第6話
「遠回りしましたが、ブーゲンビリアを持ってきたのには理由があるんですよ」
「なんなの?」
「まあ、ブーゲンビリアじゃなくてもよかったんですけど」
「なんなのよ」
「花ならなんでもよかったのです。たとえそれがデルフィニウムでも」
「デルフィニウム…」
「アンスリウムでも」
「アンスリウム…」
「アルストロメリアでも!」
「アルスとろ…メリア…」
「エビテンドラムでも!!」
「えび天?そんな花があるの?」
「ふっふっふ。知らないんですか?」
「…知らないわ」
「ぼくは知ってますよ」
「ううーー。なんかくやしいわね」
「さっき知ったばかりですけどね」
「あ。そうなの」
「花屋で」
「花屋…」
「一度聞いたら忘れられないでしょう。えび天ドラム」
「たしかに忘れそうにないわね」
「という具合に、どの花でもよかったのですよ」
「うん」
「どの花でもいいのに、あえてブーゲンビリアを選んだのは…」
「うん」
「とくに理由はないんです!」
「…そっか」
「花を見て幸せな気持ちになってくれれば…」
「花を見たら幸せな気持ちになるの?」
「花を見ても幸せな気持ちにならないんですか?」
「花を見て幸せな気持ちになるときは限られているわね」
「そうですか。今はどうです」
「幸せかどうかわからない」
「今時点で不幸せじゃなかったら幸せですよ」
「…なんだか哲学的になったわね」
「幸せはそれを失ってからじゃないと気づかないものなのです」
「誰の言葉か忘れたけど、わたしでも知ってる言葉だわ」
「だから、日常の幸せを噛み締めましょう」
「…だけどね」
「はい」
「花を見るのと幸せなのと、どう関係があるのかな?」
「…先輩」
「…ん?」
「それを言ってしまうと、いろいろと不都合があります」
「?」
「映画を見るのと楽しくなるのは、どう関係がありますか?」
「楽しい映画なら、楽しくなるよね」
「本を読むのと悲しくなるのは、どう関係がありますか?」
「悲しい話なら、悲しくなるよね」
「あ、そうか」
「なに?」
「先輩は好きになるのに理由が必要でしたね」
「?」
「いいです。説得は諦めました」
「…なんか引っかかる言い方するのね」
「でも…例えば」
「うん」
「例えば、ここに手巻きの時計があるとします」
「…手巻き」
「もちろん寿司じゃないですよ」
「…手巻き寿司じゃない手巻きなんて手抜きね」
「なにか言いましたか」
「なにも言ってないわ」
「手巻きの時計は手で巻かなければ動きませんね」
「そうね」
「だから、巻きます」
「なにを巻くの?」
「ねじ…」
「ねじ?」
「違いますね、ばね?」
「ばね?」
「それも違うか。ぜんまい?」
「ぜんまい?」
「ぜんまいでもないんですか…。じゃあ…わかった。まい泉!」
「まい泉?」
「マイセンです!」
「マイセンを巻くの?」
「そう!ヒゲマイセンを巻きます!」
「…ヒゲマイセン…」
「ヒゲマイセンはテンプラにくっついていて…」
「天ぷら!」
「箸で切れるようなとんかつではなくて、ただの天ぷらです」
「うん…」
「そしてそのテンプラは香箱車につながっているのです」
「きみが何を言ってるのか、やっとわかったよ」
「それはよかった」
「腕時計でしょ、それ」
「その通りです」
「ヒゲマイセンではなくてヒゲゼンマイだし」
「おっと。そこまでですよ、先輩」
「なにが?」
「いちいち説明するような野暮な真似はやめてもらおう、です」
「説明して野暮になるほどのギャグでもないと思うけど」
「それでも、です」
「そうね。こんなくだらないこと、とくに説明したいわけでもないし」
「そうでしょ」
「でも、まだわからないことがある」
「なんですか」
「その、ヒゲ…マイセン?は、ブーゲンビリアとどう関係があるのかな」
「ブーゲンビリアに特に意味はないって言ったじゃないですか」
「きみの言う、意味がない、にはたいていくっだらない意味があることが、最近わかってきた」
「ありゃ」
「無意味、という意味があるんでしょ」
「んーと」
「ナンセンスって言い換えてもいいけど」
「ばれちゃあしょうがないですね」
「さあ、証拠はあがってるよ。吐いちゃえ」
「いや。本当に意味がないんですよ」
「うそ」
「そう言われましても」
「だって、まい泉だの天ぷらだのの話をするつもりなら、ブーゲンビリアじゃなくてえび天ドラムだっけ?そっちを買ってくるでしょう?」
「あ。その手がありましたか」
「白ばっくれても、むだ」
「ぼくもたまには気を抜くんですよ」
「白状しなさい」
「…はい。実は…」
「うん」
「ぼくが子どものころですが」
「今でも大人とは言いがたいけど」
「子どものころのことですが」
「うん」
「よく読んでた絵本があったんです」
「きみも絵本を読むんだね」
「絵本は子どもにとって大事ですよ。別世界への第一歩です」
「そうだね」
「子どものというのは、毎日が発見の連続だ、みたいなことを言いますが」
「絵本を読む年ごろの子どものことね」
「新しい発見がとかく現実であるかのような錯覚を覚えるものなのです」
「うん」
「でも、絵本を読むことで、新しい発見があっても現実ではないこと、を知るんです」
「なるほど」
「絵本を読まない子は、知ってることと知らないことの二面しかありません」
「あはは。そうかもね」
「絵本を読む子は、知らないことの中でも現実と仮想を区別できるようになります。絵本を読まなかった子は、リアルとフィクションの違いがわからなくなるんです」
「うん」
「リアルとフィクションの違いがわからないまま大人になると、嘘つきになります」
「そうかしらねえ」
「リアルとフィクションの違いが分かる大人は、冗談好きになります」
「そこで決まるの?」
「そこで決まるのです。正田佳子ちゃんも絵本好きでしたし」
「正田佳子ちゃん、実在したんだ」
「いいえ。冗談ですから。先輩もリアルとフィクションの違いがわからない人ですか?」
「こらこら」
「フィクションが増えるとフリクションがフリックするのです」
「また訳のわからないことを」
「まあいいや。話を戻しますよ」
「話を逸らせてるのはきみだけどね」
「子どものころですが、よく読んでた絵本があったんですよ」
「きみが読みそうな絵本って、想像しにくいね」
「そうですか」
「なんだか…子どものころから詰碁練習問題とか読んでそうな気がする」
「詰碁?まさか」
「碁はやるんだよね」
「やりませんよ。やるのは五目並べ」
「五目並べって碁石を使うんじゃないの」
「使いますが、碁石がなくてもできるんです」
「どうやって」
「そうですね…ここに方眼紙がありますね」
「うん」
「先輩、真ん中あたりの好きなところに◯を書いてください」
「わかった。はい」
「あ。升の中に書いちゃいましたか」
「え?だめなの?」
「だめじゃないです。だめじゃないですけど、目に書くものだとばかり。碁石は目の上に置くものですし。目の上に置いても痛くないですし。碁石すごいし。碁盤もすごい値段ですし。碁盤の目には五番街のメリーがいるのかも。もしもし、わたしメリーさん。いまあなたの後ろにいるの。うしろの正面だあれ。百太郎だよ」
「なにぶつぶつ言ってるのよ」
「いや、すごい碁石なら升目に書いても大丈夫です。すごくない碁石はだめですけど。先輩が書いたのはすごい碁石ですか?」
「すごい碁石ってなに」
「すごいんですよ」
「なにが」
「碁石が」
「碁石がすごいと何があるの?」
「すごい碁石は…語呂がいいんですよ」
「語呂…」
「まあいいや。先輩が◯なんで、ぼくは×を書きますね」
「きみも升の中に書いてるじゃない」
「そりゃそうでしょう。先輩が枡に書いてぼくが目に書いたら、どこに石があるのかわからなくなります」
「しかもわたしの書いたところの横に」
「そういうものなんですよ。次、先輩の番です。五連続で○が揃ったら先輩の勝ちですよ」
「そうか。じゃ、ここ」
「じゃあぼくはこっちに」
「あ。卑怯だわ」
「なにが卑怯なんです」
「わたしの◯が繋げられないじゃないの」
「だってそこに石を置かれたら負けちゃいます」
「そうなの?」
「そこだけならまだ負けませんけどね。序盤はなるべく潰しておくんですよ」
「うーん。五つ揃えれば勝てるのよね」
「そうです」
「じゃあ、ここ」
「お。考えましたね」
「なんとなく、ね」
「でも、潰します」
「あ」
「容赦しません」
「そんなストレイツォ様みたいなこと」
「初戦は勝ちます。経験者の意地です。あとは手を抜いてもいいです」
「…やめた」
「え?」
「やめたわ。初戦は勝てないんでしょう?」
「あ、はい」
「そしてわたしは二戦もする気もない。つまり、勝てない」
「…」
「だったら、負けないことを選ぶ」
「…それ、じゅうぶん、負けてますよ」
「勝負は下駄を履くまでわからない。つまり、下駄さえ履かなきゃ負けない」
「ひどいなあ」
「きみ、そんなに勝ちたいの?」
「そういうわけじゃないですが」
「初心者相手に負けたくないだけよね」
「そうですね」
「だったら、お互い負けないんだから、ウィンウィンだわ」
「うぃんうぃん…」
「ウィンウィンなんだから、両方とも勝ち」
「言葉だけならそりゃそうですが」
「何か問題ある?」
「うぃん…うぃん…うぃん」
「何を唸っているの?」
「本当に両者勝ちですかね」
「両方とも勝ちよ」
「そうですね。でも。二人とも負けてるような気がしてならないんですが」
「気のせいよ」
「気のせいですか…なのになぜ敗北感が拭えないんでしょう」
「それもまた、気のせい」
「気のせいならいいんですけど、ぼくのゴーストが、負けた負けたとささやくんですよ」
「ゴーストなんて、やっぱり気のせいじゃないの。それに」
「それに?」
「きみが負けたのならたとえわたしが勝ってもウィンウィンにならないよ。両方とも勝たなきゃ」
「…わかりました。両方勝ってうぃんうぃんにしましょう」
「わかったところで、話を戻すわよ」
「話を戻す?」
「きみが、ブーゲンビリアを持ってきた理由は、なあに?」
「え?さっき答えたじゃないですか。とくに意味はないって」
「さっき言ったじゃないの。理由はあるはずだって」
「あるはずって言われましても」
「じゃあ、質問を変える。どうしてエビ天ドラムじゃなかったの?」
「えび天ドラムじゃ狙いすぎですからね」
「狙いすぎなんて言葉がきみから出るとは思わなかったよ」
「それどういう意味です?」
「きみはいつもぎりぎり外れるコースを狙うから」
「…外れてるんですか」
「…外れてるね」
「…中道を行ってるつもりなんですが」
「…外道よ外道」
「…例え道を外れていたとしても、外道とは言わないでください」
「外道がダメなら…道化?」
「道化!」
「そう!道化ならぴったりじゃない!」
「ぴったり…ですか?」
「きみは外道の道化師を目指すの」
「これから…目指すんですか?ぼくはまだ外道の道化師じゃないんですね?まだ道に戻れるんですね?」
「もう遅い。きみは立派な外道の道化師」
「言ってること矛盾してませんか」
「外道の道は奥が深いわ。極めたと思ってもまだまだ道半ば」
「外道なのに道半ばってのがすでに矛盾してると思うんだけどなぁ」
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