6-7

「お礼は言っておきます」

「気にする必要はない。飛行機に興味を持つのはいいことだ」


 格納庫に向かいながら頭を下げると、案内役まで買って出たイグナートはにやりとした。


「増してや戦闘機の経験者ならばね」


 地上にもこんな奴がいるのかと思った。僕は興味本位でイグナートに問いかける。


「パイロットだというのは百歩譲ってフィーリングで分かるとして、戦闘機パイロットだというのは何故?」

「そちらはすぐに分かったよ。君の右腕は左腕より少し長い。よほど長く操縦桿を握ってきた証拠だ。それもめいっぱいの力でね」

「なるほど」


 いまいち胡散臭い理由だったが、一応頷いておく。僕は自分の腕の長さなんて測ったことはない。

 地上において自分の体ほど興味のないものもない。これは空を飛ぶ時、機体の制御中枢として機能すれば十分なものだ。


「剣の達人なども、利き腕が長くなるというね。パイロットであることに確信が持てれば、答えは自然と決まる。体が変形するまで鍛え上げるのは戦闘者の本然だよ」


 饒舌な男だ。空でもこうなのだろうか?


「じゃあ剣の達人で、パイロットとしては素人かも」

「まあ、それならそれで私の見る目がなかっただけだ」


 それなら仕方ないか。僕は納得して彼の後に続く。

 格納庫の近くには植木があって、火事があったときあまり良くないんじゃないかと思う。でも風が強いから防風林として木があるのだと教えてもらう。それならもっと離れたところでもいいのじゃないかと思ったけれど、よく観察するとこの会社の飛行場はそんなに広くない。ここ以外に会社の裁量で植えられる場所がなかったというのが現実かな。


 特に興味もなかったのでそれ以上は追求せず。


 そんなことより格納庫の中身が重要だった。

 スイッチを入れて照明が灯る。業務用の強力な光に一瞬目が眩んだあと、浮かび上がる流線型。ジュラルミンのボディ。小さなカナードと後退翼気味の主翼。


「推進式」


 エアインテイクと機体後方の単発プロペラ。識別用番号が並ぶ都市迷彩の塗装。


「綺麗」


 僕はうっとりと目を細める。


「エアハート」

「知っているか」

「型番は?」

「マーク7。まあまあ新しい。もういくつか新型が出ているけど」

「触っても?」

「いいよ、ただしコクピットは駄目だ」


 翼に触れた。冷たくてなめらかな金属の感触。するりと指を滑らせる。パネルの継ぎ目以外は甘いほどに指通りがいい。リベットも埋まっている。枕頭錨とパネルの間は、驚く程違和がない。いい仕事だ。そして胴体から翼へと移る接合の素晴らしさと来たら! こんな美しいものを人類は他に作れただろうか。


 しかし翼が驚くほど薄い。これは足を乗せる場所を間違えると一発で駄目になってしまうデリケートさだ。マークが記されている。曰く「踏むな」。その分加速はいいだろう。失速限界速度は速い。これがメリットかデメリットかは人による。僕は……どうかな、乗ってみないことには。


「武装はどのくらい積めるの?」

「バージョンにもよるが、総じて三〇%といったところかな。この辺の情報は公開されている」

「そんなものか。少ないな」

「何しろ軽い。量産性と性能を可能な限り当時の技術で追求した機体だ。だが結果を出した。悪い機体ではないぞ」

「うん、素晴らしい。パワー・ダイブに限界があるけど上昇は良いよね」

「そこまでは言えない。敵対企業や航空傭兵の間では周知だが、一応君は教えられる立場にない」

「あそう……」

「この会社に入れば君も知る立場になる」

「うーん」


 僕は半分くらいの本気で悩む。といっても、悩む・悩まないで五〇%、悩んでいる中で入る・入らないは三対七といったところだろう。


「誰が入るって?」


 そんな思考を遮るように、声が奥の方からかかる。格納庫の、おそらくパイロットの控え室であろうところから、三人の男。いい加減、本日の僕の対人記憶容量はいっぱいになっていたので、彼らがフライト・スーツを着ていたことだけを覚えておくことにする。つまりまあ、他のパイロットとたいした違いは、外見上見られなかった。


「クラサワ」


 イグナートが名前らしきものを呼ぶ。その男は険しい顔で彼を睨みつけていた。


「部外者か。おれの機体に触らせていないだろうな」

「私はそんなことはしない。ただの見学者だ」


 僕が触っている機体のことではないらしい。


「お前のスタンド・プレイには毎度うんざりしている」


 肩を竦める嘘つきのイグナート。言い合いを避けたようにも見えた。


「潮時だな。そろそろ行こう」

「あ、うん」


 僕は曖昧に頷く。そういえばイグナートに僕の名を教えていないことに気づく。僕が言うのも何だけど、彼はそういうの、気にしないたちなのだろうか。まあ受付嬢には伝えてあるから、調べようと思えばすぐ分かるのだろうけど。


 来た道を逆に歩きながら僕はふと訊ねる。


「彼もエース?」

「そうだな、エースだ。といっても共同撃墜のほうが多いが」

「普通はそうだ」


 きょうび、単独撃墜のエースなどそうそういない。そういう連中っていうのはそもそも厳重な護衛がついていて、一般には名前なども公開されないし行動も制限される。それに今の時代は集団戦法のほうが主流になっていて、個人の技能だけでは太刀打ちできないのが現状。


「三人いた。多分、スリー・マン・セル?」


 これはただのフィーリング。彼はにやりと笑った。答えを言っているようなものだ。


「機密だ。まあ、彼らもいろいろあって」

「え?」


 話に続きがあったのできょとんとする。思案しながら、といった様子のイグナートは、広い肩幅を竦めた。


「これは公開情報だがね、彼らの集団戦法というのが、ある団体からけちをつけられている。最近、彼らのようなエースは肩身が狭い」

「集団戦法に?」


 僕は鼻で笑った。ばかばかしい。一体何だってそんなことにけちをつけるのか。


「命を賭けてるんだから、集団戦法というのは極めて合理的だし、現実的な選択肢だ。それを地上の人間がどうこう言う資格なんてない」

「全く同意見だがね。しかし戦闘会社というのは基本、株式会社なのだ」

「くだらない。悪いけど、イグナート。入る気が今、消えたよ」

「失言だったな。まあ仕方ない」


 言葉の割には残念そうじゃない。まるでそう望んでいたかのようだ。


 いや、きっと望んでいたのだろう。先程の三人に対する態度から、イグナートが彼らに対して気後れしていないことは見て取れた。つまり彼もエースだと考えられる。エースの考えることは分かる。つまりは僕と戦いたいのだ。共に飛ぶのではなく。エースがエースに対して抱く気持ちは二つ。戦いたいか、共に飛びたいか。その二つ。


 そこまで考えて僕は頭を振った。


 エースに対してだって?


 僕がエースだなんて誰が決めたんだ。自分のことも分からないというのに、他人の何が分かるのか。


 いや。

 他人のことだから、分かるのか。

 誰だって自分の体にあるかさぶたを引きはがすより、他人の傷を切開するほうが痛みはない。


 だからいつだって、他人のことを、当の本人より知っているような顔をするんだ。


 混乱した頭を冷却しようと思って煙草を咥えたが、イグナートが紙棒の先端をそっと抑えた。


「悪いがここは禁煙だ。それに私は非喫煙者でね」

「最近は禁煙の場所が増えたね」

「けちがついたからね、いろいろ」


 地上から伸びる無数の鎖。

 僕達はそれを振り切るためにどれだけの馬力を必要とするのだろうか。

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