第二章 3




「そうですか。……あの、それで奥様ってどんな人なんですか?」


「そうだな、見た目は派手にしているし、わいわい騒ぐのが好きな性格なんだけど。本当はね、ただの寂しがり屋なんだ」

 

 そう言う鉾本の眼は優しかった。


「気まぐれで、うん、例えるなら愛想の良い野良猫ってところかな? 飼われるのは嫌だけどあっちこっちの家に顔出して可愛がられる子猫みたいな」


「えっ!」

 

 思わず珠代は悲鳴を上げた。「猫」という言葉にどきりとしたせいもある。


 でも、それってつまり……。


「お恥ずかしい話だが、まあ、そういうことだよ。『奥さん』なんて言われておとなしく一人の男のものになるような柄じゃないんだ、彼女という人間は」


「……ひどい」


「えっ、なに?」


「鉾本さんはそれでいいんですか!」

 

 自分でも驚くほど声が大きくなってしまった。それはわかっていたが珠代はどうしても止められなかった。あの女が結婚しても何も変わっていないと思うと怒りが込み上げてきた。鉾本はそんな珠代を驚いた表情で見つめていた。


「えっ、いや、別に私は……」


「なんで離婚なさらな……、あっ、ごめんなさい……」

 

 つい興奮しすぎて絶対に言ってはいけないことを言ってしまった。珠代の役目は鉾本を誘惑し自然に彼と富美が別れるように仕向けることであり、直接的に別れを促すような言葉を掛けることは許されることではなかった。もしそれが原因で二人が別れ、裁判沙汰になれば自分だけでなくラブマジシャン自体の責任問題になりかねないのだ。


「いや、鈴村さんの言うことはわかるよ。正論だし自然なことだ。でもね、別れてしまったら彼女が帰ってくる場所が無くなっちゃうじゃないか」

 

 珠代はまたもや唖然とした。

 

 この人、心から本気でそんなことを言っているの?


「彼女、出ていったまま、二、三日帰って来ないことが時々あるんだ。でも、大抵、十日もすると泣きながら帰ってくる。男にフラレてね。私の所しか帰ってくる所がないんだ」


「鉾本さんはそれで平気なんですか?」


「そうだね、私だって聖人じゃないから嫌な思いをすることもあるよ。でも、彼女の心の奥底の大事な部分を信じているんだ。ラブデュエルなんかでは測れない部分をね」

 

 珠代はまっすぐな鉾元の眼を見ながらあることに気が付いた。

 

 ……そうか、わかった、この人、ただ純粋なだけなんだ。

 

 珠代はずっと彼がなぜプロプレイヤーとして訓練を受けた自分から三度もポイントを奪えたのかを考えていた。彼が都市伝説となっている対プロではないかと疑い、彼の行動、言動が全て何かの罠に思えて疑心暗鬼に陥った。


 でも、それは間違っていたようだ。


 彼の言うことは一般の常識からあまりにかけ離れすぎている。彼が本当に対プロプレイヤーなら疑いを掛けられるような怪しい言動は慎むはずだ。つまり彼は自分の心に何の後ろめたさも持っていないということになる。


 卑下も慢心もせず等身大であることを自然と出来る人間。


 敵うわけがない。


 こちらがどんな戦略で挑もうと彼は純粋に彼であり続けるだけで一切揺るぐことがないのだから。


 ラブデュエルで駆け引きするのが当たり前の今時こんな人間がいるなんて……。


 そうか、きっと女性たちが惹かれるのは彼のこの部分なのだ。


「彼女の方から別れたいって言うまでは別にどうするつもりもないんだ。待っているのも結構楽しいものですよ」

 

 そう言って鉾本は笑った。曇りのないその笑顔。珠代の気持ちがすうっと動いた。

 

 ざしゅっ!

 

 かつて富美に盗られた元カレが使っていた苦い思い出の籠った効果音。


 スマホの画面に浮かび上がるいつもの文字。


 (プレイヤーは鉾本由男の笑顔に惹かれ11ポイントのダメージを受けました)


「あ、あれっ、す、すいません。また変なこと言って鈴村さんに迷惑を……」

 

 焦りながら薄い頭を下げる彼を珠代は見つめた。しかし不思議と今までのような怒りは覚えなかった。とても素直に自然と口が動いた。


「……いえ、今のは私の本当の気持ちです」

 

 珠代は自然に笑顔になっていた。異性に対して作り笑顔ではない心からの笑顔を見せるのは何年振りのことだろう。悔しいはずなのに不思議と清々しい気分だった。


「私、わかったんです。奥さんが惹かれたように、他の女性たちが惹かれたように、私も鉾本さんに……、鉾本さん?」

 

 珠代は、いつの間にか、じっとこちらを見つめている鉾本に気付いた。呼び掛けても彼はぽかんとしたままだった。

 

 ざしゅっ!


「えっ!」

 

 思わず珠代は音のした辺りを覗き込んだ。驚いた顔をした鉾本がその画面を掲げてみせてくれた。


 (プレイヤーは鈴村珠代の笑顔に魅了され29ポイントのダメージを受けました)


「ハハハ、私の逆転負けのようですね」

 

 鉾本はそう言って照れ臭そうに笑った。確かに珠代が取られてきたポイントは全部で28ポイント。今の一回で逆転したことにはなる。わずか一ポイントだったが相手を上回ったのだから目的は達成したということだ。


 それでも珠代は何かが違うと感じていた。たった一回の心の動きで人間の愛情など図れるんだろうか? ラブデュエルのプロとしてはあるまじき疑問を珠代は持ってしまった。


「あっ、そうだ、仕事の話でしたよね? すいません、何でこんな話になったんでしたっけ? それでどんな話を聞きたいんですか?」

 

 珠代はきょとんとした後、急に可笑しくなり「ふふっ」と笑った。


「えっ、何が可笑しいんですか?」


「ふふふっ、い、いえ、ごめんなさい。もう、いいんです」


「もう、いい?」


「あっ、いえ、充分参考になったってことです」


「参考? 今の話で?」


「ええ、とっても」


「はあ、そうですか、よくわからないけど……」


「いいから後は飲みましょう。上司の悪口でも酒の肴にして」


「アハハ、うん、まあ、鈴村さんがそれでいいなら」

 

 鉾本はまだ不思議そうな顔をしていたが珠代は一人で納得していた。「何で和紗さんってあんなにお喋りなんでしょうね?」とか、そんなどうでもいいことを話しながら鉾本と酒を呑んだ。ターゲットと一緒にいてこんなに楽しかったのは初めてだった。


 あっという間に時間が過ぎ会計を終えると二人は外に出た。


「今日はありがとうございました。おかげですっきりしました」

 

 別れ際、心の底から珠代は鉾本にそう告げた。


「はあ、それは良かったです」


「ええ、じゃあ、ありがとうございました。私、この後ちょっと寄る所がありまして」


「ああ、じゃあ、ここで。ではまた明日」


「はい。では、お気を付けて」

 

 ネオンの中、去っていく鉾本の背中を見ながら珠代はある決意を固めていた。





 少し遅くなったが珠代はいつものようにラブマジシャンへと向かって歩き出した。今日は忘れずに曲がり角で後ろを伺う。ビルに着きエレベーターで上にあがり事務所のドアを開けた。荷物を机に置いた珠代はわざと強く息を吐いた。その勢いのまま立ち上がった彼女は所長室のドアを開いた。


「おお、たまちゃん。今日は遅かったね、ご苦労さん」


「そう言うボズはどんなに私が遅くてもいつもここにいらっしゃるじゃないですか? 一体いつ休んでいるんだろうって、みんな心配しているんですよ」


「心配って言うより『机にいつも座ってるあれってきっと良く出来たロボットだぜ』とか『ボズって人と話しながら寝られるんだってさ』とかの悪口だろう?」


「賞賛ですよ」


「ま、そういう事にしとくか。それで随分すっきりした顔をしているが成果があったのかい? それとも……」


「どちらかというと『それとも』の方に近いです。説明します」

 

 珠代は今日の鉾本との会話の内容などを全てボズに伝えた。全てを聞き終わった彼は腕組みし「うーん」と唸った。


「そうか、純粋というか、邪念がないというか、そういう稀なタイプだと言うんだな、鉾本は。つまり今日おまえの誘いに乗ったのも策略とかじゃなく、女性と二人きりで会うことに後ろめたさや疑問さえ覚え無い人間だったからだと」


「はい、彼にはおそらくラブデュエルを使った工作なんて通じません。そんなことで心が動くような人間じゃないんです、彼は」


「そんなこと、か」


「あっ、いえ、そういうつもりじゃ……」


「いや、いいんだ。我々はラブデュエルを駆使するのと同時にそれを過信しないようにしなくてはならない。常に疑いの気持ちがなければ油断し、そこから失敗する」


「はい」


「それでどうしたらいいとおまえは思っている?」


「私は……、引こうと思っています」


「任務から降りたいということか」


「私だけじゃなく誰が受け持っても彼を落とすのは無理だと思います。それより依頼人には奥様、富美さんの本当の姿を伝えた方がいいんじゃないでしょうか?」


「つまり『あなたが狙っている女性は浮気性でどうしようもない女だから諦めなさい』とでも言えというのか。しかし、なあ……」


「それが異例なのはわかっています。依頼人が求めるならどんな事情があっても相手を別れさせる、それが我々の仕事ですよね。でも今回は無理をしても誰も得をしない気がします」

 

 それを聞いた所長はまた「うーん」と言ったまま黙り込んだ。珠代も静かに彼の言葉を待った。


 五分程、机を見つめていた彼は突然「よし!」と頷いた。


「そうだな、おまえほどの腕利きがそう思ったのなら間違いはあるまい。わかった、依頼人には俺から上手く話しておくから気にするな」


「ありがとうございます、ボズ」


「……それにしても、よく決心が付いたな」


「えっ、どういう意味ですか?」


「因縁のある相手だったんだろ? 他人に譲れないくらい」


「ボ、ボズ、知っていらしたんですか? ひょっとして蓮野先輩に?」


「違うよ。蓮野の口の堅さはお前も知っているじゃないか。言っとくが俺は誰でも雇い入れるわけじゃないんだぞ? それなりの調査をして信用できそうな奴しか部下にはしない」


「そうなんですか! じゃあ、今回、私と富美さんの因縁も知った上で……」


「おまえがプロの心を忘れ、恨みに溺れるようなら今回の担当から外そうとも思っていたが、自分から引くと言ってくるとは思わなかったよ」


「余計な心配をさせてすいませんでした」


「いや、おまえはよく頑張った。後は俺に任せて次の仕事まで休んでくれ」


「はい、お願いします。では、失礼します」

 

 いつものように深々と礼をし珠代は部屋を出た。

 

 なんだ、バタバタしていたのは結局自分だけだったのか。

 

 目の前に「YOU LOSE」の字が浮かんだ気がした。


 完敗だ。


 もう会うこともないであろう狸の照れ笑いを思い出しながら珠代は微笑んだ。





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