29.肉
私は肉があまり好きではない。
それは昔、いつだったかは忘れたけどとある事件を知ってからだった。
世間をしばらくの間、にぎわせた残虐な事件。
とある学生が自分の知り合いを殺して、その肉を食べてしまったというのだ。
何故なのか。
色々な評論家や有名人は、意見を交わしていたが結局本当の事は分からずじまいだった。
それは犯人である男性が、死んでしまったからに他ならない。
自殺だったのか、他殺なのか、それとも自然死か。
確かな情報は得られず、いつしか人はその事件を忘れていった。
しかし私は、幼い頃にそのニュースを見た時から一度たりとも忘れられなかった。
肉。
肉を食べるという行為の後ろに、犠牲になったものがあると思ったら気持ちが悪くなってしまい、口にすることはおろか見ることも出来なくなった。
だから私はそれ以来、一切肉を口にしていない。
そして10数年、特に体におかしな所はないし困ることも起こってはいない。
友達と一緒のものが食べられないが、それは別に辛いと思わなかった。
肉を食べるなんて、おぞましい行為をするよりはマシだ。
しかし最近知り合った、知り合いの佐藤がその事でからかうようになった。
「ねえ、なんで肉食べないの?すっごい美味しいのに。もったいない。」
私が相手にしないと分かっているのに、毎回食事を仕方なく一緒にするたびに言ってくる。
私は無視をして野菜などを食べるのだが、彼女の口は止まらず、時には恐ろしいことに食べている皿に肉をのせてくるのだ。
どんなに怒っても、ひょうひょうとした顔で全く反省しない。
それなら食事をしなければいいと思うかもしれないが、彼女とは仕事の都合上どうしても月に数回食事をする必要がある。
その時間はとても苦痛で、私は終わった後いつもお腹が痛くなってしまう。
そして今日は、苦痛な時間の食事会だった。
相手のリクエストで、まさかの焼肉。
嫌がらせとしか思えないチョイスに、私は行く前から嫌になっていた。
それでも断る事は、今の私の立場では出来ない。
しぶしぶ約束の時間まで、胃を痛めながら待つしかなかった。
「お待たせ。」
それから少し経って、待ち合わせ場所に佐藤は来た。
いつもの様に軽薄な笑みを浮かべて、時間に遅れているのに悪びれていない。
私はその時点で嫌になっていたが、無理やり作り笑いを浮かべた。
「今日もよろしくお願いします。」
怒らないように怒らないようにと自分に言い聞かせて、私は中へと案内する。
佐藤はきっと、私の考えていることなんてお見通しだろうけど、それに気が付かないふりをして大人しくあとをついてきた。
店の中に入ると、当たり前だが肉の焼ける匂いが鼻について気分が悪くなりそうだった。
しかし口呼吸に切りかえて、私は事なきを終える。
席についた佐藤は、早速店員に色々な種類の肉を頼み始める。
それを聞いているだけで、また気分が悪くなってきて私はメニューの肉以外のページを見た。
サラダやデザートを見れば、少しは落ち着く。
その中からサラダを1つと、店のおすすめだという杏仁豆腐を頼んだ。
注文したものが来るのを待つ間に、仕事の話を簡単に終える。
そうすると佐藤は、こちらをニヤニヤと嫌な顔で見てきた。
「私の顔に何かついていますか?」
ずっと見られることに耐えきれなくなり、私はいやいや話しかける。
彼女は表情そのままに、何故か何も言わない。
そのあんまりな態度にカッとなってしまいそうになるが、ちょうど料理が運ばれてきて有耶無耶になってしまう。
佐藤はそちらに関心を向けて、肉を焼き始める。
匂いが一気に顔全体にかかり、私は少し咳をした。
しかし佐藤に心配はされたくないので、何も言わず一緒に運ばれてきたサラダとデザートに手をつける。
サラダもそうだが、デザートがお勧めしているだけあってとても美味しい。
私は機嫌を直しながら、舌鼓を打っていた。
そして特に話す事なく、あらかたの料理を食べ終える。
今日は珍しい事に、肉を押し付けられる事は無くいつもよりはまだ楽だった。
私は空になった食器を脇に寄せて、佐藤に向き合う。
そうすれば佐藤も同じような行動をして、テーブルの上に肘を置いた。
その行儀の悪さに対して、特に何かを言うつもりはない。
私はさっさと解散しようと、席を立ち上ろうとした。
しかし佐藤はそれを止める。
「もうちょっとお話しましょうよ。」
本当に嫌だった。
それでも断れなくて、私は諦めて席に座る。
「何でしょうか。えっと、お時間も結構遅いと思うんですけど。」
早く終わる様にとは思ったが、引きとめてまで話す内容が気になってくる。
私は目の前の、未だに燃えている網の中を見つめた。
佐藤は静かに、それでもはっきりとした口調で話始めた。
「あなたの肉嫌いって相当よね。前に聞いたけど、とある事件からトラウマになって食べられなくなったとか。」
「はい、そうですけど。」
本当に何を話したいのだろうか。
私は警戒しながらも、返事をする。
そうすれば佐藤は急に、勢いよく笑う。
周りの視線がこちらに突き刺さり、それが恥ずかしいのと何で笑われたのか分からなくて私は彼女を止めようとする。
しかし私がどうにかする前に、また急に話すのを止めた。
「あはは、おかしい。本当におかしいわ。」
「何がですか?」
この人が怖い。
私は言い知れない今日を感じながら、気分が悪かった。
苦手な人と食事をして、しかも分からないけど馬鹿にされて、何で私がこんな目に合わなくてはならないのか。
憤りが止まらなかった。
それでも何とか抑えて、私は静かに問いかける。
彼女は私を面白そうに見つめた。
「だって今食べた杏仁豆腐、ゼラチンで出来ているのよ。それって豚から出来ている可能性もあるでしょ。」
「は……。」
私は言われた意味が、すぐに理解できなかった。
そして理解した瞬間、胃の中から何かがあふれそうになって口を抑える。
「知らなかったの?そういうものって、たくさんあるじゃない。言わなかったけど、今までもたくさん食べていたわよ。」
「うぐっ。」
抑えるのに必死で、彼女に対し答える事は出来ない。
そうしている間にも、佐藤は言葉を重ねる。
「だから私が言いたいのは、あなたのそれは気持ちの問題って事。本当にトラウマだったら調べるでしょ、そのぐらい。周りに心配されたくて、注目を浴びたくてやっている部分もあるでしょ。」
言いたい事だけ言って、佐藤はテーブルにお金を置いて去っていった。
私は結局、何も言う事は出来ず気持ち悪さと戦う。
ようやく落ち着いた時、私の目の前に何故か肉が置かれた。
私は持ってきた店員に間違いじゃないかと聞いたが、佐藤が頼んだものらしい。
それを見つめながら、気が付けば私はそれを焼いていた。
ちょうどいい焼き加減は分かっている。
私は綺麗に焼けた肉をタレにつけて、口に運んだ。
口の中で咀嚼をし飲み込んだ時、私は察した。
確かに佐藤の言う通りだった。
それなら今までの私の人生は、一体何だったのだろう。
答えの出ない問いかけを目の前にして、私は迷子になった子供の様に途方に暮れていた。
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