第2話
「隠すことはねえやな。お前作り始めたんだろう」
「いいや」
「まだ、決めちゃいないよ」
「いや、お前はきっとやる。お前も木地師だからだ」
しつこく、市五郎は言った。宗吉は、顔をそむけた。秋が近いというのに、店の中は真夏のように蒸し暑い。罵り合いに似た、声高な話し声が、うかつだった。
市五郎が隠すな、と言ったのは競作こけしのことだ。
この春、二人を使っている宗吉には叔父にあたる角政、大宝寺の秋田屋、荒町の大海屋の三人が髙畠の新井八郎右衛門の屋敷に呼ばれた。新井は常陸の龍ケ崎十二万石の当主 酒井忠徳の側用人として八百石を頂いている大身だった。呼ばれた三人は、御城下の木地屋として、これまでもたびたび御城の御用を蒙っていたが、今度の用件は違った。
こけしを作って、殿様のお手許まで差出すように、と新井は気さくに言った。期限は来年の桃の節句。その前に、正月に下検分を一度やって作る人間を絞ろうと言ってから、新井は商家の隠居のように柔和な目をまたたかして、選ばれたこけし作者には龍ケ崎藩御用を許し、諸国売出しを奨励したい殿様の意嚮だと付け加えた。
「宗吉、やってみろい」
と、角政は宗吉の顔を見るたびに、じれったそうに上気した口振りで、新井の言葉を口写しに伝えたが、宗吉は浮かぬ顔で返事を渋り、病気で寝ている母や妹のお雪の気を揉ませたのだった。こけし作りや木地の仕事を始めたのは、エッタの出である宗吉の親爺だった。それまでは、女花のエッタの仕事は皮革鞣が主な仕事だった。豚殺しや牛殺しは、宗吉の手の及ぶものではなかった。気の短い角政は、宗吉の顔を見るたびに、じれったそうにがなり立てるが、宗吉は曖昧な返事しかしなかった。木地職人も、動物探りも、生業としては最下層の人間が行う仕事だった。それ由、宗吉の親爺も信州からの流れ親だった。
土地者の角政もエッタだった。やはり、昔は信州からの渡り者で、宗吉の回り四、五軒が、やはりエッタだった。エッタに対する差別が一番ひどかったのが、徳川幕府の京保年年間だった。それは、宗教上でも差別され、改名の際に、居土や女性等の文字も使われず、畜生の身分だった。
「秋田屋は倉蔵と喜三郎、大海屋は長七と弥一に決まったそうだ」
市五郎は、粘っこい視線を宗吉にあてて言った。
「だがな、言っちゃ何だが、秋田屋の二人、それに長七の技術はたかが知れてるんだ。だが、俺と弥一は違う」
市五郎は、角政にくる前に、大海屋で木地を修行した。こけし作りもそこで覚えた。市五郎と弥一に、こけしを教えたのは、仙台藩刈田郡の遠刈田から来ていた喜助という男だった。背が小さく無口なその男を、宗吉も覚えていた。その男が、宗吉の父が作ったこけしとは違うこけしを作っていたからだ。こけしと呼ばれる木の人形は、おのれが産まれた土地の、豊かな森や険しい山を、尺に足らぬその小さな姿の中で刻み込んでいるのだ。
喜助は、花のような華麗なこけしを作った。円錐に近い素朴な胴と、小さな頭部を持っていた。轆轤模様を主に使って、彩色は貧しかった。頭頂からの蛇の目に描いた線、それが髪だった。胴を彩った色彩は、轆轤模様を紅と黒色でなぞっただけなのだ。
喜助が残していったこけしは、それとは違っていた。肩の丸みから一気に裾まで落ちる剛直な胴の線、胴に比較して頭部が大きく、その頭部には赤い手絡模様を入れた。そして胴には、菊、桜、梅等を大胆な筆使いで描き、背にさえ、あやめを描いた。それが遠刈田のこけしだった。赤を主に、青とときには素肌を煮詰めた黄色さえ使って染め上げる花もようは豊麗であった。
「おめいが作るこけしは親爺ゆずりで曲げねえものな。だがな宗吉、俺はな、結局は俺とお前の勝負になると、睨んでいるぜ。弥一は筆を使えねえ男だ、うん」
「俺なんざ、兄貴の相手になれるもんか」
「そうは言わせねえぜ、宗の字。ま、一杯いこう」
太って丈も高く押し出しの立派な男だが、眼に険がある。酔うと市五郎の眼はまるで蛇だ。宵の口から丁だ半だとのぼせ上がっているうちに、襦袢に褌をひとつという情けない恰好にむしり取られた宗吉が、兄弟子の前に意気地なくしぼんでいる姿は、蛇に見込まれた蛙に似ていた。
「やけにいたぶられてんじゃないの、宗さん」
この店の看板になっている酌女お咲が、そばに寄ってきて言った。越後から流れてきたというこの女は、派手な目鼻立ちを厚化粧で彩ると、息を呑むように凄艷だった。
「やかましやい」
と宗吉は言った。その時、お雪の白い顔が暖簾からのぞいて、
「兄ちゃん」
とふくらみのある声で呼んだ。救われたように宗吉は立ち上がった。
「おお、逃げる気だな」
と市五郎が言った。
「お雪ちゃんのお迎えだってさ」
お咲が嘲るように声を張った。お雪の白い顔が引っ込んだ。宗吉は、もう市五郎には構わずに、お先を入り口まで引っ張って行って、
「おい、借りとくぜ」
と小さな声で言った。じろじろと、頭から足先まで見下ろしてから、
「きんたまでも置いていきな」
と言って、お咲はのどの奥まで開け放して笑った。紅い大きな唇が、濡れて男の心をそそのかす。
「あとは市兄いと、よろしくやりな」
「何言ってんのさ、身も心も宗さんのものだと、昨日言ったばかりじゃないのさ」
「うめえこと言いやがって、身も心もちょくちょく市兄いに貸してやがってるくせに」
「おや、妬いてんのかしら?」
「ちきしょう、誰が妬くかい。淫売め!」
「口惜しかったら、おぜぜ持ってまたおいで」
あおられて外に出ると月明かりに、お雪が膨れ面をして立っていた。
「みっともない恰好ね。あたいが恥ずかしくなっちゃうよ」
「なんだ、お前。文句言いにここまで来たのか」
「角政の叔父さんが待ってるよ。今夜はみっちり意見してやるって」
「いやなこった」
「本当に兄ちゃん、この頃どうかしてるんじゃない?丁半やお咲さんに貢ぐ前に、家の方にお金入れてよ。母ちゃんは寝てるんだしあたしの内職だって、そう度々はないのよ」
「わかってるって」
「お咲なんて女、どこがいいのかしら。あたし大嫌いだよ」
「よっ、味な台詞を言えるようになったな、お前も」
「本当にしっかりしてよ、兄ちゃん」
「よし、よし」
「あたしだって、たまには着物の一枚くらい欲しいわ」
お雪は、赤ん坊の時、秋田の材木屋から父が黒子に預かってきて、そのまま宗吉の家で育った。十七になる。大きな黒い瞳が、濡れてるように光って、唇の小さい、美しい娘だ。お雪は、自分がもらわれた子だということを知らない。
「こけしは作らないの?」
「綱取りがいねえ」
「あたしがやるよ」
「お前にゃ、無理だ」
元山は、女化ヶ原の奥にある線山の麓の木樵りが作った。あとの細工は、父の善兵衛が自分でしたのだった。支挾も、尻支挾も、爪も、藤の皮を乾かして、三本を一本に撚り合わせた綱も、竿だけは、土湯の木地職人に作ってもらったのだと父は言った。
「これはな、オノレという樹で作ったものだ」と、手製の轆轤が出来上がった時、寡黙な父が控えめな喜びのいろを顔に浮かべて言ったのを宗吉は覚えていた。
竿に七巻を巻いた綱を、まだ若かった母がこわごわ引いた。綱には細い木を輪に曲げた引手がついていた。竿が生き物のように廻り、支挾の外に出ている爪が目まぐるしく回転した。
「あれが御城下で初めて廻った轆轤だったのだ」
子供の俺には、そんなことは解らなかった。兄もよくは解らなかったのだろう。その時、若い父が、材木屋から、美しい椀や、木皿、柄杓、皿木など、はては独楽やこけしまで作り出す木地師になろうと憧れ、心に決めていたことを。秋の険しい峯伝いの柾見や、夜の遅い綱取り、荒取りなどが辛くて、兄は江戸に奉公に行く気になったのだろうか。
「兄ちゃん、何考えてるの、さっきから」
「ああ」
宗吉は、仕事場に降りてきそうなお雪の声を拒むように、手に持った蝋燭の灯を、フッと吹き消した。轆轤はたちまち闇の底に沈んだ。
「きんか瓜むいたから、食べようよ」
「今行く」
宗吉は、手探りで友鞍の上に腰を下ろした。手を伸ばすと、なめらかな竿の手触りがあった。引き手を握り、静かに綱を引く。闇の中に、竿の廻る音がコロコロと鳴った。外の闇で啼いている虫の音のように、ひそやかな音だ。左手を引く。なめらかな竿の回転が指先から腕に伝わる。轆轤は、昔、母が、それから兄の清次郎が綱を引き、痩せた足をあぐらに組んだ父が、バンカキやシッキリを使っていた頃と少しも変わらず、闇の中で宗吉を待ち続けていたようだった。その考えが、ひととき宗吉の胸を熱くした。
「こけしちゅうのは、泥人形作るのとは、少し訳が違うようだの」
「こけしは、木から生まれる花みたいなもんだ」
「一番いい材料たち、やまつつじかな、アオハダかな、どちらも、ええ肌をしている。だんごの木もいいが、あれは「光り眼」があってな、見つけるのが厄介だて」
「眉毛も、眼も、左から右、左から右と人思いに描く。鼻を描いて、そこで一息つく」
仕事をしながら、半ば独り言に言っていた父の言葉が、きれぎれに頭の中にひらめいては消える。
「親爺は、こけしに惚れていたな。俺は結局まだそこまで行ってないのだ。いや、もっとはっきり言えば」
闇の中で、宗吉は苦しげに眉を寄せた。
「俺は、市五郎の作るこけしが怖いのだ」
市五郎の仕上げるこけしの華麗な色彩が、圧倒するように眼の裏に明滅する。それに対して、自分のこけしは、黒色も紅い僅かな彩りも、見る見る色を失って、そこには、灰色の、目鼻もおぼつかない木偶が突立っているに過ぎないような気がした。市五郎のこけしが勝ち誇ったように澄んだ笑い声を響かせていた。
「まだいるの、そんな暗いところに」
笑ったのはお雪だった。
「瓜、母ちゃんと二人で食べちゃったから」
「ああ」
榾火が燃え、自在から吊るした鉄瓶が鳴っている。宗吉は膝をだいて炉端に背をまるめた。行灯のそばに真新しい生地がひろげてあるのは、お雪が頼まれた袷を縫っているのだろう。虫の声が騒々しい程近く聞こえる夜だった。
「お雪、米がもうないだろう」
「なだ、少しなら」
「おっ母あ、柾見は十月に入ってからかな」
「あーい」「何か言ったかい」
「いーや、まだ眼は開いてるよ」
「柾見だがよ。いつ頃が一番いいんだろうな」
「木の葉が落ちる、ちょっと前項だな」
「その頃はな、山の樹が今年の役目を終わった。さて寝るかと支度している時だと、父ちゃんが言っていたがな」
「兄ちゃん、やるの?」
「お前に綱取りが出来ればな」
「お雪だって教われば出来るよ。」
「やってみな、ぐずぐず考え込んでいるより、やってみるこった」
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