10-4

 よかろう。


 僕はほんのわずかにスロットルを押し上げて、敵機後方下位から接近する。

 周囲を念のためもう一度見渡す。目に映る範囲なんて、ドグファイトが始まったらすぐに逸脱してしまうけれど、まあ、機影なし、民家の類もなし。近くの工場は軍属のはずなので、特に問題はなし。


 よかろう。やってみようじゃないか。下から接近。飛行機のエンジンは基本、パイロットより下の部分に位置する。そのため下からの音声は聞こえないし、当然キャノピィに下方視界はない。完全な死角だ。


 ゆっくりと上昇。耳のいい奴は自機の音声に紛れる異音に即座に気づくから、ここで焦ってエンジンを吹き上げると気づく奴は気づく。


 もう数秒。


 今。


 スロットルを叩くようにして加速。

 エンジンは快く僕に応じた。

 急速に唸りを上げる。


 力強いGが僕の全身を襲う。

 いい加速だ。レスポンスも申し分ない。


 瞬く間に、視界いっぱいに最後尾の敵機の腹が見えてきた。ここまで来たら何を間違ってもう、絶対に当たる。機銃のトリガの安全装置を手順通りに外し、一息。


「さて、と」


 僕は撃った。


 だ、だ、だ。


 推進式エンジンを撃ち抜いて、コクピット辺りまで火花が散った。


 機体は爆発することなく傾いて墜ちていく。

 多分、パイロットに当たった。


 同情より先に、次の敵への警戒心。

 恐らく墜ちた味方からの通信か、機銃の音で気づいた。


 二機がほぼ同時に、トルクで右に傾く。

 エンジンが急速に加速したことを示している。


 僕はそのうち、二番目に飛んでいたほうに狙いを定めて加速した。


 敵機、左右に分かれてブレイク。セオリィ通り。


 これを見越してスロットルを下げていた。十分な余裕を持って旋回。

 ちらりと敵機を確認。


「援護は要るか?」


 コイントスから入電。


「不要。あなたは輸送機を頼む」

「了解。無理はするな」


 しかし人間が空を飛ぶという行為自体が無理の産物なのだ。


 スロットルを押し上げ、加速。

 フック気味にカーヴ。


 敵機、雲の下には逃げない。今の段階では賢明。

 素早く逆に切り返した。シザーズ。

 でもシックス・オクロックというのは基本、絶対なのだ。そんな小手先ではまずこの状態をひっくり返すことは出来ない。


 もう一度涙滴型のキャノピィを振り仰ぎ、三機目を確認。


 いた。

 真上。


 まだ上昇中。ずいぶんゆっくり。

 背面飛行、つまり頭上に僕と僚機の姿が見えているはずだから、こっちを見失って、或いは今発見したところかも。


 決めるなら今だ。こういう強襲は一気に決めてしまうほかない。


 スロットルを押し上げて迫る。


 眼前。

 照準器からはみ出すほどの位置に捉えた。

 パイロットの頭すら見える。


 もう撃てる。


 一瞬だけ、また空を仰ぎ見た。

 三機目の急降下まで猶予はない。


 ファイア。

 撃つ。


 鉄を穿つ音がはっきりと聞こえた。

 ずたずたに引き裂かれる機体。


 五条の機銃弾が全て食い込んだ。

 穴だらけになって、


 小爆発をいくつも起こして、

 機体はそのまま雲間に消えていく。


 見送っている余裕はない。


 僕は即座にターン。


 重圧に歯を食い縛る。


 出来るだけ速度を取り戻さないと。


 頭上を振り仰ぐ。


 猛烈な勢いで弾丸を吐き出しながら、敵機が一散に滑り落ちてきた。


 これは躱すほかない。


 急降下で速度が出すぎているから、舵は効かない。


 このまま旋回をしていれば当たらないはずだが、このきりきりと引き絞るような緊張感は決して消えない。


 機銃がかなり近いところを掠めた。

 偏差射撃が上手い。


 あと一秒、速度を取り戻すのが遅かったら当たっていたかもしれない。

 しかし攻撃に集中しすぎたのか、相手はブレーキが少し遅れた。


 高度が落ちすぎだ。

 そこはミスだったね。


 機体を上下反転。


 急降下。


 スプリット・S。


 一瞬、翼が雲を曳いた。


 かなり鋭いターンだったが、機体剛性は申し分ない。

 翼はまだまだ余裕があるように思えた。


 さっきより大きなGを、意識的に深い呼吸で何とか耐える。

 血が昇りそう。

 アルコールよりずっと刺激的。


 良い子だ。

 油温と油圧をチェック。


 いける。

 まだ、いける。


 三機目、高度を取り戻そうと藻掻いている。


 今、僕を見失っているはず。

 危険なターンの価値はあった。


 少し距離はあったけど、相手は高度を上げようとするあまり速度を失っている。


 じっくりと狙いを定めて二秒だけ撃った。


 火を噴いたのは見えたけれど、すぐに雲の中に消える。

 コクピットに当たったかは分からなかった。でも戦闘能力は奪っただろう。


「終わったか?」

「今、行く」


 コイントスのテンロウは既に輸送機を制圧していた。煙は上がっていない。対空機銃も使わずに降参したのだろうか、それとももともと武装を搭載していなかったのか。直掩が三機もいたところから、後者の可能性は高そうだ。


「早かったな」

「いや、遅い」


 僕は荒い息をついた。

 ゴーグルを外して額の汗を拭う。

 眩暈にも似た感覚が襲う。全力疾走をしばらくさぼっていたつけだろう。


「本当なら三機、一度に片付けるつもりだった」

「謙遜なのか自慢なのか分からないな」

「客観的な自己評価だと思って」


 下らないジョークを言っている間に、コイントスの横につく。

 輸送機を誘導してベースに強制着陸させた頃には、ちょうど昼食時になっていた。

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