第39話


「先輩、土曜日はありがとうございました。普段経験できないことを体験できて、すごく楽しかったです」




 陽來は理科室に入るなり、礼儀正しくぺこりと頭を下げた。

 理科準備室の合鍵は忘れたことにして、代わりに誰もいない理科室を拝借することにしたのだ。もし誰かが入ってきたら早々に退散できるように、今日はビーカーや三脚は使わない。


「礼なら姫条に言えよ。俺は何もしてないぞ」


少なくとも普段経験できないことは。


「そんなことないです! 先輩と遊びに行けただけで十分楽しかったです! ただ……」

「ただ?」


 陽來は俯くと、もじもじとした後に俺を上目遣いで見た。


「も、もし、また、こういう機会があったら、こ、今度は、先輩とも、一緒に行動したいです……」

「そうだな。次はグループ分けしないで行きたいな」

「はい!」


 陽來が花畑のように微笑み、俺の隣の丸イスに腰掛けた。持っていたカバンを胸の前で抱えて理科室の窓を見上げる。



 陽來に隣に座られるのは慣れた。理科準備室メンバーに姫条が加わったことで、陽來の定位置は俺の正面から隣へと移行していた。最初こそ陽來が一挙一動するごとにビクついたが、もう滅多なことでは動じない。

 鳥が一列に泳いでいく水色の空から隣の少女へ目を遣ると、俺の視線に気付いたのか陽來もこっちを見た。


「あ、先輩。お菓子食べませんか? わたし、お昼に食べようと思って買ったんですけど、一人じゃ食べきれなくて……」


 言いながら陽來はごそごそとカバンの中を漁り始める。


「いや、俺は甘いものは……」

「じゃーん!」


 効果音付きで陽來が取り出したのは、梅の実を丸ごと加工したものだった。



『ガリガリ梅』



 そう銘打たれた袋を見つめること数秒、俺はなんとか口を開く。


「…………俺、酸っぱいのも苦手で……」

「えー、もう、先輩! 好き嫌い多過ぎです! そんなに好き嫌いしてると、身長伸びませんよ!」

「何しても、もう伸びねえよ!」


 陽來は頬を膨らませると、ジッパーを開け青い梅の実を取り出した。それをガリ、とかじる。




「……先輩、姫条先輩と仲直りしないんですか?」



 躊躇いがちに訊かれた。

そもそも幽霊と死神は相容れないものだったのだ。協力関係にあった今までが異常と言ってもいい。


「先輩たちが喧嘩してるのは悲しいです。せっかく幽霊退治部が結成できてわたしたちの活動が公にできると思ったのに……」

「そんな部活、作った覚えも入った覚えもないぞ」

「え。今回のデートって、その活動の一環だったんじゃないんですか?」


 こいつの頭の中ではそういうことになっていたらしい。勝手に部活にするな。


 陽來がため息をついた俺を見て俯いた。手の中のかじりかけの青梅を見つめる。



「……姫条先輩に言われました。死神になりたいなら、先輩とは関わっちゃダメだって。先輩は幽霊が成仏するのをよく思ってないから」

「そうか」



 猫とネズミに友情が成立するかは難しい問題だ。あっさり納得した俺の横で、陽來は種が見えている青梅を握り締める。


「先輩、姫条先輩に謝ってくれませんか? 先輩に悪意があって任務の邪魔をしたんじゃないのは、姫条先輩もわかってるんです。マユリちゃんだったから感情的になっただけなんですよね。先輩が謝れば、姫条先輩だって許してくれるはずです。そしたら、またこれまで通り……」


「陽來」



 それはたぶん無理だ。


 言おうとした矢先、横ですっと手が持ち上がり青梅が陽來の口に吸い込まれた。

ガリガリという音と共に「すっぱ」という緊張感のない声がする。肩透かしを食らったような気になって俺は口を閉ざした。



「……わかりました。先輩、わたし、姫条先輩を説得してみます!」



 俺の頑なな意志を汲み取ったのか、陽來はすくっと立ち上がると言った。


「あれだけ喧嘩したら先輩も謝りづらいですよね。わたしが姫条先輩に先輩を仲間外れにしないよう頼んでみます。幽霊退治部存続のために部員の一人として頑張ります!」


 だからいつ部活になったんだよ。


 俺がツッコむ間もなく、陽來は身を翻すと理科室を出て行ってしまった。





 だが、翌日、再び理科準備室に現れた陽來は意気消沈していた。


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