第5話

「それじゃさっそく」

「水を入れてきました」

「ハサミを探して」

「ハサミですか?」

「ほら、そこでボケようとして花札出してハサミで一杯とかやろうとしない!」

「よ…よくわかりましたね。ぼくのやろうとしていることが…。まだ札をケースから出してもいないのに」

「きみは札つきだからね」

「服の値札は外したのを確認しましたよ」

「うん。そうだね」

「どこに札がついてるっていうんです?」

「どこでもいいからハサミを探して」

「はい…先輩の目の前にあるのは、なんでしょう?」

「これは、違うよ」

「ハサミじゃないんですか?」

「これは、ハサミじゃなくて、糸切りバサミ」

「ハサミには違いないでしょう?」

「ハサミと糸切りバサミは違う」

「どう違うんです」

「形。用途」

「だいたい、ハサミを何に使うんです?」

「花を活けるのに、ハサミがいるでしょう?」

「花瓶に水を張って入れるだけじゃないんですか?」

「茎を切らなきゃ」

「首をきる…」

「首じゃない。茎を切って水を吸いやすくするの」

「あ、なるほど」

「だからハサミが必要」

「わかりました」

「糸切りバサミじゃだめ」

「そうですね」

「しかも花はブーゲンビリア」

「ブーゲンビリアに何かあるんですか」

「花見で一杯ってわけにはいかないわ」

「ぼくは構いませんよ。はい、ハサミ」

「わたしに渡してどうするのよ」

「剪定するんじゃないんですか」

「剪定するのは、きみ」

「え?やったことないですよ」

「じゃあ、いい機会だし、ぜひ」

「はあ。では」

「水の中で切るのよ」

「わかりました。じゃあバケツが要りますね」

「バケツなんて要らないわ。要は茎が水中にあればいい」

「しかしこの花瓶の中で切るのは難しい」

「できるでしょ?」

「花瓶の水中で切るのは無理です」

「どうして?」

「この花瓶は口が狭まっています」

「こころもちね」

「だからハサミが入りません」

「傾ければいいじゃない」

「傾ける?ああ!」

「できるよね」

「できそうです…あっ」

「あっ」

「…」

「…」

「こぼれましたあ」

「派手にこぼしたねえ」

「ごめんなさい。このランチョンマット、どうしましょう」

「水だから、乾けば、しみにはならないよ」

「でも、悲しみにはなりますね」

「…」

「願わくは、水に流していただけたら」

「…」

「いや、ここで流されてはいけない」

「…」

「流すだけならナガスクジラにだってできる」

「…」

「抹香臭いマッコウクジラにはできない」

「…」

「マッコウクジラに出来るのは…真っ向勝負」

「…」

「というわけで真っ向から謝りまっこう」

「…きみね」

「はい?」

「そういう物言いはどうやって習得したの?」

「どうやってでしょうね。特に意識したことはないのですが」

「無意識なの?」

「無意識というか無為というか…」

「有意でないのは間違いないけど」

「無作為な無策というか…」

「無作為なの?」

「そうですね」

「そのうえ無策なの?」

「そうですね」

「策がないのに倒錯してるの?」

「はい…盗作?」

「倒錯といえば…」

「ぼくのはオリジナルですよお」

「刀削麺って、食べたことないのよ」

「とうさくめん?」

「刀で削るんでしょ?」

「刀でけずる…」

「なんだか…鰹節と変わらないかなあって」

「あ。刀削麺ですか」

「だお?データ・アクセス・オブジェクト?」

「だお・しゃお・めーん」

「なにそれ」

「とうさくめんはもう古い呼び名です。これからはだお・しゃお・めーんです」

「それほんとなの?」

「もちろん。ぼくは嘘は言わないですよ。冗談はいうけど」

「どう違うのよ」

「冗談は冗談ぽく言います」

「嘘は?」

「嘘を嘘とわかるように言います」

「やっぱり嘘も言うんじゃん」

「言わないです!子どものころですが、嘘をついたので針千本飲まされてからというもの、嘘をついたことはありません!」

「そうなの!?」

「ちなみに、これは冗談です」

「!」

「小学校のクラスメイトに、正田佳子しょうだよしこって子がいましてね」

「…」

「もちろん、冗談はよしこちゃんと呼ばれてました」

「…」

「とうぜん、これも冗談です」

「…からないわ」

「?」

「嘘と冗談の違いが、わからないわ」

「!」

「つまりきみは、嘘と冗談を使い分けてるんだけど…」

「はい!」

「誰にもそれが伝わらないのね」

「えっ?」

「わたしのクラスメイトに、吉田翔子よしだしょうこはいたけど…」

「はあ」

「よしだんはしょうこちゃんとは呼ばれてなかった…」

「そりゃあそうでしょう」

「だから、きみの言うことは、よくわからない」

「…」

「わからないけど、非常にどうでもいいことを言ってるのはわかる」

「…」

「人生はどうでもいいことの積み重ねだけど」

「…」

「きみの話は単なるどうでもいいではなくて、非常にどうでもいい」

「…」

「だから、このおはなしは、これでおしまい」

「…」

「べつのおはなしを、しよう」

「…別の話ですか」

「たとえば…そうね、ヴィットリーオ・エマヌエーレって知ってる?」

「いいえ」

「イタリアを統一した王なんだけど」

「知らないです」

「その王様がね」

「…はい」

「なんか、重なるの」

「重なる?」

「フリードリヒ・ヴィルヘルムと」

「?」

「フリードリヒ・ヴィルヘルムは知ってる?」

「いいえ」

「ドイツを統一した王なんだけど」

「あ、じゃあ知ってます」

「じゃあってなによ」

「でもドイツじゃなくて…ロシアじゃないですか?」

「ロシアのわけがないじゃない。フリードリヒ。ヴィルヘルム。典型的ドイツ名でしょ」

「先輩」

「ん?」

「グスタフ・ロベルト・キルヒホッフって知ってますか?」

「キルヒホッフの定理のひと?もちろんよ」

「彼はロシア人ですよ」

「そう…えっ?」

「ドイツ名ですよね?グスタフもロベルトも。ついでにキルヒホフも」

「知らなかった…」

「という例もあるのですよ」

「そうなのね」

「ただ、まあ、ロシアとプロシアの国境付近の人ですが」

「プロシア…」

「普通はプロシア人扱いでしょうね」

「え」

「というわけでフリードリヒ・ヴィルヘルムも」

「?」

「プロシアの人です!」

「え?あ、そうね」

「なぜだか、ロシアとプロシアを混同しがちなんですよ」

「名前が似てるだけじゃない」

「でもそれは大きいですよ。イタリアとスペインを間違える人はいないけど、オーストリアとオーストラリアを間違える人は多い」

「…そうね」

「地理的にぜんぜん違うのに」

「…うん」

「語源も、東の土地、南の国、で違うのに」

「そうなの?」

「ドイツ語のエスタライヒをそのまま英語にして、イースターランドにしてしまえばいいのに、と思います」

「そしてイースター島に間違えられるわけね」

「あ!」

「なに?」

「先にオチを言われた」

「…ごめん」

「…続かなくなりました」

「じゃあ、オーストラリアのほうを変えてみたらどう?」

「なんに変えるんですか」

「英語の国なんだから、ラテン語名が間違っているのよね」

「今となっては、そうですね」

「今となっては?」

「オーストラリアを発見したのはオランダ人でしたから」

「オーストラリア大陸を発見したのはアボリジニでしょ?」

「そうですけど、便宜的に」

「それはいいとしても、最初に入植したのはイギリスの人ではなかった?」

「そうなんですか」

「だから英語なんだし」

「でも」

「なに」

「イタリア人がスペイン国の援助を得て航路を発見した新世界は、オランダ人が最初に入植しましたが、今は英語を使ってますよ」

「イタリア人は大陸までは行ってないし、イタリア人がたどり着いたところから南に行ったらスペイン語圏だよ」

「オランダ人は?」

「オランダ人は彷徨ってるから定住しなかったに違いないわ」

「(笑)」

「だいたいニューアムステルダムを棄ててイギリス人に売っぱらったじゃない」

「ニューヨークは戦争の賠償に取られたんですよ。オランダが売ったわけじゃないです」

「そうだったかしら」

「そうじゃなければあんなにリッチな立地の場所、手放すものですか」

「リッチな立地…」

「とりあえず、ヨーロッパからの海路の拠点なのは確かです。世界一有名な灯台もありますし」

「灯台…。あ、自由の女神像ね」

「自由の女神が、灯台だということは知ってるんですが…」

「有名だもんね」

「どこが光るんですかね?目かな?」

「目?!」

「目が光ったらラスボス感満載ですよね」

「…たいていの夜行動物は目が光るけどね」

「そんな夢のないこと言わないでくださいよ」

「目が光ると夢があるの?」

「はい!」

「…それはどうして?」

「目が光ると…」

「目が光ると?」

「希望があるんです!」

「…それはどうして?」

「光った目は、そういう表現なんです。希望に満ちていると、瞳に光を描き入れます」

「じゃあ、メヒカリも、希望?」

「メヒカリとは?」

「魚よ」

「魚か…食用ですよね。もちろん、希望でいっぱいです。おいしい塩焼きは食卓を豊かにします。食べると希望にあふれます」

「あ。魚本体じゃなくて食べるほうに希望があるのね」

「そうです。飢えは絶望です」

「うえはぜつぼう」

「そして舌に希望を感じるのです」

「したにきぼう」

「とうぜん、食卓のメヒカリの目は、文字通り魚の死んだような目ですし」

「メヒカリなのに?目が光るのに?」

「目が光るのは生きているときの話です。死んだ瞬間から魚の死んだような目になるのです」

「死んだような、てのは死んでないときに使うんだよ」

「活きがよければ大丈夫です」

「活きがよければ死んだような目じゃないんじゃないの?」

「そのへんは、ほら、主観ですから」

「誰の主観よ」

「…ぼくの」

「…きみの」

「悪いですか?」

「悪くはないけど…」

「ないけど?」

「あまり意味はないわね」

「そうですね。しかし、客観だと却下されそうなので」

「主観でも却下するわよ」

「そうですか…」

「ただ、まあ、テーブルは乾いたわね」

「ん、そうですね。花も活けたことですし」

「一輪だけだけど、花があると華やぐわね」

「ブーゲンビリアですからっ」

「まだ言ってなかったわね。ありがとう」

「同意いたしまして」

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