開戦前日

張り詰めた空気が漂う社。

桐雫きりのしずくはいつも通り境内を掃除していた。

ふと森から視線を感じ振り返る。

動物だろうと気配のする方を見ていた。

ガサガサと音がなり、出てきたのはリスやキツネなど可愛いものではなく人間だった。

人間は20代後半ぐらいの男で目は線で引いたように細く、優しげな雰囲気がある。しかし身に付けている服等は全てボロボロであった。

男はこちらに構わずキョロキョロと周囲を見ている。

桐は唖然としていた。頭の中は疑問符で埋め尽くされているが、人間には我々は見えないのだから聞きようもない。ただ自問自答するばかりだ。

しばらく男を観察していると視線がカチリと合った。

男はまるで最初からそこに居たのを知っていたように別段驚く様子もなく話しかけてきた。

「どうも、エラいお綺麗な方で。このボロ屋の主ですか?」

喋る言葉の端々に京なまりが見える。

「こんにちは、旅のお方。ここは神社です。この地域を守護する者を祀っております。」

「ふぅん。にしてはかなりボロいですねぇ

あれですか、信仰されなくなって廃れた感じですね?」

桐はこの男に違和感を覚えた。

こちらの事情を知りすぎている。

「そうですね。ですが子供たちや老人方には認知されていますよ。ところで貴方はどちら様でしょう?」

「あぁ、申し遅れました。」

と言うと地面に『明』という字を書いた。

「修験者と言いますか、魔祓いと言いますか。そんな感じのことを生業なりわいとしております。字は明、読みは各々に任せます。『あけ』でも『あき』でも『みょう』でも。

あんさんは神木様ですね?いや美しい。木は腐らない限り美しさを保てるから良いですね。」

言い当てられ桐は言葉を失う。やはりこいつは関わってはならない人物だと確信した。

信用ならない男はまだ喋り続ける。

「私の家に伝承があるんですけどね、全く解読できないんですよ。この地域のことやと思うんですけどねぇ。

『祟り大神、山に秘めし御力 幾千の月を超え暴かれむ。我が土の為。我が骨肉の為。我が道の為。』ってね。」

「そうですか…他に情報はありませんか?伝承を解読する手助けができるかもしれません。」

「そうですね…家紋と家宝ぐらいやったら」

と言って差し出されたのは家紋の入った印籠いんろうと名前の入った刀だった。

それを見た瞬間、あるはずの無い体温と血液が冷たく凍りついた心地がした。

何者でもない、真神の力を封印する札を貼った者の末裔だと分かる。

「私には見覚えのないものですね。お役に立てず申し訳ありません。」

咄嗟にこの男を真神に近付けてはならないと思い誤魔化す。

「町に行くのならば、この境内の階段を降りて真っ直ぐ行けば着きますよ。」

「御丁寧にどうも。」

男はザリザリと境内の砂利を踏み締めて進んでいく。

「あぁ、せやった。」

何かを思い出したように振り返るその目は初めて見た時の優しさは微塵みじんも感じられなかった。

「あんさんの主人に言うといて。『あんまハメ外したらあかんで、此処に居られんくなる』ってな。ほな、また逢う日まで。」


飄々ひょうひょうとした背中が見えなくなると桐は大きく長い溜息をついた。

「やっぱりバレるよなぁ。何がしたいんだろうあの人は。ハメを外したら此処に居られなくなる…か。真神に伝えるべきか否か。」

珍しく桐が顔をしかめる。

「にしてもあの家紋…今思い出しても虫唾むしずが走るな。誰のせいであの事件が起きたと思ってるんだ。人間の勘違いのせいだろう。」

本坪鈴に貼られた赤い札を睨みつける。

「因縁も終わりだ。」

桐は作業に戻った。

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現代妖奇譚(仮) 蛙鳴雀噪(長期休暇中) @Jison

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