第六章 2

 スマホのアドレス帳を開き名前を確認し、受話器のマークを押して通話口に耳をつけ、相手が出るのを待ちわびる。向こうの家の電話番号は知らない。曰く、「携帯で充分なので家の電話を付けていない」らしい。そのことが、嘘か本当かは別をして。

 トゥルルル…

 トゥルルル……

 電話の主はまだ出ない。いつも僕は、五回着信音が鳴りそれでも出なかったら通話を切ってしまうことに決めている。十回目の着信音。

『もしもし藤崎です。只今電話に出ることができません。ピーという着信音の後にお名前とご用件をお願いします』

 ピーという高い機械音が僕の鼓膜を震わせる。名前も要件も入れることなく、携帯のボタンをブツッと切る。

 この電話番号は、もう暫くの間まともに繋がったことがない。

 心の中でため息をついて、僕は灰色の携帯をジーパンのポケットに突っ込んだ。それから、いつものようにノートを開きシャーペンの先をカチカチと押していかにも勉強をするというそぶりを取りながら、最後に父とまともに会話をしたのはいつだっただろうと考える。夏休みの、その前。夏の三者面談のその頃に一度だけ、東京に単身赴任をしているというそのはずの父が家の電話に連絡を入れたときがあった。そのときはたまたま母さんが不在で電話を取ることを覚えたての千尋が受話器を取り、僕に渡った。なんの話をしたのだろう。母はいないのかとか、学校はどうだとかそれくらいのことだった気がする。大した話はしていない。覚えていないからだ。少しだけ話してすぐ切った。

 千尋は父のことを覚えているのだろうか? 忘れているわけではないと思うけど。知っているのか?

 と、そこまで思考を巡らせたところで、僕の部屋の半開きの扉から小さな千尋がちょこんと顔を出した。

「おにいちゃん」

 兎のぬいぐるみを抱えたまんま、僕の名前を呼んだ。考えることをやめた僕は、くるりと椅子を回し妹の方へ向き直る。

「どうかしたの」

 千尋はなぜか半開きの扉の隙間でもじもじとして、それから「あのねー」と園児特有の間延びした声を出した。

「おかーさん、くりすますかい、くるかなぁー?」

 僕ははて、と首を傾げる。クリスマス会?

「なにそれ、そんなのあるの?」

 僕の質問に妹は、「あるよー」とまたしても間延びをした声を出した。

「あのねー、みんなでおゆうぎして、けーき、たべるのー。それでねー、さんたさんくるんだよー」

 千尋は兎のぬいぐるみを左右に揺らしながらにこにこと笑っていた。クリスマス会。そんなこと聞いていない。

「母さん、行くって?」

「わかんないっていってたー」

 おそらくは母は行かないつもりだろうと確信する。 

 きらきらと期待の目を向ける千尋に、「どうだろうな」と答えを返した。妹はけたけたという笑い声をあげてこう言った。

「ねーねーおにいちゃん、おとうさん、かえってくるかなぁ?」

「え?」

「まぁちゃんのおうちはねぇ、おとうさんとおかあさんと、けーきたべて、さんたさんにぷれぜんと、もうらうんだって。だからねぇ、おとうさん、かえってこれるといいねぇ」

 千尋はこてんと首を倒してそう言った。



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