8

 見上げると、日が大分落ちたからか、空はどちらかと言うと紫色に近い色合いをしていた。辺りが見えづらくなってきている。


 お父さんとお母さんが暖簾をくぐっていく後ろ姿に続くように、建物の中に入った。

「いらっしゃいませ、三名様ですか?」

「はい」お父さんが答えた。

「カウンター席、テーブル席とございますが、どちらになさいますか?」

「どっちにする?」お父さんが、こちらを向いた。

「どうします?」お母さんに聞かれた。

「テーブルで良いと思う」

 お父さんは、店員さんに向きなおった後、

「じゃあテーブルで」

「かしこまりました。奥のテーブルにどうぞ」

 三人で奥のテーブルに進んでいく。


 思ったよりもお客さんがいる。ゴールデンウィークだから、みんなどこかに出かけているかと思っていたけど、遠出する人は少ないんだろうか?

 テーブルに到着すると、「どっちに座る?」とお父さんに聞かれた。

「じゃあ、こっちで」壁際の席に座りたい。

「私も、こちらで失礼しますね」

 お母さんが隣に座ってきた。その後、お父さんは通路側の対面席に座った。

 店員さんがお水の入ったコップを置いてくれた後、

「ご注文、お決まりになりましたら、お声掛けください」と言って戻っていった。

 とりあえず、二枚あったメニュー表を、目の前にいるお父さんと横にいるお母さんに渡した。

「ありがとう」

「ありがとうございます。一緒に見ましょう」

 おかあさんと一緒にメニュー表を確認し始めた。

 ふーん、普段、あまり外食をしないから定食屋は定食専門かと思ってたけど、以外にメニューが豊富で驚いた。丼物もあるんだ。

「僕は、ハンバーグ定食で」

「じゃあ、私はサバ味噌定食にします」

 二人とも、決めるのが早い。こういう時、何を注文するのが適切なんだろう。

 注文に迷った場合、メニューを見た時に最初に目に入ったものを選ぶべし、とどこかで聞いたことがあるし、「唐揚げ定食」

「全員決まったね。すみません」お父さんが店員さんを呼んだ。

「はい、お伺いします」店員さんがやってきた。

「ハンバーグ定食とサバ味噌定食と唐揚げ定食をお願いします」

「かしこまりました。ご注文のほう、繰り返させていただきます」

 店員さんが注文内容を繰り返してくれた後、

「以上でよろしいでしょうか?」

「はい、お願いします」お父さんが首を縦に振った。

「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」

 店員さんは軽くお辞儀をした後、戻っていった。

「もしかして、このお店に入るのは初めて?」

「そうだと思います。以前から気にはなっていたんですけど、入る機会がなかったですね」

 お母さんがお水に口をつけていた。

「今日は動植物園に、このお店。初めてづくしだね」

 お父さんが顎をさすっている。気分が良いんだろうか?

「なんだか、嬉しそうですね?」お母さんが聞いていた。

「そう? うん、もしかしたら、嬉しいのかもしれない」


「何か良いことあった?」お父さんに話しかけた。

「知らないものに触れるのは脳に良いそうだよ」

 お水を一口飲んだ。

「初めてのものに触れることができて嬉しいということ?」

「そういうこと」

 相変わらず、回りくどい。

「お父さんも動植物園楽しかった?」

「うん、自分の見識の狭さを実感させられた。特に植物のほうは目新しい発見がたくさんあって、楽しかったよ。何より、植物園の雰囲気がすごく気に入った。

 静かな場所なら他にもあるけど、視覚、聴覚、嗅覚を閉じないで落ち着けられる場所は少ない。

 あの場所を見つけられただけで、今日出かけた甲斐があった」

「そこまで良かったの?」

「すごく良かったよ。予想外の発見だったというのもあるけれど、あそこで食べたお母さんのお弁当が、心なしか、いつもの三、四割増しで美味しく感じたよ。

 ただ、家から離れすぎているのが、あまりにも痛いね。解決手段は、あの植物園を家の近くに再現することなんだけど、手入れのことも考えると難しいかな。

 そういえば、あそこの植物園は動物園と比べると人気がないのかな? 人があまりいなかったけど」

「植物園はそういうものじゃないの? 動物園より人気のある植物園なんて聞いたことないよ」

 植物園は動物園のおまけというイメージがある。

「ふーん、そういうものなんだ。人が少ないほうが好都合だから良いけど」


「話が飛ぶけど、お父さんのやってるゲーム、そんなに面白いの?」

「うん、おもしろいよ。綺麗すぎないのが良い」

「おまたせしました。サバ味噌定食と唐揚げ定食のお客様」

「前の二人です」お父さんが答えた。

 サバ味噌定食と唐揚げ定食がテーブルに置かれた。

「少々お待ちください」店員さんは戻っていった。

「お先にいただきますね」お母さんは言いながら、手を合わせた。

「二人とも、先にどうぞ」お父さんが言った。

「いただきます」

 手を合わせた後、さっそく唐揚げを一つ、箸で掴んで、口に入れた。

 大学の唐揚げ定食より好きな味付けだと思うけど、おいしいのかどうかは、いまいちわからない。

「おいしいですね。レシピを知りたいです」お母さんが呟いていた。

「おまたせしました。ハンバーグ定食でございます」お父さんの前に定食が置かれた。

 伝票らしきものがテーブルに置かれた後、

「ごゆっくり」と言って、店員さんは去っていった。

「じゃあ、僕もいただきます」お父さんは手を合わせた。

「唐揚げ、一つもらっても良いですか?」お母さんに聞かれた。

「うん、いいよ」お母さんのご飯の上に、唐揚げを一つ置いた。

「ありがとうございます」

 横にいるお母さんをちらりと見て観察していると、何やらつぶやき始めた。

「うーん、こちらもおいしい。甘めの味付けの中にあるほのかな辛みが良いアクセント……」

「お父さんのハンバーグ、一切れもらっても良いですか?」

「どうぞ」お父さんが、ハンバーグの一切れをお母さんのご飯の上に置いていた。

「ありがとうございます」

 お母さんがハンバーグを食べるところを、横目で見た。

「甘めのソースの中にあるささやかな酸っぱさが良いですね」

「うん。ここのハンバーグ、おいしいね。初めて食べるような味だけど、すごく好きだ。このお店、灯台下暗しだったね」

「そうですね。灯台下暗しでした」

「好きだけど、こういう味付けは初めてだから判断が難しい。ハンバーグだったら、和風ソースが一番好きだったんだけど、甲乙がつけがたいな」

「好きな一番が増えてよかったですね」

「うーん、そうだね。そういう捉え方もできるか」

 納得しているようだけど、両方とも一番って、おかしくないだろうか?

 二人が静かになって食べ始めたので、それに続くように黙々と食べ始めた。

「ごちそうさま」「ごちそうさまでした」

 二人とも、食べるの早い。というより、お父さんが早いのかもしれない。


「さっきの話だけど、最近のゲームはどんどん画質が良くなっているね。最初に見た時は驚いた。ああ言うのって、リアルシコウと言えば良いのかな?」お父さんに話しかけられた。

「リアルシコウ? 知らない。たしかに綺麗になってきたけど、なんかのっぺりしているというか、うまく言えないけど、区別がついちゃうよ。このまま、画質が上がっていったらわからないけど」

「うん、あの、フィルターを一枚通したような感じが最大のネックだね。

 画質が上がって、綺麗だと感じて、そこにリアルな雰囲気を感じはするけど、いまいち一線を踏み越えた感覚がしない。こっちの世界の延長線上にいるような感じがしている。なんでだろうね?」

「それは、テレビを通してゲームの世界を見ながら、コントローラーを握っているからじゃない?」

 とっさに思いついたのは、これしかない。

「じゃあ、目で直接見るのと同じような感覚を再現できたとして、今みたいなコントローラーでの操作がなくなったら、どう?」

「どうと言われても……」

 いきなりそんな話をされても、どう答えたら良いかわからない。

「こっちとあっちの境を作る膜は、何でできているんだろう?

 僕が、あのゲームをおもしろいと思ったのは、なんの意味もないお皿などの小物オブジェクトを配置していることなんだ。おまけに、それを動かしたり、手に入れることができる。そういう部分にリソースを割かれているのが、おもしろい。

 それにそういうものが、適当なところに無意味そうに置かれているんじゃなくて、適当なところに、それとなく、意味が感じられるように置かれているのが良い。

 そういう配置のされ方をしていると、意味のないオブジェクトも、そこに置かれているだけで意味が生じるようになる。

 そういうアプローチで、ゲーム内世界への没入感度を上げられるように工夫されているのがおもしろいな、と思った。

 移動しているだけで、想像が膨らむゲームは久しぶりだよ。

 後、攻略方法が一本化していないのが良いね。その結果、寄り道が多くできるようになってお使い感が増しやすくなったけど、これは仕方ないかもね」

 一息にこんなに喋るとは。

 ここまで饒舌なお父さんも珍しい。今日は本当に気分が良いのかもしれない。

「それ、ゲーム会社に感想として送ったら?」

 正直、途中からついていけなくなっていたからか、投げやりな言葉になってしまった気がする。

「今のは全部素人の意見だからね。どんなものにも専門の批評家の人がいるし、素人が容易に思いつくことなら、その人達が世に放ってくれるよ」

 お父さんはグラスに入った、残り少ないお水を飲んでいた。


「そろそろ、帰りますか?」お母さんが言った。

「そうだね」お父さんが返した。

「うん、ごちそうさまでした」手を合わせた。

 お母さんにお会計をしてもらった後、定食屋さんの引き戸を開けて、外へと続く暖簾をくぐった。


 すっかり夜になっていて、空は、黒く暗くなっていた。

 お父さんとお母さんが、後ろから通り過ぎていく。

「夜は肌寒い」呟いて、前を歩いていく二人を見据えていた時に、ふと、思った。

 お母さんは、お父さんといて楽しいのかな?

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