懇願

 ……朝。目が覚めるとそこはいつもと変わらない、僕の部屋の天井だった。陽の光が下から漏れる青い遮光カーテンも、何も置かれていない勉強机や床もいつも通り。代り映えのない光景だ。

 だが、いくつかいつもとは違うことがある。まず、僕が服を着ていないこと。当然いつもは寝間着を着て寝ている。朝起きた時に寝間着はおろか下着すら身に着けていないことなど物心ついてから初めてのことだ。そして二つ目に、異様に腰が痛い。ぎっくり腰とかそういう類ではなく、普段使わない筋肉を使ったことによる筋肉痛らしかった。地味な痛みで起き上がったりする動作がいちいちつらい。

 ……そして何よりも一番違うのは、横に福原が寝ていること。それも裸の。それを認識して少し顔が熱くなる。自分がこういうことをするのはまだ先か、あるいは一生しないであろうと思っていただけに、少々気恥ずかしさが強かった。

 再度、まだ眠っている福原に目を向けた。茶色がかった髪の毛が鎖骨の辺りで乱れ、その髪の束の中に整った顔が収まっていた。昨日の夜、初めて見た福原のすっぴんは、化粧などしなくてもいいほど綺麗だった。……いや、恐らく好意による補正はかかっているだろうが。いずれにしても今この瞬間も僕はこの顔に心臓を揺さぶられているのだった。

 ――ここでいきなりキスでもしたら福原は驚くだろうか。それとも照れ笑いをして茶化すだろうか。仮にも彼氏で、そういうことをした仲なのだ、不意打ちのキスぐらい許されるだろう。……何を考えているんだ僕は。僕らしくもない。

 汚らわしい男くさい妄想を脳の端に追いやり、起き上がる。部屋の中は行為特有のにおいが充満していて正直自分で吐きそうだったものだから、たまらずカーテンと窓を全開にした。その副産物で全開の太陽光がまだ寝ている福原に降りかかる。流石に眩しかったのか、福原は眠そうに目をこすりながらむくりと上体を起こした。

「おはよー、ナガヌマ」

「お、おは……っ! お前、とりあえず服を着ろっ……」

 福原がまだ裸なのを完全に失念していた。あまり動揺しているのを見られたくはないので明後日の方向を向きながら僕も服を着始める。

「えー。えっちした仲なんだから今さらでしょ~。おっぱい揉む?」

「うるさい💢」

 母も姉も滅多に部屋に入ってこないとはいえ、一応は実家なのだからもう少し緊張感を持ってほしい。……そう思いつつも、疲れているはずの僕のモノが元気になっていて、我ながら男というものの単純さを恥じるのであった。


「痛たたたぁ! えっちすると腰が痛くなるってほんとだったんだね。あたし迷信とか都市伝説かと思ってたわ~」

「そういう下世話な話を大きな声でしないでくれ。人に聞こえるだろ」

 こいつは常識的なのか非常識なのか時々分からない。多分、自分に関することは基本フリーダムのようだが。

「そんな筋肉痛で遊園地楽しめるのか」

「それは余裕のよっちゃんでしょ~! もしアトラクション無理そうだったらカレシと一緒にパレード見るしさぁ」

 彼氏……。やはり未だに慣れない……というか腕を組まれるというのも僕は初めての経験だ。確かに街中でこうしてあるいているカップルを見たことはあるが果たしてこれは常識的なのか非常識なのか。僕が当事者になることを予測していなかったために考証が足りていない……。

「ナガヌマはさ~、乗れないものとかある? おばけ怖いとか絶叫無理とか」

「そういうものはそもそも触れたことがないから苦手かどうかも分からない」

「じゃあもしかしたら苦手なの発覚するかもね? 楽しみにしとこ」

 そんなことを楽しみにされても困る。僕はそういったエンターテインメントにはハナから興味がないんだ。恐らく全く反応を示さないだろう。それが福原の最期に相応しいかは分からないが。

 ――最期。その単語が改めて僕の胸にのしかかった。今目の前ではしゃいでいるこの少女が明日にはもう生きていない。そう思うと僕の足取りは重く、そして遅くなるのだった。


※ ※ ※


「ねえまじで全部真顔とかあんたおかしいんじゃないの!?」

「勝手に期待していたのは福原だろう。僕は苦手だとは一言も言っていない」

 そうだけどだからって本当に何も反応がないとは思わないじゃん! あんた本当に人間!? というかせっかくのデートなのにそれでいいと思ってるわけ!? こっちは全然楽しくないんですけど~~~!!!

 お化け屋敷で腕掴まれても真顔とかおばけ役の人もドン引きしてたからね!

「もーまじで楽しくないんですけどー!」

「楽しくないなら他の人間と来れば良かっただろう」

「ゔっ……そ、それはそうじゃなくて……もー! 冗談だよ冗談! 真に受けるなってそんなの!」

 全く相変わらず乙女心ってやつが分からんなナガヌマは。えっちの時だっていちいち「そろそろしていいか」とか聞いてくるし! そういう時は黙ってリードしてくれるもんでしょうが! ……いやまあそういう不器用なところがかわいいんだけどね……? ってただの惚気やんけこれぇ。

「と、と、とにかく! 次で最後のアトラクションにしよ! 最後はもうあたし決めてあるの。観覧車だよ! デートって言えばやっぱり観覧車でしょ!」

 密室の空間で二人きり……人生で一回はやってみたいよね。もう付き合っちゃってるからこれ以上進展も何もないけど、やっぱり二人きりってドキドキするじゃん……? ナガヌマもエッチの時まんざらでもなさそうな顔してたし、きっと観覧車の中でもデレてくれるはず!

「おー、ほらほら下まで透明なやつ見えるよ! あれあたしパンツ見えちゃうかもな~……やだなあ冗談だよ、そんな怖い顔しないでって」

 もしかしていっちょ前に独占欲あるのか? こいつ。だとしたらかわいいなぁ。こういう堅物ほどちょっかいを出してやりたくなるぜ!

 そんなに列にもなってなかったし、順番がすぐに回ってきて二人で乗り込む。こうやってゆっくりステージから離れて上がっていくの、なんか地上のうやむやから逃れられたみたいであたしはとても好きなんだよね。

「ねぇ見てナガヌマ! あそこにさっき乗ったジェットコースター見える! 観覧車から見ると意外に低いねぇ~……ってあれ、ナガヌマ?」

 元々口数少ないヤツだから気付かなかったけど、いつの間にかナガヌマはものすごく不機嫌そうな顔をしてゴンドラの床を見つめていた。あたしってば、舞い上がりすぎて肝心のナガヌマのことを見てなかったよ……。

「ちょ、どうしたの? 気分悪い? それともあたしがなんか変なことやっちゃった? そしてら謝るからさ――」

「福原は」

 そうかと思うと急に顔を上げて私の目を真っ直ぐと見た。な、なに? こわいんですけど……。

「福原は、僕のことが本当に好きなのか」

「……でぇっ!?? な、なにさいきなり……そ、そりゃ、好きだよ。えっちしたいくらいには、さ」

「僕は福原のことが大好きだ。多分心から愛してる」

 ちょ、ちょちょちょ、まぢで一体どうしたのさナガヌマ……あたしのペースに巻き込まれて遂におかしくなっちゃった!?

「僕は……福原が死んでしまうかもしれないと思うと、胸が、頭が、痛くて痛くて堪らないんだ。絶望ってこういうことを言うのかもしれない。福原がこの世から消える、それを考えるだけで闇の中に取り込まれるような、果てしない地獄に囚われたような、そんな感覚に陥るんだ」

 ナガヌマは膝の上で拳を握りしめながら、苦しそうな声でそう言った。――ああ、ナガヌマが浮かない顔だったのはそのせいだったのか。あたしもこの時間だけはそれを忘れようとしてたんだけど、ナガヌマからしたらそんなの関係ないもんね。

「ごめん……つらい思いさせて」

「僕は、僕は福原を愛してる。だから死んでほしくない。僕は今僕自身が分からない。分からないけど僕はもうどうにかなりそうなんだよ。君のことを想うだけで!」

 ナガヌマは絞り出すような声で言うと、眼鏡の奥から幾筋の涙を滴らせた。ナガヌマがこんなになるなんて、デレるよりも予想外だったよ。――こんなにも私のことを愛してくれているなんて、夢にも思ってなかったよ。

「頼む……お願いだから……お願いだから死なないでくれ……。僕のことが好きなのであれば僕を救ってほしいんだ。お願いだから……頼む……」

 ナガヌマはそうして号泣したけど、あたしはそれに応えることができなかった。係員さんに声を掛けられてもなおナガヌマは泣き続け、やっと泣き止んだのは遊園地の外に出たくらいだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る