6-6

「アポイントメントはお取りですか?」

「いいや」


 短く応えると、受付嬢は目をぱちくりさせた。

 随分美人だ。丁寧に整えられた化粧が、まるで玩具の人形みたい。


 広いロビィだ。床のタイルも新しくて、ろくに人が通っていないのでなければ、新しい社屋のはず。その冷たい空気の中で、僕はフロントの女性からの返事を待つ。


「あの、アポをお取りでないお客様とは面会は……」

「取ってない」


 繰り返す。ポケットから折りたたんだ書類を取り出して、見えるように掲げる。


「これを見て、来た」

「はあ」

「だから、少し興味があるから。見学をさせてもらえませんか」

「あの、パイロット志望の方ですか?」

「うーん、検討中」

「その、まずは履歴書を所定の部署にお送り頂いて、それから……」


 ロビーには灰皿がないので、ポケットの中を探った手を諦める。


「履歴書って、何?」

「え? ええと、自分の経歴や年齢や住所を書いた書類です」

「つまり僕の情報ですか?」

「あ、はい」

「それを見せたら、見学させてくれるんですか?」


 受付嬢は困惑した顔から、だんだんと険しい顔になってくる。綺麗に描かれた眉がきりきりとつり上がって、僕は歯車の仕掛けを連想した。


「いえ、その書類を見て検討した後、合格した方のみが見学などを」


 どうにも理解出来ずに首を傾げる。


「その履歴書はいくらで買い取るの?」

「え?」

「だって他人の情報だ。ただで受け取るわけじゃあないだろう」

「いえ、あの」

「事前に見学して検討することすら出来ないの?」

「必要な情報は、そちらの書類に書いてありますので……」

「こんなのずいぶん古い機体じゃないか。もっと新しいのがあるはずだろう。僕の履歴書は、三年前のものでもいいの?」

「いえ……」

「じゃあ企業だって情報を更新すべきじゃないかな」


 どうにも困った。因縁をつけているつもりはないのに、受付嬢の上がった眉が今度はぐんぐん下がってきた。既に目の端が赤い。まさか泣き出すつもりじゃないだろうなとびくびくする。


「別に無茶なことは言ってないと思うけど……検討材料が少なすぎるから、もっと情報がほしいだけで」

「戦闘会社の戦闘機は最重要の社外秘です。そうやすやすと部外者にはお見せできませんよ」


 別の声が降って湧いたので、そちらに向き直る。

 社屋は見たところ二階建てで、壁には「なるべく階段を」の文字。だからというわけでもないだろうが、その階段をスーツ姿の二人の男が降りてくるところだった。


「軍事情報はあなたの個人情報より、ずっと高価だ」

「まあ、理解します」


 僕は頷いた。男達の片方はそれなりに高級そうなスーツ。まあスーツの価値なんて分からないけど。ネクタイも同系色で揃えている。油で固めた髪も眼鏡も、つまらない光沢を放っていた。僕の知る限りネクタイをしている人間は割と高確率で自殺するのだけど、あれはそういう呪いの品なんだろうか。


 もう一人はネクタイなし、値段は分からないけど、明らかにファッションとしての機能を持ったスーツを着ていた。肩幅が広い。短く刈った金髪で、瞳は榛色。切れ長の目がこちらをじっと見ていた。こっちの挙動を見極めようとする目。撃ち墜としてやろうか、と反射的に思う。僕の手が自然と操縦桿を探す。うっそりと彼が微笑んだ。僕は無感動に見つめ返す。


「アポイントを取り、然るべき手続きを経て来て下さい。そうすれば見学して頂けます」

「必ず?」

「もちろん最低限の身元調査はさせて頂きますが……」

「ふうん」


 さて困ったな、と僕は思う。

 何故かというに、この会社へはミモリに秘密で来ているので、身元が割れるようなことは極力避けたい。


 だいたい、履歴書を出せと言われたって僕は何も具体的なことを書けないんだ。何を書けっていうんだ。ロッカ航空郵便に在籍しています、で終わりじゃあないか。それで通してくれるなら書くけれど、どうせ通してはくれないわけだし。


 諦めるしかないか。その辺で時間を潰していれば、会社の飛行場から飛び立つところくらいは見られるかも。時間はもう少しだけあった。


「部長、一番格納庫くらいなら見せてもいいのでは?」


 と。

 今まで黙っていた金髪の男が提案。そういえばいたっけ。今までその存在を認識しなかったという事実のほうに、僕は目をぱちくり。


「あちらには旧式の機体しかない。実物を見て満足するなら、別に会社の害になるわけでもない」

「イグナート君、そういう問題ではないよ。ルールの話をしている」

「ですが投資としては有効かも。彼女はパイロットです」

「どうして?」


 思わず口を挟んだのは僕だった。言ってはなんだが、僕の容姿は子供のそれだし、その辺のハイスクールの学生が飛行機見たさにここまで来た可能性だって十分に高い。いや、そっちの可能性のほうがずっと高いだろう。


「どうして僕がパイロットだと?」


 するとイグナートと呼ばれた金髪男はにやりと笑った。

「においだな」

「嘘つき」

「正確には立ち振る舞いかな。目の付け所というか……まあ、フィーリングではあるよ」


 なるほど、そう言う彼もパイロットではあるようだ。というのもフィーリング。僕は反論材料を自分で潰してしまい、曖昧に頷いた。


「まあ、そう。所属を言う必要があるなら、今日は諦めます。別に今は転職を望んでいるわけじゃない」

「いや、構わないよ。頭の片隅にでもうちの会社を覚えていてもらえれば、それでいい。そうですね、部長?」


 部長と呼ばれた年かさの男はしばらく苦い顔。イグナートはこちらに、顔を向け、


「旧式でもいいかい?」

「ええ、飛行機なら何でも」


 と答えたら、したり顔をされた。どうもイニシアティブを握られてしまったようだ。シックス・オクロックにしっかり食いつかれている。こっちの死角に潜り込むのが巧いらしい。


「部長、パイロットが一人でもほしいという時なのに、旧式機も見せるのを渋ったら、誰も来ませんよ」


 その一言が決定打になったらしく、渋られながらも許可が降りた。

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