8-3
ヘルガ・ヴァーリが先導して、僕らは格納庫に案内された。もちろん背後には兵士が控えている。
格納庫を行くわけだから、当然目に飛び込んでくる。
鋭いノーズを持つ、液冷式の戦闘機。
それよりも大きな特徴は推進式プロペラだろう。
武装、旋回性能、そして加速性。基本的に大半の部分で牽引式に勝ると言ってよい形式。コストはやや高いが、これはいずれ解決される問題だろう。
推進式と牽引式、どちらのほうが人気かと問われれば、やはり引退後も潰しの効く牽引式だ。民間機で推進式はほぼ皆無。それに、長い期間使用されてきた型なので、信頼性で見ればやはりこれも牽引式に分がある。
それに、艦載機としての性能を考えると、空母や巡洋艦から飛び立つ機体としては推進式は少々危なっかしい思いをする。
もちろん戦闘機の本分は空中戦だ。その意味では推進式のほうが理屈としては正しい。だがどちらにもメリットとデメリットがあり、片方に統合しようとする動きは今のところない。
黒い塗装を施されていて、装飾の類はほとんどない。ただ、パーソナル・エンブレムと思しきものがいくつか見受けられた。成る程、黒の船団は航空傭兵で直掩を賄っているのか。今の時代、珍しくもない話。組織である以上、人員の補充は常に悩ましい問題だが、良質な戦闘機と良質な待遇を用意すれば、エリートである航空傭兵は自然と集まってくるし、契約期間が切れてもまた機体に乗りたいと思うから機密保持も遵守する。実に合理的だ。
フレガータは極めて丁重な扱いを受けて、最新式のクレーンに固定されていた。キャノピィは既に開いて、僕らを待ちかねている。
「下部発射口からなんだ」
「ちょっと気流の問題で。上部甲板からは出られないそうです」
発艦に限ってのみ言えば、戦闘機の形状の関係もあるだろう。それにこの艦は空中空母より狭い。十分な広さの甲板を確保出来ず、大量に何十機と飛ばす必要がないなら、クレーンのほうがスペースの節約が出来る。
フレガータの後ろのクレーンには、格納庫に並んでいるのと同じ戦闘機が既にセットされている。パーソナル・エンブレムは……箒だろうか、あれは。
「この機体、名前は何て言うんです?」
「言えるわけがないじゃないですか」
「それもそうか……じゃあ、あなたのコードネームは?」
「ストレガ」
「ストレガ。成る程」
「東の魔女の由来ですね」
ミモリがひょこ、と顔を出す。フレガータが近くにあるからか、だいぶ機嫌が良くなっているようだ。
「何、それ」
「ヘルガ・ヴァーリの異名だよ。東の魔女。彼女は東方の列島出身だから」
「へえ」
戦争が嫌いと言う割に、ミモリはこの手の情報に詳しい。いくら戦闘機と言っても、やっぱり飛行機は飛行機だ。その魅力は僕達を惹きつけて止まない。
よろしくとヘルガに告げて、僕らは機体に乗り込む。少しの間……一時間も離れていたわけじゃないのに、少し座りに違和感を得た。これは僕の気分の問題。艦のナビゲータから入電。
「エンジンはこちらが指示するタイミングまで動かさないでください」
エンジンというのは要するに、爆発のエネルギー(燃焼による膨張は要するに爆発だ)でプロペラを回す機械だ。危険だから起動のタイミングは規定で決まっている。
「あ、はい」
こういうのは機長が返事をするものなので、視線を投げるとミモリが慌てて声を上げた。無線は予め言われた周波数に合わせている。多分、どこかの郵便連盟あたりの基地局と同じものだ。覚えられては困るから専用の回線は使わないし、そもそもフレガータ搭載のじゃ多分、規格が合わない。
クレーンが動き出した。大半が木製のフレガータがわずかに軋んで、二人揃って機体を見回したけど、問題なさそう。吊り下げられる浮遊感。なかなか体験する機会はないかも。ヘルガの発艦は僕らより後。逆ガルの機体がせり上がっていく。いや、僕らのほうが下に降りていくんだ。ちょうど床に埋め込んだ箱の中に収まる形だ。ぶら下げられた僕達に向けて、キャット・ウォークの誘導員がキャンディ・ライトを振る。パドルじゃないのは、航空艦の艦載機は灯火管制が敷かれた中での発艦が多いためだ。暗い中ではパドルじゃ見えない。
誘導員がモーションを変えるとクレーンも停止。
ブザーが何度も鳴り響く。続いて床が重い音を立てて開いていく。
その先に見えるのは光。
次に眩い白。
金属の人工物の隙間から、外界が焼き付くような鮮烈さで、風と共に目に飛び込んでくる。
空だ。
いや、この角度からだと大地なのだけど。
もしくは惑星か? 高度が低いからそんな実感はない。これは「地面」だ。
ミモリが思わず、操縦席から身を乗り出して下を覗き込んでいる。危ないからやめたほうがいいんだけど、気持ちは分かるから止めない。
ミモリの赤毛が一瞬、輝く風の中で踊った。
僕は天使を見たことがある。
荒れ狂う雲の隙間、罪深い地上に稲妻と雨をもたらす彼女達の姿を。
彼女は天使ではあるまい。穢れない空の支配者たちに比べて、目の前のミモリはずっと……何て言うべきかな、牧歌的だ。彼女に神罰を執行する権限は恐らくあるまい。だが自由と責任を手にしている。
泥と羊毛を衣服につけた遊星の申し子。赤毛の羊飼いだ。
「おお、開いていくよ、シラユキ」
「落ちないようにね」
釘だけ刺して放置。機体のチェック。油温や油圧は問題ない。改装で張り替えたばかりだからワイアの類も大丈夫のはずだ。ここは、機体の面倒を見てくれた全ての人類を信じるしかない。
指示が出たのでエンジンを始動。新調したエンジンは、以前よりずっと素直に目を覚ました。健気な音と共に機体がぶるりと震え、プロペラが回り始める。
「スロットルは最小にしたままでお願いします。同乗者の方は慣れているから大丈夫でしょうが、くれぐれも艦後方に行かないように注意してください。後方乱気流に巻き込まれて墜落します」
「は、はい」
「航空艦の乱気流は大型旅客機のそれより遥かに大きいです。そのことを忘れないように」
ヘルガ・ヴァーリからの忠告が続いて、クレーンのロックが次々と外れていく。
「ミモリ、キャノピィ閉めて」
発艦作業を進めながら言う。密閉が為されると周囲の雑音がかなり軽減される。聞こえるのはフレガータのエンジン音。それにさえ掻き消すことの出来ない風の唸り。
「最終安全装置の解除を行います。右手のシグナルに注目してください」
「はい」
「発艦後は、ストレガの誘導に従ってください。それから」
一息置いてオペレータが続ける。
「グッドラック」
「ありがとう。あなた達も、グッドラック」
「ミモリ、結構ふわっとする。最初は怖いと思うから、その、何だ」
「え?」
「頑張って」
「ああ……まあ、大丈夫。たびたびシラユキのアクロバットに付き合わされてるし」
「それもそうか」
「怒ってるんだよ」
思わず笑った。ミモリも笑っていた。
赤、黄、青の順でシグナルが点灯。
「行くよ」
「うん」
重い音と共にクレーンの拘束が外れて。
一瞬。
重力の軛から僕らは解放される。
シートから浮き上がる躰。
全てが自由。
人も、地上も、空気も、社会も。
惑星の束縛からさえも。
エンジンの加護はまだ最低限。
ないも同然だ。
落下が始まり、ひゅうひゅうと翼が風を切る。
機首が自然と下に。
おかしな話なのは、普通、人類は大きな推力と揚力でやっと空に上がるのに、航空艦から解放される時、僕らは床面からの落下によって空に至る。これは自然ではあり得ないものだろう。いや、そうでもないだろうか? 山から滑落する雪は一瞬だけ空に存在するのと同じかも。
空に落ちていく。
それはとても素敵なことなんだけど、残念ながら今回はエンジンを吹き上げねばなるまい。ミモリはこのまま落ちていくことを望んでいないだろうし、僕も無意味に落ちる趣味はない。
スロットル・アップ。
対面気流の助けもあり、一気にエンジンが吹き上がる。
ラダーとフラップを軽く調整して、機体を安定させる。
フレガータの翼は既に風を掴んでいた。
パイロットが意識していなくても、ちゃんと自分の本分を果たしている。
良い子だ。
もう少しスロットルをアップ。
風の手応えがより明確になった。
エレベータを引く。
機首が上がる。
目の前に飛び込んでくる、青。
白く霞んだ山々は既に傾きつつある真白の太陽を冠していた。
宝石より慎ましやかに、しかし繊細に輝く山肌に向けて僕らは飛行を開始する。
すぐにヘルガの逆ガル翼が追いつく。彼女は翼を斜めにして僕らの右横に滑り込んだ。ナイフのように鋭利で、風などないかのように無駄のない動き。それだけで彼女が相当な技量の持ち主であることが窺えた。
同時にそのポジショニングにも、僕は感嘆を禁じ得ない。こちらの視界を予め把握していたかのように、すぽりとその位置に来たんだ。そこを飛ばれると、僕達のコクピットからは航空艦がほとんど遮られる。艦の形状を、別に意識していたわけじゃないけど、見たいなとは思っていた。こちらの心理を完全に読んでいる。これは相当厄介なパイロットだぞ、と痛感する。もし戦うとしたら単純な技量だけでなく、こういう
単に上手いだけでは駄目だし、
もちろん下手でも駄目だ。
それからしばらくの飛行。ストレガの先導で山間を縫っていく。
ミモリがたまに声を漏らす。それは多分、かなり非効率的な飛び方をしているからだろう。僕の方向感覚から見ても、恐らくはかなり遠回りをしたり、同じところを通るなどしたりしている。
どうやっても位置を割り出せないようにするのだろう。慎重なことだ。
日が傾き、世界は黄金の輝きに満たされる。もちろん僕達飛行機乗りには危険な時間帯だ。どんな黄金の誘惑より危険な眩ましが、そこかしこできらきらしく光を放つ。ストレガの機体が少しでも陽光を避けるために高度を下げた。
星々はまだ密やかに山の向こうで息を潜めている。
流星の花火を見るには早い刻限。
月が淡くその顔を覗かせた。
浅い夕闇が迫り来る。
黄昏というにはやや早く。
魔女の航路を僕らは進む。
無人の惑星、山々の砂漠。
燃えさかる雲の下を、息密やかに潜り抜ける。
僅かな計器板の光さえ煩く感じるほどの静か。
このまま目を閉じればどこまでも飛んで行けそうだ。
今日はえらくしんどいことがあったはずだけど、僕は疲労を感じない。
このまま何光年でも飛び続けることが出来るだろう。
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