6-5
夜。
ホテルのロビィを出たところにある、小さな喫煙所。洋燈の灯りを頼りに書類をじっくりと見る。
特に気に入ったのは単発単座の制空戦闘機。
翼に丸みがないのは量産性を優先した証拠だ。こういう広告に載る機体は既に量産されて時間が経ち、概ねの機体構造が敵対企業に判明しているもの。
それでもなお最前線で使われるのは、良い機体であることの証明でもあるのだけど。これだって多分、一段か二段古い機体で、実戦に使われるのはバージョン・アップされている。
クーガーⅣ。美しい機体だ。
唯一難点を挙げるなら、機体下部の吸気口がちょっと角張ってて、野暮ったい印象なことかな。
もっと明るいところでじっくり見たい。
出来れば前縁スラットの形状をもう少し細かく。
操縦系統はもう、どこもたいして変わらないし……
そう……
この会社に入ると、こいつに乗れるのか。
そうは言っても、今の仕事を放り出すつもりはないのだけど。
今の仕事は楽しいし、ミモリはいいやつだ。シマもトーヤも腕のいい整備士。そしてフレガータはとても良い機体だ。
うん、何も不満に思うことはないじゃないか。
これで満足。
それでいいはずだ。
なのに僕の躰が求めている。
加速を、重力を、ブラックアウト寸前の引き起こしの、あの強烈なG、解放された瞬間の浮遊感を。
一気に上昇。
スロットルを最大に押し上げろ。
仰角最大で操縦桿を捻り、
反転。
インメルマン・ターン。
いた。
目の前にどんぴしゃ。
スロットルを引く。
Gから解放されて、全身の血流が巡る。
熱くなる脳髄と裏腹に思考は冷静。
細やかに操縦桿を傾けて調整。
高度は完璧。
敵機後方、わずかに下。
気まぐれに振り返ったって、絶対に見つかりはしない。
ああ、でも、なんてこと。
敵もやる。まるでこちらの音が聞こえたかのように、ローリング。一瞬だけ背面に入れた。
今ので絶対に見つかった。ほら、相手は鋭くターン。
敵は二手に分かれた。
僕の編隊は対応に追われる。
片方を放置するのだけは絶対に駄目だ。だからこっちも二つに分かれた。
これで条件はイーブン。
高度では僕らが劣っているが、まだ後方を占有している。
最大速力で追いかける。
敵はどうする?
雲の中に逃げるだろうか。
それとも反転して、正面勝負?
僕はどちらでもいい。
どちらでも歓迎しよう。
さあ、
戦おう。
もっと速く。
もっと鋭く。
翼を剣のように立て、
エンジンを獣のように嘶かせ、
峻険な重力の谷間で、互いの命を賭けて。
僕にはその価値がある。
君にも? もちろんだ。
命だけを持って空に上がってきたのだ。
素晴らしい。それだけでも、賞賛するに能う。
機銃のロックは外した?
では始めようじゃないか。
ここには何もない。
ただ、空がある。
さあ――
灰が落ちる。
僕は目を瞬かせる。
エンジン音は消え果て、
虫のさざめき。
小川のせせらぎが戻る。
短くなっていた煙草。それを捨てる。
全く、なんてこと。
白昼夢はいつもより鮮明で、まだ僕の脳裏にこびりついている。
ここ最近、少しずつ躰が、脳が、飛んでいる時の状況を前よりかは鮮明に再生することが多くなってきた。
フレガータでの曲芸。
テンロウでの実戦。
多分、無関係ではない。
ああ、ずれたな。
そう感じる。
これまで一致していた歯車が外れた。そんな感覚。
いや、もしかしたらずれていたシリンダが元の位置にかちりと納まったのかも。
どちらだろうか。
多分どちらでもいいことなんだ。
じっとりと汗ばんだ掌を、ズボンに擦りつける。
いつの間にか、求人のコピィは握り潰していた。
クーガーの写真も。
まあいいか、どこかでまた手に入るだろう、写真くらい。
ため息を一つ。
でもフレガータの改造は楽しみ。
これは本音だ。
新しい飛行機はいつだってどきどきする。
まして今まではなかった機体とエンジンの組み合わせだ。
きっと性能を引き出せるのは、僕だけだろう。
それをうまく使いこなすのは、ミモリの領分だ。
そう、うまいことやっていける。
そのはずだ。
でもそれはただの願望。
きっとそれだって、最初から分かっていたはずだ。
願望だって?
空を飛びたい、もっと自由に、もっと力強く。
それが僕の本然ではなかっただろうか。
何故それを、おんぼろ飛行機でのんびりと郵便を配っていくだけの仕事を、僕は望んだのだろうか。
何を求めているのだろうか。
安穏とした生活?
ゆっくりとした飛行?
戦闘の昂揚?
リスク・ジャンキーなだけか?
考えたところで答えは出るはずもなく。
寝付くまでに煙草を何本も消費することになった。
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