19.優しさ





 人の優しさなんて良いもんじゃない。

 私はそれを素直に受け止められなかった。



 学校でもそうだ。


「このみちゃん。今日は日直だよね?もう1人の子休みだから、手伝ってあげるよ。その代わり今日の放課後、先生の手伝い代わって!」


 善意で言っているように見えて、その目的は別にある。

 断る暇なく、言ってきた子はどこかへ行ってしまう。


 私は文句を言うことも出来ずに、大きなため息をついた。



 今まで優しさを向けてくる人達は、みんな対価を求めてくる。

 それを返さなかった時に、理不尽にも怒られる。


 意味が分からないし、私は優しさなんて求めていない。

 勝手にやって勝手に進めて、本当に嫌だった。




 だから私は、優しさなんていらない。





 私の中で、優しさのいらない筆頭がお母さんだった。


「このみちゃん。新しい靴が欲しいってお父さんと買いに行こうとしていたけど、買っておいたわよ。これでしょう?雑誌に載っていたものって。」


「そうだけど。買いに行こうとしてたんだから、別によかったのに。」


「お父さん、たまの休みだからゆっくりさせてあげなきゃ。だから他の買い物は私と行きましょう?」


 またか。

 申し訳なさそうにしながらも、有無を言わせない雰囲気のお母さんに私はイラッとする。


 はっきり言えばいいのに。

 お父さんを私に取られたくないって。



 昔からお母さんはいつもそうだった。

 私がお父さんと関わろうとすると、いつも横槍を入れる。

 口では私のためのように言うが、嫉妬をしているのだというのは分かっている。


 それを顔だけは申し訳なさそうにするから、余計にイライラしてしまう。





 お父さんは好きだ。

 優しくて、好きなものをなんでも買ってくれて、格好良い。

 お母さんが大好きなのはセンスが悪いと思うが、結婚しなきゃ私が生まれなかったから我慢する。


 いつだって私が困っていると、すぐに相談に乗ってくれて、周りにいる人の中でお父さんだけは信じられる。




 そんなお父さんが、ある日とても落ち込んだ顔でリビングにいた。

 学校から帰ってきた私は、心配になってお父さんの隣に座り聞く。


「どうしたの?お父さん。何かあった?」


 思いつめた雰囲気のお父さんは、私を見てくしゃりと顔を歪めた。

 そして私を引き寄せる。


「お、お父さん?」


「落ち着いて聞いてくれ。お母さんが、お母さんが、末期のガンでもう長くないって。」


「え?」


 抱きしめられた驚きでワタワタとしていたが、その言葉に目を見開く。

 ガン。お母さんがガン。しかも長くないって。


「お母さんは治療をしたいって言ったけど、もう手遅れだとお医者さんが。だから自宅で最期の時間を過ごす事になったんだ。」


 体を震わせるお父さん。

 私の肩がどんどん濡れていくのを感じながら、ずっとその背中を撫で続けた。



 しかし私は、お母さんがそんな事になって悲しいとは全く感じなかった。





 それからの生活は、私にとって心の余裕があった。

 お母さんがどんなにお節介な優しさを発揮しても、怒ることもなくむしろ甲斐甲斐しく世話をした。

 そんな私に対してお母さんは、時々何かを言いたそうなもどかしい顔で見てくる。


 しかし、それを私は無視をした。


 段々と弱っていくお母さんに、同情の気持ちが無かったわけではない。

 ただ変に構ってイライラしてしまい、八つ当たりしてしまう方が可哀想だと思う。



 だから当たり障りのない対応をしなが時間を過ごし、とうとうその日が来てしまった。





 病院でお医者さんに囲まれるお母さん。

 私とお父さんは脇で、お母さんの手を力強く握っていた。


 意識が途切れかけているその姿は、見ていて痛々しい。

 私は何て声をかければいいか分からず、ただただ手を握った。



 そしてお母さんの目が閉じられるその瞬間、私の目をまっすぐ見て小さな声で囁いた。


「……このみ……日記……。」


 ピーという甲高い音。

 周りのお医者さんがバタバタと動き回り、暗い顔でお父さんに言う。


「ご臨終です。」


 お父さんは、お母さんに元に倒れこみ大きな声で泣いた。

 私はその背中をさすって、少しだけだが涙をこぼす。


「大丈夫だよ、お父さん。私がお母さんの分も、お父さんを助けるから。」


 泣きながらお父さんは私の顔を見上げ、酷い顔で何とか笑おうとした。


「ありがとうなっ、このみ。父さんも頑張るから。」


 そしてしっかりと抱きしめ合い、これからの未来を支え合おうと誓い合った。





 それから何日か経った。

 お母さんの通夜も葬式も済ませ、言葉は悪いがようやくひと段落した。


 病室で誓い合った通り、私とお父さんは支え合って生活している。

 家事をきっちりと分担して、必要な事はとことん話す。


 もしかしたらお母さんがいた時より、私達は上手くやっているかもしれない。

 お母さんの死は悲しいが、私は今の生活の方が楽しかった。



 そんな中で、それを思い出したのはたまたまだ。

 お母さんが死の間際、言った言葉。


 日記の存在がどうしても気になってしまった。

 まだ遺品整理をしていなくて、それらしきものを見つけていない。

 でも最後に伝えようとしたそれを、無視するわけにはいかなかった。



 だから休みの日を利用して、お母さんの部屋の整理をする事にした。

 お父さんは仕事なので、私1人で何とかするしかない。

 汚れてもいい服。マスク。掃除道具と準備は万端だ。


「よし!やるか!」


 気合を入れて、私はまずは机から整理を始めた。



 数時間が経った頃、私はやっと日記を見つける。

 まさか押し入れの奥の奥の方にしまい込まれているとは思っていなかったので、随分時間がかかってしまった。


 お母さんが好きだった黄色の表紙の日記は、昔から使っていたのか少しボロボロだ。

 埃っぽさも感じるが、ゆっくりと開く。


 中身は他愛の無い日常が書かれていた。

 特に面白みもなく少しがっかりしてしまうが、読み始めたばかりなのでまだ止めない。



 しかし半分を過ぎても、特に変わらないのでつまらなくなった私は一気に後ろのページを開いた。


 そして、ページ一枚を丸々使って書かれた文字に固まる。



『このみ。気を付けて。』



 殴り書きの様に、お母さんにしては雑な書き方は焦っていたからか。

 私に対してなのだが、身に覚えが無い。

 何に気をつけたらいいのか、前のページに書かれているかもしれない。


 私は恐る恐るページをめくった。

















 その前に、誰かに肩を掴まれて止められる。

 私は驚きすぎて、変な声を出してしまった。


 バクバクとうるさくなっている心臓を、抑えて私は振り返る。


「びっくりしたあ。もう帰ってきたのお父さん。」


 そしてほっと安心した。

 肩を掴んでいたのはお父さんで、私を見下ろして笑っていた。


「あのね。お母さんの日記を読んでいたんだ。お父さんも一緒に。」


「このみ。これは駄目だ。」


「え?」


 私はお父さんに日記を見せようとしたのだが、その前に日記を取り上げられる。

 驚いて呆然としてしまった私は、ただお父さんを見つめた。


「お母さんの日記なんだから、勝手に見ちゃ駄目だろ。たとえ死んじゃったとしてもね。」


「あ。えと、うん。」


 日記を持っていたカバンの中にしまい、お父さんはただ笑う。

 私はその笑みを見て、何だか寒気を感じた。


 それは取り上げられる一瞬の間に、日記に『お父さん』の字が書かれていたからか。

 ただの気のせいだといいけど、もしもそうじゃなかったら?



 でも怖くて聞けなかった。

 聞いてしまったら、もうお父さんの優しさを私は信じられなくなってしまう。


 それだけは駄目だった。

 だって本当に私を思って優しくしてくれたお母さんは、もうこの世にいない。

 誰も助けてはくれないのだから。






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