第六章 12
二十三日の昼時の駅は、やはり高校生や中学生でひどく賑わっていてざわついていた。帰宅の電車を待ちわびる人や、ただ単に階段辺りに座り込み数人でタムロをしている高校生。改札口で携帯を弄る女子高生。僕は上がり電車の白線の前で立ち止まり、ショルダーバッグの中から一枚の封筒を取り出す。何の変哲もない茶封筒。表に書かれているのは僕の母の名前。反対側には父の名前。その、達筆とも言えるような氏名の横に、同じ筆跡で僕の知らない住所が書かれている。
僕はそれを見つめて頭に入れて、もう一度鞄の内ポケットに突っ込んでおく。灰色のマフラーに顔半分を埋めて、はぁ、と白い息を吐き出した。
十四時丁度よりも少し遅れ、緑の車両は到着をした。ドアが開くとほぼ同時に、学生服を着たたくさんの人間が押し出されるようにして出てくる。予想通り座席はすでに満員で、僕の座るスペースなんて残されているわけもない。電車の乗客の八割が携帯を弄っているという話はどうやら本当のことらしい。シルバーシートに座る高校生が、脂の乗ったおばちゃんに「ここは携帯をいじる場所でではない」と注意をされてふてくされていた。
僕は右の窓側に寄りかかり、体重をかけてショルダーバッグの重みを感じる。ざわりと撫でて、その刃の鋭さを輝きを脳の中で回想する。凶器。間違いなく殺人に使われた、殺傷道具。例えばこの包丁で人間の肉を切り裂いたら、どの程度血がふき出てどのくらい血まみれになるのだろう。わからない。包丁で切ったとすればせいぜい玉ねぎを切っていて誤って指先を切ったという程度の経験しかない僕のことだ。
(着替えの一つくらい、持ってくればよかったか)
そのような考えも抱くのだが、まだこの包丁を使うと決まったわけではない。
暫くの間ことんことんとゆるいリズムに揺られていって乗り換えて、急行に乗り、東京行きに乗り換える。田圃ばかりだった田舎の光景が変化して、ビルが増え、建物が増していく。乾燥した草の匂いから排気ガスを含んだ都会の匂いに変わっていく。それと同時に、乗客の服装もお洒落ぶった煌びやかなものに変化する。僕はことんことんと移りゆく景色に体を傾けて目を瞑り、眠っているのだがいないのだがわからないような世界に意識を飛ばす。夢と現実の間。起きているわけではないが眠っているわけでもない。曖昧すぎる境界線。
いくつの駅を超えたのだろう――僕は車両アナウンスが目的である駅名を告げていることを確認し、目を開ける。南端駅。ここだ。
重たい体を動かして、勅使河原駅の四倍くらいの広さはあるであろう南端駅に足を踏み入れる。駅というのは、どうしてこうも汚いのだろう。設置されているごみ箱からはペットボトルが溢れているし隅の方では赤い髪をした派手な男が明らかに未成年な癖に堂々と煙草を吸っていた。出口を探してきょきょろすると、どこからか「きゃー! ガム踏んだー!」という黒板を引っ掻いたような叫び声が聞こえてきた。都会というのはどうしてこうも人が多いのだろう。まるで波のように襲ってくる人々に、頭の中がくらくらする。やっとのことで出口を見つけると、その出口の端の方ではぼろぼろの布を着た浮浪者が段ボールに包まれて生活をしていた。
駅から少し離れたところにコンビニを見つけ、適当な食べ物と飲み物を購入し、適当な公園を見つけてそこでおにぎりの封を開ける。そして、その公園の住所と僕の目的地の住所を照らし合わせ、確認をする。少し遠い。歩くことになりそうだ。
ふと目を上げると、ジャングルジムの向こう側にあるブランコで小さな子供とその父親らしい人間が遊んでいるのが見えた。僕はその揺れるブランコの鎖と鎖を掴んだ子供の手のひらを眺め、立ち上がる。この時期はもう日が暮れるのが早いから、こんなところでじっとしていたらあっという間に夜になる。
都会は広くて複雑で、一つの道を間違えるとあっというまにわからなくなる。2つ目の駅前の交番で、僕はそこまでの道のりを聞く。時計の針が4時半を回った辺りで僕は、父の会社を発見する。三橋金融株式会社南端支部。
僕はまだ幼稚園くらいの頃。父さんは勅使河原市の隣の尾平支部に勤めていて、小さなころは何回か連れて行って貰ったことがある。でもまさかこの年齢にもなって一般市民が――しかも中学生の子供がそう簡単に入れてもらえるとは思わない。僕はほんの数秒そのビルの前で立ち尽くし、どうしたらいいか考える。そのうち、ビルの自動ドアがガ――と開いてスーツを着た中年の男性二人が出てきた。ビルの前でうろうろとする僕のことが気になったらしく、「どうかしたのか」「なにか用事でもなるのか」と聞いてきた。予想外な展開に僕は少し驚いて、言葉を濁し、それから「藤崎、俊樹の親類なんですけど」という。社員の二人は「あー、藤崎ねぇー。午前中はいたんだけどねぇー」「お得意先でちょっとあって。今、出てるんだよー」といった。それらの言葉に僕は少し安堵して、それから少しため息をつく。
「なにか用事かい?」
連絡を取ってあげようか、という社員の言葉に、「大丈夫です」と僕は言った。
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