第九小節 トレイター 裏切り者の烙印

 エルスが帰ってきたら、ちゃんとお礼を言おう。

 そしたら、いろんなことを教えてもらおう。


 寝台の縁に腰かけながら、ティアはメープルシロップ入りのお湯をちびちび飲んでいた。気づけば、すっかり中身はなくなっていて、空っぽになったカップの底を見やる。

 エルスはまだ帰ってこない。そわりと、首を横に振る。右へ、左へ。

 それから、ティアは立ち上がった。窓の外を見やる。


 町は静まり返っていた。寂れた町の片隅、巨大な墓場めいた古アパートに人影はなく、井戸は野ざらしのまま放置され、それとなく黒髪の少年の姿を探してみるも、それらしい人物は見当たらない。

 はらりとガラス越しに待った雪を辿れば、雪の舞う空は相変わらずの鉛色だった。時刻はわからない。エルスが出ていってから、どのくらい時間が経ったのかも。


 そういえば、いつごろ帰ってくるか教えてもらわなかったな。


 ティアは寝台まで戻ると、ごろんと清潔なシーツの上に寝転んだ。代わり映えのない天井の梁が見え──まあいいか。すぅと目を閉じる。

 早く帰ってこないかな。少年の淡泊な顔が思い浮かび、そこで、ふと気づく。まだエルスの笑顔を一度も見たことがない。

 どんな顔で笑うのだろう。想像してみるも、瞼の裏にうまく思い浮かべることができない。

 今度、笑ってくれるようお願いでもしてみようか。そんなことを考えかけたところで。

 とんとん、扉を叩く音がした。


「はー……」


 身体を起こしながら返事をしかけ、ティアはすぐさま口を閉じた。両手で口を塞ぎ、声を飲み込む。

 こんこん、とノックが繰り返される。

 どうしよう。

 ティアは逡巡しながら、扉の前までやってきた。困り果てる。

 立てられた木扉からは、変わらずノックの音が響いていて、扉の向こう側に人がいるのは間違いない。

 エルスは人が来ても出なくていいと言っていたが、ティアとしては居留守を使うのは気が引けてしまう。

 せめて、エルスがいないことだけでも伝えよう。そう扉に手をかけようとしたときだった。

 かちゃかちゃと扉から鎖を絡ませたような音がし、やがて、かちり、と何かが開いた音。

 え、とティアの手が止まり。

 ばん、と扉が開かれた。


「えっるすくーん、おりまっすか~!」


 底抜けに陽気な声が部屋に飛び込んでくる。

 開け放たれた扉の前に立っていたのは、二十歳ぐらいの灰髪の青年だった。

 気の良さそうな青年は、一目で室内を見渡すと、きらんと、目を輝かせた。猫のような金色の瞳が、ずる賢く光る。


「お、いねぇな? じゃあ、おっじゃまっしまーす」


 そう言って、青年は呆けたティアに構わず、部屋に入ってきた。

 ティアは青年の背中に、おずおずと声をかけた。


「あの……」

「ん?」


 首だけ振り返らせた青年が、ティアを見た。


「エルスなら出かけているんですけど、用事……ですか?」

「お、実物の方がかわいいじゃん」

「え?」

「いやいや、こっちの話。なるほど、出かけてる、ねぇ。ふーん……?」


 青年はそう言って何かを探すように室内を見回すと、扉脇の木壁に貼られた一枚のカードに目を止めたようだった。べり、と剥がし、床に破り捨てる。


「これでよし、と」


 青年は一仕事でも終えたように額をぬぐった。思い出したように。


「あ、自己紹介が遅れたな。俺はトレイター。君のお名前は?」

「えと、ティアっていいます。ティア・ロートレック」

「うんうん、ティアちゃんね。よろしくな」


 にぱ、と、人懐こい笑顔で笑いかけられ、つられてティアの口元がほころぶ。


「はい、よろしくお願いします」

「あ、これ、よかったら、お近づきのしるしにどーぞ」


 トレイターが差し出してきたのは、小さくて丸い、透明なガラス細工のようなものだった。

 ティアはガラス玉のようなそれを、そっとつまみ上げた。まじまじと見やる。


「これ……なんですか?」

「お? 飴を知らないとは珍しい。ティアちゃんが過ごしてたところじゃ、こういうお菓子見かけなかった?」

「たぶん……」


 自身が塔で暮らしていて、外に出たことがないことを説明すればよかったのだろうが、どうしてか、それを話すのは憚られた。それどころか、外に出てからというもの、ティアは、そのことをむやみやたらと人に話したくないと思うようになっていた。

 しかし、トレイターは、気にした風もなく、ふぅんとうなずくだけだ。

 ティアは、なんとなく手持無沙汰に手の平の飴を転がしてみた。手のひらの透明なガラス玉は澄んだ水色をしている。


「それね、甘くておいしいからなめてみ?」


 ティアは頷くと、トレイターに促された通り口に含んだ。砂糖菓子のような甘さが口の中に広がっていく。


「……おいしい」

「そりゃあよかった。……にしても」


 じろじろと、急にトレイターがティアの姿を上から下まで眺めてきた。


「金の髪に、翠玉のような瞳……か。確かに、お人形さんみたいだな」

「あ、の?」


 こちらの素性を探るような視線に、ティアは少しだけ身を引いた。トレイターは開いた距離を詰め寄るように、さらにティアに近づいてくる。


「ね、年はいくつ?」

「十……」


 ティアは言いかけて止まった。そういえば、自分が正確に何歳なのか知らない。

 黙り込んでいれば、トレイターが思いがけない反応でも見たように、聞き返してくる。


「ありゃ? もしや、自分の年齢、知らなかったり?」


 こくん、とティアは頷いた。

 そうだなあ、とトレイターは、ティアの顔を見ながら考えたようだった。


「多分、十六か、十七……。エルスと同い年か一つ年上ぐらいじゃないか?」

「そう……かも?」

「そうだと思うぜー」


 うんうん、と、トレイターはなにやら一人納得すると、ティアの髪の毛を一房、掬い上げてきた。


「それにしても、きれいな子だなぁ。肌も白いし、陶器みたいなっていう文句がしゃれにならないっていうか」


 言いながら、さらさらと滑らかな金髪に指を絡ませると、ティアの頬に指先を滑らせてくる。撫でるというより、検分するような手つきにティアが身じろぎしていると、トレイターはティアの顎に手をかけた。冷たい指先が桜色の唇にそっと触れる。


「天然の金髪碧眼っていうのもかなり貴重だよな……顔も綺麗だから、きっと売れるかな」


 ──売れる?


 ものすごく場違いな単語が混じった気がして、聞き返そうとした矢先。

 ぐらり、とティアの視界が傾いた。


「え……?」


 寝台の上に倒れようとする寸前、トレイターが腕を伸ばしてティアの身体を支えてきた。


「っと」

「ご、ごめんなさい……」


 その腕につかまって一人で立とうとするも、手足はしびれたように力が入らない。


「ああ、ごめんごめん。思ったより効きが良かったみたいだな」

「効き……?」

「さっきの飴、おいしかったでしょ」

「飴って……。──え?」


 一瞬、なんのことだかわからず、遅れてトレイターの言葉の意味を理解し、ティアの丸い瞳が見開かれた。エルスの台詞が脳裏を横切る。


 ──特にここは旧市街だ。あんまり治安もよくないからな。ひどい目に遭うことだってある。


 ふ、と目の前を影が覆った。仰向けのまま、トレイターを見上げる形になり、その向こうに天井が見えたところで、ティアは自身がやんわりと寝台に押し倒されたことに気づく。


「暴れられると面倒だったからさあ。ちょーっと薬に手伝ってもらっていうか」


 言いながら、トレイターが寝台に乗り上げてきた。戸惑い顔のティアを見下ろし、変わらず愛想良く笑いかけてくる。


「大丈夫だって。ちょっと身体を調べさせてもらうだけだから。大人しくしてくれればすぐ終わるさ。ね?」


 そこで、ティアもようやく状況を把握する。

 もしかして、自分は目の前の青年に品定めされようとしているのか?


「……や、めてくださいっ!」


 抵抗するも、トレイターは鮮やかな手つきでティアの両腕を一つにまとめ、そのまま寝台に縫いとめた。どこから取り出したのか、手触りのよい布でティアの手首を縛り上げ、細い足を割らせてスカートに膝をつく。


「待っ──」


 とっさ、逃げ出そうと身を捩りながら声を上げようとし。

 瞬間、薄っすらと冷えた目をしたトレイターが、強引にティアの口を塞いだ。膝をティアの腹に突き立て、体重をかけながら圧し掛かってくる。


「……っ、っ…~~~っ!」


 内臓が押しつぶされる強烈な痛みに息が口を割る。だが、口を塞がれて、まともに悲鳴を出すことも許されない。痛みに腹を折ろうにも、それすらもスカートの上から押さえつけられてるせいで叶わない。

 と、トレイターは、ぱっと膝と手を外した。ごほ、とティアが咳き込む。


「ああ、ごめんごめん。けど俺もさ、女の子を痛めつけるのは趣味じゃないからさ、大人しくしててくんないかな。そしたら、手荒な真似しないで済むから」


 トレイターが悪びれなく言ってくるも、ティアとしてはそれどころではない。痛みに生理的な涙を浮かべながら、抵抗する気力を失い、ぐったりと寝台に身体を沈ませる。


「それとも……」


 ぎしり、と寝台から嫌な音。何かと思えば、ティアの身体の脇に手をついたトレイターが、ゆっくりと覆いかぶさっていた。


「……痛いほうがお好みかな?」


 その底知れぬ笑みに、ティアはぞっと芯から冷えていくのを感じた。喉の奥が凍りついて、ついには動けなくなる。

 そうして、静かになったティアに気を良くしたらしい。トレイターが笑顔で頷いてくる。


「ん、いい子いい子。そのまま大人しくしてろよー」


 そう子供をあやす要領でティアの頭を撫でると、ティアの上に跨ってきた。慣れた手つきで服のボタンを次々と外し、そのシャツを無造作に開く。


 ひゅう、と、口笛の音。


「……っ」


 ティアは肌を撫でるひんやりとした空気に、思わずふるりと身体を震わせた。

 シーツの上、真っ白い肌を晒したティアを、トレイターがどこか感心めいた目で見下ろす。


「へーえ? こいつはまた……」


 呟き、トレイターは少女の裸身にまとわりつく金髪をのけた。下着を外し、ほっそりとした白く華奢な肢体に一つ一つ触れた後、笑みを歪ませ。


「──踏み荒らしたくなる白さって、こんな感じなのかな?」


 そう言った手が、さらに下に伸びた時だった。


 刹那。


 風を斬る鮮烈な音。高速で飛来した細身のシルエットが、トレイターの前髪をかすり、派手な音を撒き散らして窓枠に激突する。反動で震えるそれは銀色のナイフ。


 ティアとトレイター。二人の動きが停止する。


 先に硬直状態から立ち直ったのは、トレイターだった。ぎぎぎ、と油切れの機械のように、扉の方、刃の飛んできた方向へ首を動かす。

 遅れてティアも首を扉の方へ向け。


「ああ、悪い。手がとち狂って」


 平然とした声。鳥の飛べない蒼。

 そこにはいつの間にか、エルスが開かれた扉の前に立っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る