10-6

 煙草はまだ半分ほど残っていたけど、灰皿に捨ててガトー達に手を一振り。


「ごめん、先に行ってる」

「おう、今日はもう仕事もないだろう。ブリーフィングまで休んでていいぞ」

「報告書は退勤時間までに出せばいいよ」

「了解」


 やや急ぎ足。電話で待たせているというのは料金を支払い続けているということなので、どうしても急かされる気分になる。だから電話は嫌いなんだ。


 でもミモリが緊急の用事と言った。僕にはそれだけで、急ぐに足る理由となる。


 ロビーに並んだ電話機から、事務員に聞いた番号の筐体の受話器を受け取る。通話はすぐに繋がった。


「シラユキ?」


 まだひと月も経っていないのに懐かしく感じる声。


「ああ、お待たせ……ミモリ」

「良かった、フライトから帰ったばかりって聞いたから」


 思ったよりも急ぎではなさそうな声。拍子抜けではないけれど、僕は少しだけ上がった息を整える時間を自分に許した。


「うん、さっきね」

「少し疲れている?」

「少し。詳しくは言えない」

「そうだよね……新しいフレガータ、調子がいいよ」

「もう少し乗ってやりたかった」

「そのぶん、あたしが乗ってあげる」

「気を付けて。前より遊びが減ってたから」

「もう今のフレガータには、シラユキよりベテランだよ。前からだけど」

「それもそうか。……それで、緊急の用事っていうのは?」

「あ、そうか。……緊急に声が聞きたくなった、じゃあ、駄目かな」

「いいんじゃないかな。緊急でしょう?」

「うん。ところでこの電話って記録されてる?」

「そう思ったほうがいいよ」

「じゃあ、会社の業績とかは話さないほうがいいね」


 灰皿を探そうとして、無駄なことだと気づく。オフィス内は禁煙だ。


「話、長くなりそう? 何だったら別の場所から掛け直す」

「ううん、用件は短いの。今日は疲れてるでしょう?」

「え、あうん」


 何だか唐突で、僕は間の抜けた返事。


「すぐ部屋に帰って休んだほうがいいよ」

「……うーん」


 特に理由があったわけではない。ただ即答を躊躇った。結論からして僕の躊躇は正解であっただろうと思う。もちろんその正解はこう答えることで達成される。


「分かった、休もうかな。確かに疲れた」

「友達が疲れてないか、こまめに連絡するのも友達の役割かなって」

「僕は君がいつ疲れているかなんて、分からないな」

「そりゃ勤務体制が違うからね」


 そうではない。


 僕は恐らく君に体調の確認のためだけに連絡はしないということ。

 それが友達の役割だというなら、やはり僕はそれを果たすことが出来ないのだということ。


 けれどもちろんそんなこと口に出さず。


「じゃ、あたしもそろそろ仕事戻らなきゃ。すぐ部屋に戻って休んで。いいね?」

「うん」

「また、連絡する。近いうちに」

「分かった」

「無事でいてね」

「うん」

「また、必ず連絡するから」

「うん」

「出来たら、シラユキも、手の空いた時に葉書でも送ってよ」

「分かった」

「無事でね」

「うん」


 電話を何となく切りにくい雰囲気だった。こういうのも、僕が電話を嫌う理由の一つ。それでも何とか受話器を置く。こういう時、事務にひと言声を掛けておくのがルールだ。


 割当てられた部屋に戻り、扉を開ける前に一度だけ周囲を見渡す。プロが相手だと、こんなことだけで警戒できたとは思えないけれど、やらないよりはいいだろう。


 扉を開ける。


 すると、扉の下から滑り込ませたらしい紙片が足下に見えた。

 ため息をついて拾い、畳んであったそれを広げて一読。


 少しだけ顔を顰めて、扉の鍵を閉める。


 二回、三回と読んだ。


 内容を理解出来たので、部屋の中にまで歩いていって、燧火で火を点けて灰皿の上に。

 あっという間に燃え尽きる紙片を見て、また吐息。


「僕が疫病神だって?」


 全く本当に。新しい煙草を取り出す。


「そうかもね」


 そろそろ、流石に、反論出来そうになかった。

 今度は煙草を喫うために燧火を点ける。燐の焦げる臭いに少しだけ苛立った。

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