第十小節 Respond to Avarice and Demand

 エルスは乱れた髪と息を一呼吸で整えると、次の瞬間には、今まで走ってきたことなど一切感じさせない涼しげな顔をトレイターに向けた。

 さあっとトレイターの顔から血の気が引く。


「い、今あてるつもりだったよな?」

「いや、わざと外した」

「わざとって……」

「ああいうのは、外したほうが恐怖を煽れて効果的だって、なんかに書いてあった」

「性格悪いなお前!」

「どっちがだ」


 呆れるでもなく言って、エルスが歩き出す。

 とたん、トレイターは、ぱっとティアから身を引いた。慌てふためきながら寝台から離れる。

 エルスはトレイターに見向きもせず、入れ替わる形でティアが寝ている寝台に膝をついた。手首を縛られたまま仰向けに寝かされたティアに手を伸ばしてくる。

 瞬間、びくん、とティアの上半身が跳ね上がった。


「ティア?」

「ご、ごめんなさいっ」


 身体を起こし、ティアは首を横に振った。エルスを拒絶するつもりなんて、これっぽっちもなかったからだ。自身でも思いがけない反応をしてしまったことに、軽いショックを受けながら、手を止めたエルスへ言い募る。


「私、そんなつもりじゃ──」

「ティア」


 冴えた声が呼び、まっすぐに見返される。

 エルスはポケットから何かを取り出すと、ティアの目の前に見せてきた──星色の金貨。


「え……?」


 エルスが金貨の包みを開く。すると、チョコレートの甘い香りが広がった。

 金貨がチョコレートになった。ティアが目を輝かせていれば、口の中にチョコレートを押し込まれた。少年の指先がティアの唇に触れる。ひんやりとした心地良い体温。チョコレートの甘さが舌に広がるにつれ、固く絡まっていた緊張がふわっと解ける。

 それを見て取ったらしい。エルスはティアの手首の戒めを解くと、下着とはだけた衣服を手早く整え、シャツのボタンを留めはじめる。

 その様子を眺めていたトレイターが、エルスの背後からのんびり口にする。


「手慣れてるよなあ」

「何が?」

「扱い方もボタン留めも」

「気をそらすのは常套手段。別に不器用じゃなければ他人の服のボタンぐらい留められる」

「へーえー?」


 ボタンを留め終えたエルスがするりと立ち上がった。立ち上がり際、ティアの頭をぽんぽんと撫で、ぽいっともう一枚、金貨をティアの膝に投げてくる。ティアが金貨とエルスを見比べていれば、エルスは別の一枚を食べていた。これはティアの分か。

 ティアは金貨から箔の包み紙を外すと、チョコレートの裏表を返してから半分かじった。甘くておいしい。頬が自然と緩む。


 トレイターが生ぬるい目で言ってきた。


「……餌付けじゃね? これ」

「人聞きが悪い。この子に合わせた対応をしてるだけだ。というか、お前だって飴あげてただろうが」

「あれは薬を盛るため……」

「ほう」

「じゃなくてっ」


 咳払いのあと、トレイターが誤魔化すように口を開いた。


「ち、ちなみにお前、どっから聞いてたんだ?」

「『顔も綺麗だから、きっと売れるかな』のあたりから?」

「ほぼ最初からじゃねぇか! 盗聴器でも仕掛けてんのか、この部屋!」

「さてな」


 ばたばたと部屋のあちこちを探し回るトレイター。

 エルスはそれを興味なさげに見送ってつぶやいてくる。


「もっとも、誰かさんのおかげでここに来るのが遅れたが」

「な、何のことで?」


 トレイターの声が不自然に裏返る。

 エルスは、床に破り捨てられていたカードを無言で拾い上げた。トレイターが剥がしたそれを外套の裾に入れ──普段よりいくらか低い声音で言ってくる。


「シラを切るつもりならそれでも構わない。だが、本気でシラを切り続けるなら、こっちも相応の態度に変えさせてもらうからな」


 トレイターの頬を一筋の汗が伝う。


「相応の態度って?」

「それはお前次第だろ」


 態度こそ適当ではあるが、エルスがこの手の冗談を得意とするわけでも好きなわけでもないようにティアは思えた。

 やがて、トレイターが負けでも認めるように、両手を上げる。


「……降参だ。ちなみに、どちらさんから聞いたんだ?」

「襲ってきた奴らに、ちょっと、教えてくださいって丁寧にお願いしてみたら、素直に答えてくれたぞ」

「おそ……」

「お前のそういう発言こそ信じられないものはない……」


 げんなりと項垂れるトレイター。

 ティアは、擦り切れ汚れたエルスの外套を見た。何者かに襲われた後という割にはエルスの態度は飄々としていて、心配とも困惑ともつかない心地で口をつぐむ。

 エルスは本気か冗談か、ごくごく当たり前の顔をして言ってきた。


「失礼だな。俺は人に優しく自分に厳しくがモットーだぞ」

「う、うそだあ」


 会話の合間合間、トレイターは手足を少しずつ動かし、じりじりと壁際まで退いていた。扉のすぐ脇までたどり着いたところで、後手で扉のノブに手をかけ。


「それじゃあ、俺は」


 これで、ともう片方の手を上げたトレイターの服の裾が、事前通告なく壁に縫いとめられた。すとん、とナイフが壁に突き立てられる。


「ぎ──」


 トレイターの悲鳴が切り落とされる。次々と投げ放たれたナイフが鋭く空間を割き、逃げる隙も与えずトレイターの服を壁に縫い留める。

 ものの十秒足らず。標本の蝶か何かのように、壁に貼り付けにされたトレイターを見て、エルスが一言。


「さてと」


 満足そうにするでもなく腕を組み、トレイターの前に立つ。

 トレイターは本気で焦ったようだった。


「ちょ──、未遂なんだから見逃せって!」

「俺が来なかったら未遂じゃ済まされなかっただろうに」

「聞け! そもそも最後までヤるつもりはなかったっての! ちょっと調べさせてもらおうとしてただけで!」

「時間稼ぎをしてくれた上に、下まで脱がせようとしてた奴の台詞とは思えないな」

「お前それも見てたのかよ! あ! さては転移用の法術印のみならず盗み見とかできるようなモンも仕掛けてやがったな!?」

「さあな」

「うっわ、ほんっと可愛げねー、抜け目ねー、もったいねー。そこまでしてんなら、せめて犯されてるとこ見てけ──うぎえあおあおらがあああああ!?」


 悲鳴に化けた。エルスが追加で投げたナイフが、トレイターの足の間の下、かなりぎりぎりのところに突き刺さる。


「ぎゃー! 俺死んじゃうーっ! エルスに殺されるーっ!」


 そう叫ぶトレイターの足の下、血は一滴も流れていない。しかし、トレイターは、人殺し! 悪魔! 冷血漢! 追い剥ぎ!などと、エルスを散々な言いようで口汚く罵倒している。

 エルスはすべてを聞き流すと、トレイターへすたすたと近づき──


「うるさい」


 べしっと一発叩いた。静かになる。

 エルスもそれで気が済んだのか、壁からナイフを一本一本抜き始めた。手品かなにかのようにナイフが服のあちこちに消えていく。

 程なくして解放されたトレイターが口を尖らせた。肩の具合を確かめるように何度か回し、ぶつくさ言っている。


「ったくよー、人が違うって言ってんのによー。強姦しようとしてたみたいに……」

「違うのか」

「本気でちっげーよ。働き口の斡旋してやろうと思っただけだっての!」

「働き口?」

「例えば、楽器が弾ける見目麗しい少女を観賞用に欲しがってるやつがいるとするだろ? で、俺はちょっとピアノが弾ける子に声をかけてみるわけさ。主からお払い箱になった傭兵とかでもいい」

「それで?」

「その情報をそれとなーく欲してるやつに伝えたり、一度お会いしたり見てもらうとかして、そのあとは御本人様たち次第。俺は仲介料をもらって、ばんばんざい。三方丸くよし! 俺天才!」



 自慢げにふんぞり返りながら、トレイターは鼻高々と笑っている。


「人身売買の真似事とどう違うんだか。その話の流れからするに、ティアみたいな女の子を欲しがりそうな男に情報提供するために、下調べしてたってとこか?」

「おうよ。なんてったって、処女は一部の好事家マニアに好まれるからな!」

「爆ぜろー」


 実にやる気のない声で、エルスが物騒なことを言っている。

 トレイターは気楽に提案してきた。面白半分といった風に。


「なんならお前にも紹介してやろうか? この子の代わりに相手してくれる女の子とか」

「別にいらないからいい」

「んだよ、つまんねーの」

「知るか」

「お前ってホントその手のことに興味ねぇよなー」

「余計なお世話だ」

「つまんねーの。珍しく女の子連れてるから、これかと思ったのに」


 うししとトレイターが笑って、小指を立ててみせる。


「これ?」


 ティアは真似して小指を立てる。

 すると、エルスはなんとも複雑な、面白くなさそうにも見える表情をして口を閉ざす。

 見れば、トレイターは腹を抱えながら盛大に笑っていた。今にも転げ回りそうな勢いをした彼の後頭部を、エルスが容赦なく叩く。


「あいて! なにすんだよ」


 恨みがましそうな顔のトレイターを放って、エルスはストーブ前で手を動かしていた。ティアの前に戻ってくるなり、上からカップを差し出してくる。

 ティアはエルスから差し出された柔らかい湯気を素直に受け取ると、甘い匂いのするそれにふぅふぅと息を吹きかけた。エルスがティアの隣に座ってくる。


「トレイター。ほら宿代」


 そう言ったエルスが何かを投げた。

 トレイターは放られたそれを宙で受け取ると、紐を解いた。小さな物入れの袋の中を見て、不満げにうめいてくる。


「……代金少ねぇぞ」

「ティアに手を出そうとした分、差し引かせてもらっていいよな?」

「それ提案じゃなくて確認口調じゃね?」

「脅しに変えてもいいが」

「卑怯だぞ!?」

「まともな商売するつもりがない相手に卑怯もなにもない。口やかましくすると更に減らすぞ。支払ってやるだけマシだと思え」

「あーもう、わかったっ! もってけ泥棒!」


 やけくそに言って、トレイターは、どす、と近くの椅子に腰掛けた。エルスが金貨チョコをもう一枚ティアの手のひらに落としているのを見て、エルスが持っている小さなカップを見て、自分の手元に何もやってこないのを見ると、物欲しげに、ねだるような声で。


「なあ、俺の分は?」


 エルスの返事は冷たかった。


「ここにお前に出すようなものはありません」

「……へっえぇぇぇぇー」

「自分でなんか持ってくれば?」

「嫌がらせのつもりか!」

「それ以外に何があるんだ?」

「少しは悪びれるかごまかせよ!」

「そういえば、この間手に入ったばかりの睡眠薬の実験台になってくれるっていうんなら、お茶ぐらい持ってきてやっていいぞ」

「お前って本当にかわいげねえよな!?」

「前にも言ったが、男にかわいげは必要ない」

「ええと……」


 ティアは二人を交互に見比べた。困ったような気分で、口にする。


「二人は仲良し、さん、です?」


 エルスは真面目な顔で即座に否定してきた。


「こいつと仲良しという不名誉な関係を結んだ覚えはない」

「ひっで!」


 心外だとトレイターは立ち上がった。ティアとは反対側、エルスの隣に座ったトレイターは、甘ったれた声で少年の肩に腕を回す。


「俺お前のこと結構好きなのにぃ!」

「好意を抱いている人間を、襲わせるよう仕向けるのかお前は」


 トレイターに頬ずりをされているエルスは、無抵抗で無表情ではあったが、かなりうっとうしそうではあった。


「まあ、お互い過去のことは水に流そうぜ。ほら、謝るから根に持つなよー」


 エルスが手元を見ずに、先ほど投げ渡した袋をトレイターから奪い取った。


「じゃあ、先に謝るから宿代返せ」

「奪ってから断り入れんな!」


 トレイターは大慌てでエルスから袋を取り返すと、さささっ、と寝台の上で距離を取った。大事なもののように布袋を抱きかかえ、エルスに舌を出している。

 ここまで辛辣な態度が目に付くエルスも見ないような気がして。


「というか、トレイターさんとエルスってどういう関係なんですか?」

「どういう……?」


 質問の意味を図りかねたらしいエルスが、器用に片方の眉の根を寄せる。

 トレイターが晴天のごとく爽やかな笑顔を浮かべた。


「ああ、友だちだよ」

「うん、お前もういいから帰れ」


 にこりともせずばっさり切り捨てるエルス。ええー?と白々しく声を上げているトレイターとは対照的だ。こうして見ている分には、仲が良さそうに見える。

 だが、トレイターがエルスを襲うよう(?)誰かをけしかけたらしいことを考えると、とてもではないが友人とは呼べなさそうではあるし、だからといって、ただの知人で片づけられるような容易い関係でもないように思えた。


「なーに? 俺とエルスの浅からぬ関係に嫉妬しちゃった?」


 ひょい、とトレイターの顔が眼前に現れる。彼はティアの胸中を見抜いたかのように、覗き込んでいる。


「ふざけるのは顔と態度だけにしろよお前ー」

「ふっふーん、残念だったな。お前みたいなポッと出の奴はお呼びじゃねぇのよ。ふっかあぁぁぁぁい絆で結ばれた俺たちの馴れ初めを聞いて、夜、泣きべそかきながらタオルでも噛んで悔しがりやがれ」

「さっきからお前はなに訳のわからないことを……」

「いちいち反応してくれるエルスくんったらあ~、や~さ~し~い~」


 ついにエルスは何も言わなくなった。棘のような無言が部屋に突き刺さる。

 と、真面目に答える気になったのか、沈黙を破ったのはトレイターだった。改まった面持ちで言ってくる。


「……しいていうなら同業者だな」

「どうぎょうしゃ?」

「おんなじ種類の仕事に就いてるってこと。俺とエルスは何でも屋だからな。といっても分野は違うけど」


 初めて聞くことだった。ティアはその言葉の意味を咀嚼し、隣のエルスを見た。


「何でも……エルスは何でも屋さんなんですか?」

「なんだエルス。そんなことも話してなかったのか?」

「聞かれなかったし」


 トレイターは、おいおいと溜め息混じり呆れてみせた。


「何でも屋って、どういうお仕事をしてるんですか?」

「猫探しでも場所取りでも近隣の苦情対応でも、頼まれればなんでも?」

「なんでも? お願いしたら、なんでも叶えてくれるの?」


 どことなく弾んだ調子で聞き返せば、エルスから、どう説明したらいいものかと考えあぐねた気配があった。


「……正確には、俺達はRAD――Respond to Avarice and Demandと呼ばれていて、人から依頼を受けて対価を受け取る奴らの総称であって、厳密に職業として認められていない」

「そう…なの?」

「ああ。依頼といっても、子供が無邪気に何かを欲しがるのとはわけが違う。人にあまり頼めないようなものの方が圧倒的に多ければ、RAD本人たちも、依頼をこなすために犯罪とまでは行かなくても非合法な手段だって使う。国の法律や治安委員会の規律に沿って裁けば、罰金か、中には懲役じゃ済まされない奴も普通にいるだろうな」


 言葉を切ると、ティアの瞳を見て端然と言ってくる。


「先に勘違いしないように言っておくが、俺は善人でも聖人君子でもない。だからといって悪人とも言わない。君を助けたのは俺なりに理由があったからだ。同情とか憐れみとかそんな純粋な感情から助けたわけじゃないし、ましてや、人助けを生業にしているわけでもない」

「そう……ですか」


 急に突き放されたような気がして、ティアは浅くうつむく。

 すると、見かねたのか、トレイターが割って入った。


「おいおい、脅かしてやんなよ」

「事実だ。ついでに彼女を品定めして驚かせたようなお前に言われたくない」

「じゃあ、どうしてエルスはここへ? さっき理由があったから私を助けてくれたって言ってましたけど、誰かの依頼を受けてここに来たんですか?」

「その質問は半分あってて半分間違ってる。それよりトレイター」


 つい、とエルスは面を上げた。


「いくつか情報を買いたい」

「お、なんのだ?」


 ばっちこーい、と可愛く片目を閉じてみせる彼の額にコルクキャップ(どこから出てきたか不明)が命中した。


「何すんだお前!」


 うっすらと赤みを帯びた額をさするトレイター。エルスはコルクキャップを弾き飛ばした手元を隠しもせずに言い放つ。


「なんか、ちょうどいい的があったから?」

「人を的にすんじゃねえ! ったく、で? 何を教えて欲しい?」

「〈光読み〉について」


 エルスの青い瞳が、研ぎ澄まされた刃のごとく鋭く光った。

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