すな」

「君のことを幸せにしてあげる」

「お前じゃない奴が?」

「いちいち揚げ足取んなよ、口うるさいやつだな」


 トレイターは片耳を指で塞ぐと、今度は本気でティアの身を案じ始めた。


「やめとけやめとけ。エルスみたいなのに着いてったらろくなことになんねぇ。ぜってー、悪いめに遭うね」

「悪いめって……」

「あ、今、俺についてった方が、やばそうって思っただろ」


 ずばり見抜かれ、とっさ、ティアは返答に窮した。だが、否定もできなかった。嘘になると思ったから。

 すると、トレイターは薄い冷笑を浮かべる。耳障りの良い滑らかな声で、うっそりと微笑んだ。


「へえ、君は相手が善良かそうでないかを、自分に危害を加えるか加えないかで、判断してるってわけね」


 嫌な声に、口の中がじわりと苦くなる。

 トレイターは晴れやかな笑顔で言ってきた。


「ぽんこつ」

「ぽん?」


 ティアの素っ頓狂な声。


「あ、その反応! そういう反応になるわけね! バカにされたことがない! へっえ~! お前まじでどんな環境で生きてきたわけ?」


 無神経な笑い声が鮮やかに散っていく。


 だが、ティアとしては、どうすればいいのかわからない。

 トレイターから、なにかいやなものを向けられていて、自分がどうすればいいのかわからなくて戸惑っているというのはわかるのだが、どうしていやなものを向けられているのか、その理由がわからない。そうして、トレイターの笑い声を聞いているうちに、なんだか自分がここにいるのが場違いな気分になってきて、どこかへ行こうにも行く当てがないことに気づいて、ますますどうしていいかわからなくなる。


 ゲラゲラと愉快そうに笑うトレイターに、エルスは半眼を向けた。


「トレイターお前、遊んでるだろ」

「そりゃもう!」


 はー、とエルスが諦めた息を吐いた。


「ティア、とりあえず、このうるさいのは放っておいていいから」

「うるさいってなんだーっ!」

「相手にするだけ面倒になるともいう。まあ、放っておけばそのうち静になるだろうから……って、ティア?」


 エルスに呼び止められても、ティアは気づかない。

 窓に映る自分は、表情を引っこ抜かれたような、なんだか自分が知らない顔をしていて、どこか遠いところにいるもうひとりの自分にじっと見つめられているような気分のなか、ティアは膝の上の空っぽの手を握りしめた。ぽっかりとしたものが胸のうちに浮かび上がってくる。

 ティアの反応を見たトレイターが面白そうな顔をしてつぶやくのが聞こえた。


「……へーえ? そういう感情がないってわけじゃあなさそうじゃん?」


 エルスは無言だった。手をティアの顔の前で緩く振り、強めに呼びかけてくる。


「ティア」


 そこではっとした。夢から冷めた気分の後、蒼空色の瞳が淡く見ていることに気づいて、肩を小さく寄せる。


「あ……。は、はい……、ごめんなさい」

「ぼーっとしてたみたいだが、どうかしたのか」

「えっと、あの……」


 ティアは落ち着きのない感情のまま、なんとか口を開いた。


「なんていうか、その…、びっくりしたっていうか」

「びっくり?」


 まとまらない考えをどうにか押し出そうとして、だが、何から言えばいいのかもわからず、やがて、口をついて出たのは、こんな言葉だった。


「外の世界ってこんな感じなんだって、思って……」

「こんな感じって……」

「だって、ここ、人が住むようなところには、あんまり…思えなくて……」


 言いながら、次第に声が小さくなっていく。悪いことを言ってしまった気がして、ティアはとっさ視線を落とした。

 すると、エルスはなにかを考えたようだった。あまりない、どこか言い含めるような口調で言ってくる。


「それでも、他に行ける場所がないから彼らはここで暮らしている」

「そんな──」


 ティアは思わず声を上げた。率直に口にする。


「だって、いやじゃないんですか?」


 瞬間、二人から露骨な反応が返ってきた。荒んだ気配に空気がひりつく。エルスとトレイター、どちらも表情こそ変わらなかったが、直感的にティアは今、自分がよくない質問をしたことに気づいて、それ以上の言葉を飲み込む。

 エルスが珍しく、感情を露わにして言ってきた。


「それを、わざわざ君が聞くのか」

「ご、ごめんなさい」


 細い肩を狭めて萎縮したティアに、何かを思ったらしい。エルスが思い直したように首を横に振った。


「……いや、いい。嫌だろうさ。でも、そんな風に考えることはとっくにやめたんだ」

「どうして?」


 つい、いつものように問いかけてしまってから、微かな不安が心に滲んだ。怒られやしないだろうか。そう、おそるおそるエルスの顔色をうかがう。

 しかし、エルスはさらりと返してきた。


「考えたくないからさ」


 答えは簡潔だった。


「考えなくても時間は流れていくし、生きるだけで手一杯で考えるのが億劫だっていうのもあるかもしれないが。それに、どうしてとか、なんでとか、そういうことを考えたって、腹が膨れるわけじゃないだろ」

「それは、そうかもしれませんけど……」


 それなら、ここに暮らしている人たちは生きていると言えるのだろうか。

 それは、ティアの中にある純粋な疑問だった。


 未来への展望もないまま、薄暗い空の下で生きていることは、本当に生きていると言えるのだろうか。

 それは、自分が置かれている状況に生かされているだけだと、ティアはそう思っていた。

 なぜならティアは事実、生かされていた。あの塔の中で。

 だが、ある日、疑問が浮かんだのだ。果たして、これは生きていると言えるのだろうか。こんな生活に一体何の意味があるのだろう。ティアはそう思った。


 だからティアは考えた。考える時間だけは、余るほどあったから。

 ティアは考えて、考えて、うんと考えた。

 けれど、なんべん考えても、ティアにはやっぱりわからなかった。

 どうして自分がここにいるのかを聞いても、フィディールにもイリーナにもはぐらかされるばかりで、答えをもらうことはできなかった。


 だから、ティアは塔から逃げ出したのだ。

 内に答えがないのなら、外を探しにいけばいい。

 そう、思ったのだけど──


 と、隣からくつりと笑う音が聞こえた。

 ティアの隣に腰掛けていたトレイターが、喉の奥を震わせている。


「へえ、君は外の世界で生きている人という人が、幸せそうに笑って、喧嘩もせず、仲良しで、食べるものにも困らない、病気や不幸とは無縁の世界だと思ってたのかな?」


 先のティアのつぶやきに、期待はずれにも似た、軽い落胆があるのを見逃さなかったらしい。トレイターは、嘲笑めいた気配を漂わせて言ってきた。

 答えられず、ティアはきゅっと唇を横に引き結んだ。

 そこまで思っていたわけではないが、そういうものであればいいと願っていた部分は確かにあったからだ。心の薄暗がりを見抜かれた気分でうつむく。

 トレイターの薄い唇から、笑みが引いた。


「そういうおキレイな現実しか受け入れられないんだったら、さっさとここから出てきな」


 冷水のような声でぴしゃりと言われ、ティアの身体が冷える。

 エルスはそれを、一歩引いたところから監視するように見ているだけだ。口を挟んでこようとしない。


「ああ、それとも」


 と、トレイターはティアの頬をさも愛しげになでてきた。微笑みを浮かべながら、そっと顔を近づけてくる。息遣いさえ肌に触れそうな近さ。トレイターの飴色を深めた瞳に、ティアの呆けた顔が映る。


「君みたいな子は、一度本当に売られて、現実というものを見てきたほうがいいのかな?」


 目を細めて愉快そうに笑うトレイターの手が、頬から下へ滑り落ちた。今度は胸ではなく、首に。


「なんなら俺が今、現実を見せてあげようか?」


 冷たい指がティアの喉元に触れる。その指先が、く……、と喉に食い込み、力が込められたときだった。


 ――ぱん、と軽い音が響く。


 目を丸くしたのは、トレイターだった。

 エルスも不意をつかれたのか、なにか踏み出しかけた格好のまま、動きを止めている。

 ティアは緩やかにトレイターの手を払いのけた格好でいた。軽くうつむき加減だった顔をゆっくりと持ち上げると静かに言い切る。


「……私は、人形じゃない」


 トレイターが、ゆるく失笑を漏らす。


「おや失礼。されるがままにされているだけのお人形さんではないらしい」


 ティアは何も言わなかった。一歩も引くことなく、トレイターを正面から見据える。

 これまで塔の一部屋だけで暮らし、数年分の記憶しかなく、外の世界を知らない世間知らずだったとしても、こんな風に好き放題言われて気分がいいわけがない。そう、トレイターを見返す。

 すると、トレイターが初めて表情を消した。道化の顔が漂白される。

 しんしんと降り続ける雪が、部屋の静けさを深めるなか、二対の視線が交錯する。

 やがて、その状況を見守ることに退屈し始めたらしいエルスがあくびをかいた頃、トレイターは目を閉じた。気まぐれめいた調子で手を振る。


「……やーめた」


 寝台から立ち上がり、すっかり興ざめした様子で扉へ向かっての歩き出す。


「んじゃ、俺はそろそろ退散させてもらうわ。お前も、あんまゆっくりしねぇほうがいいぞ」

「言われなくても、そうする」

「ああ、そういう意味じゃねぇよ」


 なら、どういう意味だ。エルスが顔で問いかけると、さらりと、トレイターはとんでもないことを言ってきた。


「ここに来る前、かるーくお前らの居場所を適当にそのあたりの賞金稼ぎにばらしておいたから、そのうち人も殺到してくるんじゃね?」


 さすがのエルスもこれには驚いたらしい。薄く瞳を見開いた後、きつい眼差しでトレイターを射抜いた。捨て鉢気味に言い放つ。


「……裏切り者とはよく言ったもんだ」


 トレイターはぬけぬけと笑ってみせた。


「いやはや、見かけた場所を教えるだけで金一封とは中々気前いいよなー。そこまで、お前とそちらのお嬢さんにご執心のようですぜ。皆様」

「ごしゅうしん……?」

「おや、これもご存じない?」



  ぴらりと、トレイターはティアの鼻先に一枚の紙を突きつけた。


「え──?」


 古ぼけた紙の上、モノクロで印刷された長い髪の少女の顔写真を見つめる。どうしてこんなところに自分の顔が。

 トレイターは両手を広げると、種明かしでもするように言ってくる。


「なんと君を捕まえて、帝都カレヴァラに突き出せば遊んで暮らせる大金が手に入る!」


 翡翠色の瞳が大きく見開かれた。


「そして、ついでにそこの少年は、お前という金づるを独り占めしたずるーいヤツと睨まれて、いろんな人に狙われているのです!」

「じゃあ、さっき、ご飯のあとに追ってきた人たちは……」

「ん? なんか俺とは別口で狙われた感じ? そっちは知らねぇけど、まあ、そういうことだ。な? ろくな目にあわなかっただろ?」


 けらけらと軽薄に笑うトレイターは実に楽しそうだ。


「お前が率先してろくな目にあわせにきてるんだろうが」

「そうだっけか? ってなわけで、俺は先に退散させてもらうぜー」


 ひひっと、反省の色もなく笑い、上機嫌にひょいひょいと歩き出す。

 去り際、トレイターは扉の縁に手をかけると、ふと振り返ってきた。翳りを帯びた琥珀色の瞳を細め、ひどく寂しげに笑う。


「……裏切り者の名を知っているくせに、俺なんかを信用するお前は本当に哀れで情が深いよ。例えお前自身がそのことを否定しようとも、な」


 そう意味深に言ってから一転。トレイターは、んじゃ、まったなー、と明るく笑うと、ひらひらと手を振って、今度こそ部屋から出ていった。

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