第3話
灌木の枝や草の根にすがって、漸くその峯を越えると、頭の上に深い杉の森に隠れて、浅間神社の頂があった。そこは前方後円墳の姿をした、低い山だった。
こけしの材料としては、だんごの木、ギシギシの木、アオハダ、それに、近頃はイタヤが用いられていることを宗吉は知っていた。それと黄楊の木が使われた。黄楊の材質は緻密で、櫛にも使われた。
その浅間山も、十一月には、見事な紅や黄色の木々で覆われた。その浅間神社も、旧暦六月二七日は、子供たちの初詣で大層賑わうのであった。
材料として一番手っ取り早く見つかったのは、父の善兵衛 が言った「光り眼」だ。風通しがよく十分に日光を吸って、しかも水辺に成長したものには殆どないのだ。それは谷間の岸に、青白い幹から、手のひらを広げているはずだった。イタヤは固い樹だ。割った中味の、とろけるように光沢のある黄味を帯びた白。古い樹になると、その中に薄い紅さえ含んでいる。
しかし、イタヤは中干しでは使えない。雪の中に寝かせて春を待たなければならぬ。今度のこけしの競作には使えないのだ。
アオハダ、ギシャの木は中干しで使える。だが両方とも割れやすい。それでも宗吉は、アオハダを使おうと思っていた。芯のあるものほど割れやすいから、最初に芯を削って使うつもりだった。黄楊は鎌倉堀りや櫛としての需要が多く、その原本は値が張った。アオハダを使おうとして、用意した宗吉は、その材質が持つ青味を帯びた白い樹肌は捨てがたいのだ。割った時、中に絣模様の斑点のあることを宗吉は知っていた。
材質は固い。中干しでも鉋つきがよく、鉋殻は長く伸びる。磨きのかかりもよく、彩色の時、色の乗りも良い。
アオハダは、今宗吉が立っている、大台と呼ばれる頂上下の北向きの大斜面の中に、必ず見つかる筈だった。
柔らかな下草の上で、お雪が持たせた握り飯を頬張りながら、宗吉は漁師のような眼で、斜面のあちこちにかたまっている木立に眼を走らせた。手がとどくような近い所に、青い空があった。そこから降り注ぐ日の光が、明るく木立を照らしている。鋭い声で鵙が啼いた。声は斜面を滑り落ちて、はるか下の雑木林にぶつかって済んだこだまを呼んだ。
それでも、アオハダが見つかった時、短い秋の日はもう西の絶壁の上にあった。
二十尺は十分あると見た二本のアオハダの梢を仰いで、宗吉は額の汗を拭った。熊が食べるという樹の実が紅い玉になってぶら下がっている。背負ったテンゴの中から柾切を出し、刃を返して幹を叩いてみた。充実した樹肉の手応えがあった。刃で軽く表皮を削る。青味を帯びた白い樹肉が顔を出した。艷を含んだその色を見つめながら宗吉は、この肌が割られ荒取りされ、轆轤に挽かれて、次第にこけしに形を整えていくのを想像した。熱い額をつけると、樹肌は快い冷たさで彼の心の高ぶりを鎮めた。
二本のアオハダの中には、既に無数のこけしが眼を聞いていた。
山持ちの吉次郎に会って、すぐにこの樹を買おうと宗吉は思った。
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