もっと情景描写をしてもいいんだよ

 『ミコトとレン』の執筆を開始してからしばらくったある日、あの人からこんな風に言われました。

「じゃあ、そろそろ技術的な話もしていこうか?これまでは、一流の作家のあるべき姿とか理念の話ばかりだったけど、もうちょっと具体的なことも語っておいた方がいいだろうから」

「はい、よろしくお願いします」と言いながら、私はペコリと頭を下げました。

「この小説には、“私”と“あの人”しか出てこないけど、次の作品ではもっと大勢おおぜい登場人物を出した方がいいかも」

「確かに。他の人って全然出てこないですよね」

「まあ、それはいいよ。この作品自体かなり特殊な形式で書かれているし、役割としても普通の小説とは全然違うからね」

「そうですよね」

「それよりも、もっと重要なことがある」

「なんですか?」

「それは、この小説のほとんが会話と心理描写で成り立っていること。おかげで、時々ビックリするほど心理描写のうまいシーンがあったりするんだけど。それにしても、もっと情景描写をしてもいいんだよ。服装はどういう格好をしてるとか、外はどういう天気なのかとか、何を食べながら話しているとか」

「でも、あなたが言ったんですよ。『必要最低限のことだけ書きなさい』って」

「確かに言った。君がその指示を着実に守っていて偉いとも思っている。でも、この辺でもうちょっと自由に書いてもいいんじゃないかな?」

「自由に?」

「そう。あまりにも最低限の情報ばかりで構成され過ぎていて、簡素な感じがするんだよね」

「はぁ」

「もちろん、それはいい。この作品自体はこのままのペースで書き続けてもらえばいい。でも、次の作品からはもっと余計なことも書いてみた方がいいんじゃないかな?」

「余計なこと?」

「そうだ。情景描写もそうだし、会話とか心理描写もそう。“必要最低限”のことをじくにして、もうちょっとに肉づけしていく感じかな?」

「お肉をつけていくんですか?」

「そう。今のままだと、ガリガリの骨だけって感じなんだよね。そこに最低限の筋肉がついているだけ。だけど、もうちょっとふっくらとした方が全体的な印象がよくなると思うんだけど」

「太っている方がかわいいってことですか?」

「まあ、そうだね。女性と同じ。あまりにもお肉がなさ過ぎると魅力がなくなってしまう。女の人が思っているよりも太っている方が、男性は魅力を感じるものなんだ」

「そういうものなんですか?」

「そういうものだね」

 私はしばらく考えてから、こうたずねました。

「じゃあ、私の小説の読者は男性がターゲットなんですか?」

「どうだろう?今のは単なるたとえ話だからね。ただ、あまりにも簡素過ぎる文章は、読者に伝わりづらいかも」

「内容が?」

「内容もそうだけど、どこで何をやってるとか、季節はいつなんだろうとか、外はどんな天気なんだろうかとか。そういうのは必ずしも小説に必要な情報ではない。けど、あまりに少な過ぎても読者は物語の世界に没頭できなかったりする」

「なるほど。わかるような気がします」

「もちろん、最終的には君の好きなように書けばいい。君の小説は、君だけにしか書けない。そのためのスタイルも君自身が決めるしかない。でも、今はまだ訓練の期間だからね。いろいろとやってみておいた方がいいと思うよ」

「訓練の期間?」

「そう。もちろん君は真剣に小説を書き続けているのだろう。それは読んでいて伝わってくる。でも、同時にこれは訓練でもあるんだ。今が一番能力が伸びる時期だからね。登場人物や情景描写を増やしてみるのもそうだし、いろいろなジャンルの作品にチャレンジしていくのもそうだし。全てが作家としての能力を伸ばす訓練になっているのさ」

「わかりました。じゃあ、やってみます」

 そう答えると、私はこれまで以上に意識しながら小説を書いていくことにしました。“全てが訓練”というあの人の言葉を胸に、これまでやっていなかったことにも挑戦していくことを決心したのでした。

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