11-5
思索に耽っていたのはほんの僅かな時間。
キャノピィを振り仰げば、上方からこちらを追ってくる二つの機影。どちらも推進式。黒の船団の艦に乗り込んだ時に見たものだ。高度がある分、急降下で速度は優位。急襲を仕掛けてくる。
撃ってきた。まだ全然遠い。
けれど躱すよりほかない。
二機と一機、つまり僕が単独で別れる。一機を組み易しと見てこっちに来るなら、相手は二機を背後に回すことになる。逆なら逆で僕がやりやすい。申し合わせたわけじゃないけど、普段からのウィングマンがいる以上、適切な戦術だ。が、もちろん相手もそれは見抜いているだろう。
結果は二機が二機につく形。当然の計算だろう。しかし僕が援護につくことも見越しての行動。
すぐに僕は敵二機の背後についた。するとやはり片方が離脱。黒の船団にヘルガ・ヴァーリというエースがいたことを考えると、さっきより容易いってことはないだろう。
眼前の敵は二機の僚機を追ってはいるものの、明らかに撃墜するつもりの薄い動き。僕の動きをしっかり見ているのだ。先に僕を片付けてから二機を相手にする算段だ。
スカーフェイス隊の二人も腕がいいから、テンロウのロールの鈍さ故に何発かの被弾をするものの動きに支障はない。そして敵も僕が撃つたびによく躱す。
そうこうしている間に離脱した敵機が僕の六時についた。ここまでは予定通り。僕は敵機に夢中になっているふりをしながら、フラップをわずかに開いて揚力を調整。ラダーに意識を集中させる。バック・ミラーで何度も背後を確認。気づいていることを悟られてはならないが、あっちが読んでいる可能性も十分に考慮する。そして何より三機目の敵が来ないか、それに尽きる。
射撃位置につき次第、撃ってくるだろう。
一、
二、
三、
今。
ラダーを蹴り、操縦桿を思い切り引く。
片翼失速。
一瞬、通常飛行では絶対に出来ないほど素早いロール――これは一時的な制御不能を意味する――速度も高度も一瞬で落ちる。
スナップ・ロール。
通常より大きく、素早くローリング。
どちらかというと機体が巨人の手に掴まれて振り回されるような心地。
問題は次。この意図した失速状態からいかに素早く復帰するかだ。
敵の位置を頭で思い描きながらスロットルを吹き上げ、ラダーを踏ん張って制御を取り戻す。
二秒数えた。
回った視界がぐぐっと上がる。
ぴたり。
旋回中の敵の背後に就く。
撃て。
意識するより先にトリガを引く。
だだだだ。
高機動の直後のせいで少し撃ちすぎた。
けれど翼をもぎ取られた黒の船団の戦闘機が、くるくる回りながら墜ちていく。
次。
そういえばこれで撃墜数は五機目か。相手が相手だから、カウントされるかは怪しいけれど。
もう一機は僚機が撃墜されたと見るや、翼を翻して素早く逃げに転じた。
なんて素早く賢明な判断。拍手をしたくなるくらいだ。
僕は当然、それを追わない。今は逃げることが先決だ。
「シラユキ、大丈夫か」
「ロンドブリッジ、今、敵が逃げていった。そのまま逃げて」
「了解した。助かったよ。お前も無事でな」
「うん」
こっちももう燃料も弾薬も心許ない。黒の船団が来なかったとしても、潮時だったろう。
着陸してエンジンを止めるその時まで、気を抜かない。増してまだ主戦場は近い。
その習性が僕を救った。
きらり、と何かが光ったような気がして、咄嗟に操縦桿を両手で握って倒す。
そこを曳光弾が引き裂いて駆け抜けた。
歯を食いしばりながら急旋回。
新手だ。
急降下しながらの一掃射を終えて、鋭く翼を立てて旋回。
無駄のない動き。
ブレーキも早すぎず遅すぎず。
しかし幸い僕の反応が早かったため、ちょうど円心の頂点を互いに陣取る形になった。
旋回途中、敵の機体を確かめる。
機体はさっきの奴らと同じだけど、一瞬でも気を抜いたら追いつかれるほどの強烈なGで追ってくる。
そして見えてしまったので思わずうめく。
エンブレムは、箒。
魔女の箒だ。
こいつはまずい相手に当たったな、と思う。今日はどうやらとことんついていないらしい。
旋回戦では性能が高いあちらが有利。そもそも推進式のほうが数値の上でのスペックは高いのだ。付き合う義理はない。タイミングを見計らってターン。逃げに転じる。そうでなくたって、もう燃料もないんだ。付き合っていられない。
ところが敵は追ってくる。もしかしてさっきの奴の仇か何かだろうか。戦場なんだからそういうの、やめてほしいな。
撃ってくる一瞬前に回避。
煙を曳いて抜けていく閃光を躱しながらも、速度は緩めない。幸いというべきか、速度はほぼ互角か。
相手も再補足が早い。
また射線に捕らわれそうになったのでブレイク。
今度は撃ってこなかった。
これは相当に慎重なエースだ。
無駄弾を撃つ様子がない。
三度、四度と回避行動を取るが、向こうは撃たない。
当たり前だが、撃ってこなくても背後につかれているというだけでこっちは神経を使う。
正直、さっきに三機編隊のエースのほうがずっと楽だった。
こっちは十数える間に三回くらいの頻度で完璧に背後を取られているんだ。
だが五回目がそろそろ来るか、と思った時、一瞬だけ相手の動きが鈍った。
といってもやれることは少ない。少しでも距離を稼ぐほかない。
無線から雑音。まさか、と思った時には音声が届いた。
「シラユキでしょう、あなた」
その声は聞き覚えのあるもので、エンブレムと同時に鮮明に思い出されるものだった。あの黄昏の山間でのターン。僕のイメージを強く超越する美しい機動。
ヘルガ・ヴァーリ……ストレガ。
「ストレガ、何でこの会社の周波数知ってるのさ」
「ああ、やっぱり! さっきの撃墜の手際で、もしかしてと思いましたけれど」
全くこっちの話を聞いてくれない。歓喜の声に対して、僕は本気で懇願した。
「逃がしてよ。もう燃料も弾薬もない」
「こんなチャンス、もう一度あるかどうか」
「じゃあ、僕はシラユキじゃないよ」
「もう遅いですよ。それと何ですか、そのペンギンのエンブレム。ふざけているんですか」
「ペンギン?」
何のことを言われているのか分からず、少し考えて、自分の機体の腹のペイントだと思い至るのに割と致命的な時間が掛かった。そういえば整備士に描いて貰ってから、自分でそれをじっくり確かめたことが一度もなかった。せいぜい遠くからでも見つけやすいな、くらいだ。
「適当だから……」
「どちらにしても、あなたと戦うのをずっと楽しみにしていたんです」
冗談じゃなかった。
どうやったって燃料が足りない。途中で不時着するのは別にいいけれど、こいつが無事に帰してくれるかどうか。
僕は高度を思い切って下げた。もはや地面の石ころすら見えるほどの低空だ。
「逃げるんですか!」
もう答えない。
逃げるよりほかにないのだから、逃げるのだ。
怒ったのか、ストレガが撃ってきた。牽制じゃない、容赦なく当てるつもりの射撃だ。
慌てて旋回。さらに低く。そろそろ戦場区域を抜ける頃合いだ。
「これ以上追うとエリアから出るよ」
「まだいけます」
わずかな起伏に隠れるようにしながら逃げる。
全然振り切れない。雲の上と違って、地に潜ることも出来ない。
「お願いです、シラユキ。私にはそれ以外の望みなんてない」
「じゃあ今度。今度戦ってあげるから」
ほとんど泣きたい気分でうめく。
いい加減、操縦桿を握りっぱなし、高機動をかけっぱなしで、こっちの脳に酸素が足りない。パイロットの六割頭というけれど、もう四割くらいしか動いていない。
だから、だろう。
それに気づかなかった。
「あっ」
というストレガの声と、僕の全身を激しい衝撃が襲ったのはほぼ同時だった。
衝撃が、二度。
今度は地面に激突したのだとはっきり分かった。
機体が無惨にひしゃげる音。プロペラが折れ、翼が吹っ飛び、僕はシートベルトに躰を両断されそうな痛みを覚えた。
機体が地面を抉りながら回転。
吐きそうなほどの震動に思わず目を閉じた。
振動が何秒か続いて、完全に止まる。
あまりの痛みと衝撃に、耳がしばらく聞こえなかった。
それが多少ましになった頃、羽虫のようなエンジンの音が聞こえた。
目を開けて見上げると、まず完全に停止した計器、それと折れて歪んだプロペラが見えた。次に地上。スパイラルに入れてこちらを伺っているストレガがいる。キャノピィ越しに何か叫んでいる。けれど無線機も死んだらしくて、何も聞こえない。
それよりも足が痛くてたまらない。目の前に白い粒が広がるほど痛い。
キャノピィが開くか試してみた。幸い、少し抵抗はあったけど問題なく開く。そこでやっとシートベルトの解除に取り掛かるのだけど、あまりに足が痛くて手が震える。ひどく手間取ってシートベルトを外し、コクピットから出ようとする。半分本能のようなもので、墜落した機体に長居していいことは一つだってないのだ。
口の中、血の味がする。舌は切っていないようだけど、頬は噛み切っただろうな。
立ち上がろうとして、右足に猛烈な激痛。呻きながら這い出して、何とか腕と左足だけで翼伝いに降りる。着地の時にはもう気絶するかと思うくらい痛かった。
見ると、主翼に太い電線から引っ掛かっていた。
多分、あまりに低空、そして市街地に近づきすぎて、電線に引っ掛かったのだ。よく生きていたな、と思ったけれど、そこが限界。痛みで目眩がして、僕はその場にどさりと倒れた。
ストレガ、さっきまであんなに殺意満々に追ってきたくせに、こっちに向かって機銃掃射するような様子もない。寧ろ心配そうに何度も旋回して地上を伺っている。
僕は苦笑いして手を振った。それでも三回ほど旋回した後、ヘルガ・ヴァーリはその場を飛び去った。
嗅覚がやっと戻ってきた。
燃料の臭いがする。
戦場からはだいぶ離れただろう。
痛みはますます酷くなる。
足だけじゃないかも……
頭は打っていないけれど……
悪いことをしたな、と機体を振り返ると、何だか初めて見るようなペンギンのエンブレム。
青い、えらく太った、不格好な鳥だ。
ペンギンってこんなのだろうか。目がまん丸で何だか怖い。
ミモリはこんなのに僕を例えたのか。何だか笑ってしまう。
笑っているうちに瞼が重くなってくる。
燃料の臭いがするから、ここにいるのは危険なのだけど。
それでも睡魔に勝てず、もう起き上がれないかもしれないけれど、最後に思い切り戦闘機を振り回せたし。
僕は子供の午睡のように穏やかな気持ちで、意識を手放した。
眠りの瞬間の、あの遊星の上から滑り落ちるような浮遊感の中。
地上の彼女が言っていた、ペンギンを見るという約束を不意に思い出していた。
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