第二章 2
次の日、珠代は朝から「仮の仕事」に追われていた。今までも派遣社員という肩書きでいろんな現場に送り込まれてきたが、この会社の仕事の忙しさは一、二を争うものだった。
……それにしてもボズはどうやってターゲットのいる場所へ私たちを送り込んでいるんだろう?
こうして「仮の仕事」をしているといつも珠代はそんな疑問を覚えた。
ターゲットの職場や良く行く店などに自分たちをバレないよう送り込む。言うのは簡単だが、一体どんなネットワークを持っていれば、そんなことができるのか、見当もつかなかった。
やっぱりボズは生きる都市伝説だ。
そんなことを考えながらも目の前の業務に追われ、それでも珠代は鉾本のことが気になっていた。ちらちらそちらを伺ってみたが、なかなか話し掛ける暇がなかった。時間だけが過ぎ、終業の時間が迫ってくる。それと共に「今日こそは」という珠代の決意は鈍っていった。
今日は無理そうかな?
珠代は半分諦めかけていた。パソコンの画面の時刻を確認する。終業のチャイムが鳴る一分前。
「さあ、鳴るぞ」と思った瞬間。
「鈴村さん、あの、ちょっと」
心臓が飛び出すかと思うほど珠代は驚いた。案の定、振り返った先には申し訳なさそうに笑顔を浮かべる鉾本が立っていた。ドキドキが止まらない。また不意を突かれた。
こ、こいつー! 絶対、わざとだー!
珠代はそう確信した。
「昨日言っていた相談事、今日、これからじゃ駄目ですか?」
「えっ、ああ、か、構わないですけど」
自分から仕掛けたことなのになぜか慌ててしまった。それが珠代は悔しかった。
「じゃあ、昨日と同じ店でいいですか? 少し遅れますけど今日は必ず行きますから」
「はい、わかりました。よろしくお願いします」
「じゃ、後で」
彼の背中を見つめながら珠代は必死に気持ちを立て直した。
ラブデュエルは気持ちと気持ちをぶつけ合う決闘だ。自分の魅力を最大限アピールし相手に好意を持たせる、その基本に立ち返ろうと珠代は決意した。
会社を出て店へと急ぎ、店員に待ち合わせだと告げた。昨日と同じ部屋に通され、彼を待った。完全に昨日のリプレイだった。ひょっとしたらここから一時間待たされ、またメールが来て……。そんな事を考えていると店員から声が掛かった。
「お客様、お連れ様がお見えになりました」
珠代は思わず身構えた。店員の後ろから鉾本が顔を出したのだ。彼が座敷に入ってくる。つまりそれは二人がラブデュエルシステムの有効範囲に入ったということだった。
鉾本が席に着き注文を終えるとついに戦闘が始まった。
珠代のターン。
「あの、今日はありがとうございます。お忙しいのに付き合って頂いて」
「付き合って」の所をわざと強調してみた。鉾本の表情に注意していたが特に反応はなかった。
……ちっ、「効果無し」か。
鉾本のターン。
「いや、私の方こそ昨日は本当に悪かったね。待たせた挙句、約束を破ってしまって」
彼は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。珠代はそれにどきっとした。やばいと思って下に置いていたスマホを見たがラブデュエルは反応していなかった。好意とまではいかないと判断されたようだ。ほっとすると同時に不思議に思った。
どうしてこの人は私みたいな年下の異性にまで頭を下げることができるの?
色々なタイプの中年男性を珠代は見てきたが、こんなにも素直に非を認めてくれる男はなかなかいなかった。
ダメージは受けなかったものの見えない罠を仕掛けられたような気がした。そういう意味でこのターンは自分の方が負けていると珠代は思った。
珠代のターン。
「あの、私、鉾本さんが仕事をしている所をいつも見ているんです」
負けてばかりはいられない。珠代は「あなたのことが気になっている」ということを暗にアピールしてみた。しかし彼の反応はいまいちだった。
「えっ、私の? 私はお手本になるほどの仕事はしてませんよ?」
確かに鉾本はお世辞にも目立った仕事をしているタイプではないが、「そうですね」と言うわけにもいかない。謙遜に見せかけたカウンター攻撃なのだろうか? 考え過ぎ? 考えれば考えるほど珠代はわからなくなった。
「そ、そんなことないですよ。堅実でミスのない仕事振りにいつも感心しているんです」
「いや、そう言ってもらえると嬉しいな」
言葉ではそう言っていたが彼のラブデュエルは反応しなかった。顔が赤いのは好意ではなく単なる照れのようだ。なんと硬いディフェンスなんだろう。
鉾本のターン。
「そう言う鈴本さんこそ若いのに仕事熱心だってみんな感心してますよ」
……みんな、ね。鉾本さんが、じゃなくて。
一瞬そう思った自分に気付き、珠代は「しまった!」と思った。何を残念がっているんだ、自分は。
「いえ、自分なんかまだまだです。ミスも多いですし……」
反撃どころか、そう言うので精一杯だった。くっ! 次こそ何とかしないと……。
珠代のターン。
「あの、鉾本さん」
珠代はここで勝負に出ようと思った。これ以上相手のペースに乗れば勝ち目はない。
「はい、何ですか?」
「折角こうして二人っきりでお話しできる機会ですし、鉾本さんのことを、私、もっと知りたいんですけど。いろいろ教えて頂けませんか?」
「私のことを? 知りたいというのはどういう……」
鉾本が怪訝そうな表情を浮かべた。いくら鈍い鉾本でも女性にこんなことを言われて何も考えないわけがない。きっと目の前の自分を女性として意識してくれるはずだ。珠代はそう考えた。
いいぞ、追い打ちを掛けるなら今だ!
「鉾本さん、私、あなたの……」
「失礼します」
珠代は驚き、「ことが気になってっ……」を言い掛けたままガバっと振り向いた。にこやかに女性店員がこちらを見つめていた。
「ご注文の品物をお持ちしました」
そう言った彼女はテーブルにジョッキや皿を置き始めた。
「何ですか、鈴村さん?」
「えっ?」
店員はまだ引っ込まない。今、「何ですか?」と言われても困る。
「あっ、ああ、鉾本さんって、今の会社に勤められて長いんですか? それをお聞きしたくて」
うわあ、どうでもいいことを聞いてしまった。珠代の計算は完全に狂った。そこでふと考えた。
まさか、これも鉾本の計略なのではないか?
ここに入ってくる前にあの店員にチップを渡し合図を送ったら注文の品を持って来させて会話の邪魔をさせる。第三者を使った高度な計略。心の中でにやっと笑う鉾本。珠代の頭にそんな妄想が浮かび上がった。
「ああ、なんだ、そんなことですか。私は今の会社に入って三年くらいですね」
えっ、三年? 咄嗟にした何気ない質問だったが思わぬ答えが返ってきた。
「あれっ、今の会社、もっと昔からいらっしゃるのかと思ってました。以前はどんな仕事を?」
「え、まあ、そうだな、システムエンジニアみたいなことかな?」
「えっ、そうなんですか?」
意外だった。鉾本がそんなにコンピューターに強いというイメージはない。
「失礼ですけど、今のお仕事って、そういうのとはあまり関係ないですよね?」
「うん、まあ、前の仕事に疲れて、それで今の仕事に転職したからね」
「へえ、そうだったんですか」
会話を続けながら珠代は鉾本の顔色をじっと伺った。わずかだったがその顔色が変わったのを、人の表情を読み取る訓練を受けていた彼女は感じ取った。どうも昔の仕事のことはあまり話したくないらしい。
意外な展開だったが、ひょっとしたらこれが鉾本攻略の鍵になるのかも知れない。
そう思った珠代は一気に畳み掛けることにした。
「そんなに大変だったんですか、システムエンジニアって」
「えっ、あ、まあ、そうだね」
「休みなく働かなくちゃならないとか、そういうことですか?」
「うん、そういうこともあるけど……。でも、私は仕事自体は嫌いなわけじゃなかったんだ。仕事自体より上の方との考え方の違いみたいなことが大きかったね」
また意外な答えだった。珠代の抱く鉾本の印象は上司には絶対逆らわず言われたことを確実にこなすだけの人間というものだったからだ。上司と意見が合わず前の会社を辞めたなんて信じられなかった。
「失礼ですけど、どんな会社だったんですか?」
「あ、名前はちょっと……。まあ、今はそこそこ大きい会社ですよ。僕が入った時はまだまだ小さなベンチャー企業でね。自分の成長が会社の発展とシンクロしているような気がして一生懸命だったんだが、ふと気が付いてみると自分のしたかったことと会社の方向性がずれて来ていたんだ。簡単に言ってしまうと私は子供だったんだな。自分が面白いと思ったことをやっていただけだったんだけど周りはそうじゃなかった。人を蹴落しても傷付けても利益さえ出ればいい、気が付いたら周りはそんな連中だらけになっていた。まあ、会社というのはそういうものなんだろうけどね。……おっと、つい愚痴になってしまったね。この話は終わりにしよう」
そう言った鉾本はビールをぐっと飲み干した。見る見る顔が赤くなる。新人歓迎会ではあまり見なかった姿だった。これ以上前の仕事のことを話すつもりはないらしい。仕方なく珠代は切り口を変えてみることにした。
「あの、もう少しプライベートなことを聞いてもいいですか?」
「まあ、答えられる範囲ならね。際どい質問はノーコメントだよ」
いたずらっぽく鉾本が笑った。やはり少し酔っているようだ。
珠代はチャンスを感じた。
「……奥様とはどこで出会ったんですか?」
珠代は核心を突く質問をしてみた。
「あー、やっぱりそれを聞くんだね。会社でみんなが噂しているのは知っているんだ」
照れ笑いを浮かべる鉾本はまんざら嫌がってもいないようだった。
「すごく若くて綺麗な奥様なんでしょう?」
早希に見せてもらったことがある写真が珠代の脳裏に浮かんだ。
「親娘くらい離れているからね。うわさ話の種になるのは仕方ないか。ああ、出会いの話だったね。あれは四年前かな? 丁度、その当時は前の仕事で悩んでいた時だった。何気なく、ふらっと入った店で彼女が一人飲んでたんだ、泣きながらね」
「泣きながら?」
「つい気になって話し掛けたら彼氏に振られたばっかりだって」
あの女にそんな可愛げがあったのか。
「いろいろ話を聞いているうちに意気投合しちゃってね。それからよく一緒に飲むようになったんだ。彼女が言うには『今まで顔だけしか取り柄がない男とばっかり付き合ってきたから、おじさんみたいなの新鮮なんだよね』って」
確かにあの女が言いそうなセリフだった。
「それで結婚まで?」
「成り行きかも知れないな。お互いがなんか一人でいるのが寂しくなって寄り添ってみたら、ああ、結構いいな、みたいな感じだったのかもね」
「あの、失礼ですけど付き合っている間、ラブデュエルはどうだったんですか?」
唐突かも知れないとは思ったがつい好奇心が優ってしまった。
「ラブデュエル? ああ、どうだったかな? 互いに何度かポイントを取ったような記憶はあるけど」
「何度か? フォーリンラブはどちらが先に?」
「してないけど」
へっ?
「えっ、あ、あの、してないっていうのは?」
「うん、前も言ったけど私はラブデュエルそのものをあまり信じてないんだ。所詮おもちゃの延長線上の物としか思えないからね。彼女も『結婚しよう』って言ったら『ああ、いいよ』って感じだったし」
珠代は唖然とした。今の時代、ラブデュエルが判定した互いの「フォーリンラブ」が結婚の大きな条件になっていたからだ。フォーリンラブ判定が出ていないカップルが結婚するなんて異例なことでほとんど聞いたことがなかった。
「驚いた? そんなにおかしいことかな? 私はやっぱり一昔前の世代だからね。私が若い時はこんなもの無かったんだから」
そう言って鉾本はちらっと腕時計型デバイスに眼をやった。
あれっ?
珠代は違和感を覚えた。彼の一瞬の視線に軽蔑のようなものを感じたのだ。
「うちの親父なんか『機械に人の心がわかるもんか!』ってよく言ってましたよ。私が『これは脳波を分析してそれで感情を判定している』っていくら説明しても納得してくれなくてね」
どうも鉾本はラブデュエルに良い想い出がないらしい。
珠代は話を変えることにした。
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