11.レッツ・ダンス

11-1

 情報を社内に出してからは早い。何しろ作戦情報が漏れては困るので。僕らは夜明けを待って会社近くの基地から飛び立つ。


 見送りに来ている人間はいない。秘匿された情報だから当たり前だが。でもこうして大量の戦闘機がぶんぶんと羽音を震わせていることで、誰もが気づくんだ。もちろん、たまたま早起きして基地まで散歩してきた人間も、警備員に拘束されてしまう。手荒な扱いはしないが、数時間ほど足止めされた後に解放される。


 僕はコクピットの中。

 まだキャノピィを閉めていないから、朝露と草の臭いが濃い空気が、燃料とオイルの匂いに紛れて届く。いつもより念入りに機体のチェックが行われる。ここから何時間か飛んで他の基地で一度補給のために休憩して、再び離陸。最終的な戦闘空域に向かうことになる。


 戦場はいくつか事前に抑えてあった地域から選出される。今回も――パイロットに渡される情報が常にそうであるように――具体的な地名は明かされていないが、地形だけは頭に叩き込まれている。戦闘空域を離脱してしまった場合は戦闘管理会社の観測機から警告が来る。これを無視し続けると、敵前逃亡という名の契約違反になる。


 今回の戦場はなだらかな起伏が続く平地で、特に飛行を妨げるものはない。ただ、空域を抜けてすぐのところに民家がある点は注意が必要。例えば被弾して制御困難になった場合などは、やむを得ず不時着する場合があるのだけれど(そしてこの場合は管理会社も見逃すケースが圧倒的に多い)、民家が近いといろいろ不便なのだ。出来れば被弾は避けたいな。


 離陸が順繰りに開始される。単発からなので、僕の出番もすぐ。最初の編隊が、ふわりと、エンジンと揚力の加護を受けて浮かび上がった。そして白靄の中にすぐに溶けていってしまうんだ。地上から離れるということは、地上から一時的にその姿を消すということでもある。航空艦の乗員はたまに自分達のことを幽霊なんて呼んだりするけれど、それは航空艦が電探の力が及ばない流電層の近くを飛んでいるから、本当に人間の知覚から長いことその存在を隠されていることに由来する。空は人類の死角だ。


 そろそろ順番だ。僕はヘルメットを被り直し、ゴーグルを嵌めようとした。その直前、一瞬だけ基地のフェンスを盗み見た。誰もいない。馬鹿馬鹿しいほど少女めいた行動だったな、と思い、キャノピィを勢いよく閉めた。


 外界の音が遠ざかる。

 聞こえるのはぶんぶんと鳴るエンジン音。

 力強い振動が、シートから腰に、スロットルから腕に伝わってくる。


 酸素マスクの出番はまだないだろう。


 眠り続けていた猛禽がぶるりと身を震わせて、羽ばたき始める、あの感覚に似ている。


 無線に入電。

 クリアード・フォー・テイクオフ。


 スロットルをゆっくりと押し上げる。

 武装を満載したクーガーが滑り出す。


 空で戦うため、そのことだけを目的に作られた戦闘機械。

 その恐るべき馬力が僕を前に押し出した。

 油温と油圧をチェック。僕の家来どもはいずれも従順だ。


 横風はほとんど無視していいレベル。早朝だから仕方ないとはいえ、これで靄がなければ絶好のシチュエーション。


 速度が充足した。


 操縦桿を傾ける。


 機首上げ。


 ぐ、と腰に掛かるGが増す。


 振動が消える。


 世界の音が切り替わる。


 大地から伝わる振動が消えて、


 僕の躰は重力の鎖を引きちぎる。


 空よ。何も持たない、単純で美しく、永劫の死を司る空よ。

 僕は君に何も求めない。君も僕に求めるものはないに相違ないが、それでも僕が君のもとに滞在するには多大な燃料と費用を要求されることだろう。


 それでもなお、人が求めてやまない空よ。

 地上の穢らわしさを寄せ付けない高潔な存在。


 けれど人類はその空をも無粋に支配しようとしている。

 実際のところ、航空艦や空中都市の彼らは支配者ではなく漂流者に過ぎないのだけれど。


 それさえも君は拒むことなく受け入れる。

 受け入れ、そして縛ることもない。


 墜ちる時には墜ちるのだ。それを誰一人として留めはしない。


 冷酷な自由の代表者よ。


 そう、自由とは本来冷酷なものだ。


 地上の人間達が歌う、陽気で活気に満ちたものとは本来真逆だ。


 広がるのは一面の海原と死の荒野だというのに。


 そこを目指して羽ばたく鳥とパイロットだけが、その事実を見知っている。


 待ち受ける生と死を見知っている。


 僕達が向かうのは戦いの空。


 けれどもともと、空とはそういうものだろう?


 最初の空を飛んだ男達は、その最期を空からの落下で迎えた。


 その瞬間から僕達は全てを承知してここにいるのだ。


 覚悟を決めた者達よ。


 行こう、死に彩られた虚空こそが僕らの至る道だ。

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