木地師宗吉
@kounosu01111
第1話
大江戸の西空に、糸で吊るしたようにひっかかっていた新月が落ちると、その後に、闇が来た。
広くはないが、庭はよく手入れされている。その角の築石の陰に寝転んでいた新吉が、むっくり起き上がった。待つことには馴れていた。さっきから、濃く桜の花が匂うのは、小路を隔てた真福寺の境内の八重桜だ。
新吉は中腰にしゃがむと、両手を後にまわして、腰から、股引きの尻っぺたあたりを念入りに払った。それから懐から紺無地の手拭いをつかみ出すと、きりきりと頭を包み、顎の下にきつく絡んだ。
「・・・・・・?」
築石の影に、ぬっと立ち上がった新吉が、突然ぎょっとしたように身を引いた。隣の戸田惣左衛門家寄りになったあたり、鎧小路から何者かが塀を乗り越えて、屋敷内に降り立ったのである。
「同業か?」
思わず舌打ちの出そうになった新吉が、もう一度ぎょっと身震いしたのは、別に小便がたまっているわけではない。塀を乗り越えてくる気配が、一人だけでないからであった。
新吉は息を潜め、貼り付くように石の陰から眼だけ光らせている。塀を乗り越えてきた影は、いったん塀の下に固まると、今後は一列に長くなって建物の方に歩き出した。足音もしなかった。
日は昇ったばかりである。日差しは建物にさえぎられて、まだ裏庭には届いていなかった。塀ぎわの高い椎が明るんでたっているだけである。椎にあたる日差しはまだ弱いが、今日も暑くなるだろう。空には雲ひとつなかった。
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