第4話
予想したように、アオハダの材質はすばらしかった。中干しで十分鉋についたし、とくさで掛ける磨きもうまくいった。墨や紅の乗りも悪くなかった。
素朴で十分の力を出してみようと、宗吉は思うようになっていた。叔父の角政は、決心した宗吉を喜んではくれたが、そのために、椀や鉢を作る仕事を怠けることは許されなかった。
無理だろうと思った綱取りを、お雪は懸命にやった。轆轤は、もう一度生命を取り戻したようだった。
蝋燭の光の下で、宗吉はあぐらをかき、作り上げた白木のこけしを股ぐらに挟み込んで、面相筆を取り上げ、墨を含ませた。
胴はほとんど円錐に近く変化に乏しい。丸に近い頭部は小さく細長いこけしになった、胴の下の部分に丹念に轆轤模様を入れたのは、それが胴部のただひとつの彩りになるからだ。市五郎のように、花模様を描くことを考えてみたが、すると、この細長いこけしは平衝が崩れ、品を失うようだった。やはり、父が遺したままの技法でやってみようと宗吉は決めていた。
しかし、市五郎の遠刈田こけしの華麗な色彩を思うと、胸が震えた。
宗吉は閉じていた眼を開き、顔の描彩にとりかかった。まず三日月形の眉を描く。そして眼は三筆に描いた父のやり方を忠実になぞった。
その時、表の戸を叩いた者があった。
筆を投げて、宗吉は
「誰だ」
と怒鳴った。母もお雪もとっくに寝ていた。人の通る刻限ではない。
「俺だ」
と、外で男の声が答えた。その時奥の寝間から、母が宗吉を呼んだ。
「なんだね」
「清次郎が帰ってきたよ」
「まさか」
言ったが、宗吉は急いで土間に下りて、桟を外した。戸が外から開いて、旅姿の男が無造作に入ってきた。灯を慕って闇の中から飛び込んできた蝙蝠のように、長身の黒い姿だった。
「お前は宗吉か。大きくなったな」
男は自分で戸を閉め、桟をかけなおすと、呆然と立っている宗吉にニヤリと笑いかけてそう言った。頬がこけ、眼が険しくなって、昔の面影をあらまし失っているが、兄の清次郎に違いなかった。
「兄貴か」
「ま、上がらせてもらうぜ」
「お雪、起きろ。起きてお湯を沸かすんだ」
「いい、いい。水で十分だ」
清次郎は、旅慣れた手つきで、さっさと草履を脱ぎ始めた。
宗吉は土間に水を汲んだたらいを出し、慌てて起きてきたお雪に日を熾こさせながら、目頭を熱くしていた。御城下の海産物商人、越後屋の口利きで、清次郎が江戸の海産物問屋に奉仕に出たのは、宗吉が十二の年、今から十三年前だった。その時、清次郎は二十だった。一人前の商人になったら便りをするから、と兄は言った。だが、その兄は父の亡くなった時には、もう所在が知れなかった。清次郎を江戸に連れて行った越後屋は、それより前に店を閉め、莫大な借金を残したまま、追われるように郷里に帰っていた。
やくざ風の男たちと、両国の盛り場を歩いている清次郎を見た、という人が御城下にいた。だが、その人を訪ねてみると、よそからのまた聞きだった。風の便りだった。雲をつかむように頼りなかった。
宗吉は、盛んに燃える榾火の向こうから、兄を見つめていた。清次郎は、お雪が運んできた冷えた麦飯を、何度も湯漬けにして、がつがつと音を立てて喰った。
月代が伸び、凹んだ頬に骨が出ている。まっとうな暮らしを営んで、日の下ばかりを生きてきたとは思えなかった。火が、うつむいた清次郎の顔を赤く照らした。さっきまでひっきりなしに喋っていた母が静かになったのは眠ったらしかった。
「兄貴も、苦労したらしいな」
飯を食い終わって、自湯をふうふうと吹きながら啜ってる兄に、宗吉はそういった。
「何がよ」
じろりと宗吉を見たが、温かくうるんでいる弟の眼に、清次郎は、ふと眩しそうに眼を瞬いた。
「江戸ってえとこは、恐ろしいところでな」
そう言ってから、初めて気がついたように、そばのお雪をみた。
「これは、宗吉の嫁さんか」
「何言ってんだな、お雪だよ。兄貴が江戸に行くときはこんなだった・・・」
宗吉は手を上げて、背丈を示して言った。
「ほう、お雪か。まだいたのかこの子」
まじまじと見詰められて、お雪が赤くなってうつむいた。
「えらくまた、別嬪さんになったもんだな」
しつこく見詰めたあと、清次郎は嘆息するようにそう言ったが、急に眼を凹ませて、
「宗吉、済まねえが寝かせてくれ。話は明日だ」
と言って大きな欠伸をした。巨大な山犬が声もなく吠えたように見えた。
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