第六章 13
太陽の落ちた道を歩く。
陰りを見せた空の下が寒いのは、東京も埼玉も同じらしい。どんなにビルが連なっていても、それほど車が走っていても、どれほど田んぼがなくっても。冬は気温が冷たいし、風が吹けば寒いのだ。
それでも都会の夜の街は、僕の住むはずの田舎の町とは異なって、この時間になってもたくさんの人々が行きかい交差して、高いビルの上を眩いばかりの光が飛び散っている。人の声と、足音と、車の音と、ビルの上に取り付けられたスピーカーと、様々な音楽が飛び交って、混ざり合い、夜の静けさに慣れきった僕の鼓膜を震わせた。
四つ角の、たくさんの信号の付けられた交差点。確かスクランブル交差点とかいう名前だっただろうか。そこで立ち止まり、横で煙草を吸う人の煙をコートの袖で遮って、僕は太陽の落ちた空を見上げる。
星が輝くはずの空は、たった一つの点も見えない。
スマホの時刻は十八時半を指している。空気が寒い。頬が冷たい。今日は確か、雪が降ると言っていた。信号が青になり、車が止まり、四方から様々な格好をした人が歩きだす。下手をすればぶつかりそうだ――人の波。その状況に僕はいくらかげんなりとして歩きだす。
(俺は一体)
何をしているのだろうか。わざわざこんな計画を立てて、埼玉の田舎から東京なんてやってきて。馬鹿みたいだ。僕が僕ではないみたいだ。和泉紗枝にでも影響されたか? あの奇妙な対して面白くもないB級映画に魅せられたのか? 殺伐としすぎている周りの空気にやられたか? 今更父親にあって何をするつもりだったんだ? 何の話をするというんだ? 馬鹿だ。本当に馬鹿みたいだ。
僕は薄いくせに重量感のある鞄の表面をなぞり、その中にある重さと形を再確認する。和泉紗枝に借りた料理包丁。三か月前に使用した、父親を殺した凶器。僕はその重さと形を全身で感じながら、星一つない空の下を歩き続ける。歩いて歩いて歩き続けて顔を上げ、目を開けて、今現在いるその場所を確認する。それからそこにある表札と、茶色い屋根の新しい家。
東京都南端xxx-xxx。藤崎俊樹。
ああ、ここだ。
僕はその場所と封筒の裏に書いてある住所を見比べて、間違いがないことを確信する。
藤崎俊樹。僕の父の、父であるはずの人の家だ。
日の落ちた空の下。どうやら誰もいないらしいその家の表札の前で、僕は数秒立ち尽くす。
どうしようか。どうしたものか。一体どうしたらいいものか――
話すこともないくせに。どうすることもないくせに。僕は、その僕と同じ名前の表札の前でぼんやりと佇んで、立ち止まって、ベルを鳴らすことも、その家の扉を開けることもなくゆっくりと踵を反転させる。
この家は今、人のいる気配はない。あの電話の女の人も、子供も。人のいない家奥に用はない。
僕は薄くて重い鞄を抱え、顔の下半分をマフラーで隠し、足を踏み出す。ゆっくりと吐き出す呼吸は空に舞って流れて消えた。住宅と住宅の間。明るいくせに視界の悪い道を歩き、前方から人がやってくることに気がついて、顔を上げる。
幼稚園くらいの女の子と、母親らしき若い女性。
色違いの帽子をかぶり、マフラーをして、手と手を繋いで歩いている。
「ママー、ママー。サンタさん、アミのところにも来てくれるかなぁ?」
「さぁ、どうかなー? アミがいい子にしてたらきてくれるかもねー?」
――あみ?
僕がその名前に反応をしたことは本当に偶然だ。本当だったらまったく反応をするようなことではないし、少しばかり洒落た名前だという他は、特に気にするようなこともない。
「あのねぇ、アミ、幼稚園でサンタさんにお手紙書いたんだよー」
「そうなの? なんて書いたの?」
「あのねー、あのねー。お姫様のお人形が欲しいって。サンタさん、たくさんの子にプレゼント配るから、間違えないようにちゃんとお名前も書いたんだよー」
「あらあら」
「ほんとだよー。あのねー、ピンクのね、きれいなお手紙の裏にちゃんとね。ふじさきあみ、って書いたんだよー」
その瞬間――僕は、瞬間的にすれ違い、交差をした親子連れの後姿に振り返り、握った手の平を揺らし続ける二人の後姿を凝視する。
ひんやりとした冬の空気を全身で感じ、僕は確信する。『ふじさきあみ』あの日、僕が電話の奥で聞いた名前だ。
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