6-4
「ミモリ、ちょっと内装のほう、手が回ってない。手伝ってやってくれ」
「はあい。って何これ、何か、がたがたっていうか、ぼこぼこじゃない。誰がやったの?」
「ヒシダんところの新人だよ。まだ慣れてねえんだ、勘弁してやれ」
「無駄になったプラ材はうちの損害になるんだよお。まあ新人なら仕方ないか。あとでトーヤに叱ってもらおう」
「俺は嫌だぞ」
「あ、トーヤいたんだ、内装出来る?」
「今忙しい。エンジンの調整、今から始めないと組み立てに間に合わない」
「仕方ないね。じゃ、ちょっと行ってくるよ。シラユキ、悪いけどこれ、クヌギさんのところに運んでいって。二四番だから、すぐ分かると思う」
「あ、うん」
「……ふー、終わった終わった。運んどいてくれた?」
「一度間違えたけど、いちおう、届けた」
「ありがと。じゃあ次は事務仕事だね。事務棟に行こう」
「おいミモリ、リベットの検品のほう、ラクザの奴が手が離せないんで、ちょっと管理やっててくれるか」
「あたし、最後までは時間的に出来ないよ?」
「分かってる。二〇分くらいで戻るって言ってたから、それまででいいってよ」
「それじゃいいか。了解、了解。じゃ、シラユキ、先に事務棟行っててくれる? 仕事はそこにいるおばちゃんが指示してくれるから」
「あ、うん」
「……はーい、シラユキ、お待たせ。って、あれ、どうしたの。何でチラシ折ってるの」
「いや、ミスが多いから、もういいって……」
「ああ、ほんとだ、こりゃ酷いわ……じゃあ次は晩ご飯作るの手伝うんだけど……」
「僕は料理したことない」
「だよねえ。あー、エンジンの調整、見てくるといいよ」
「とうとうただの見学者になったね」
「まあ、何か気づいたら言えるんじゃないかな……パイロットの立場から。じゃ、あたし、厨房行ってくるから」
「あ、うん」
工場に戻ってからの僕は、だいたいこんな感じ。
ミモリはあちこち飛び回り、僕はあちこちたらい回しにされた。自業自得なのは分かっているけれど、ここまで自分が無力だとは思いもしなかった。最低限の機械いじりは出来るつもりだったけど、ここではそんなもの、全く役に立たないのだと思い知る。必要なのは高度な技術か、確実な処理能力。
それにしたってミモリ。本当にあちこちで仕事をしている。オーヴァ・ワークじゃないかと思ったけど、残業だけはほぼしない。夢中になって定時を過ぎることがたまにあるくらい。
そんなわけで今は、ミモリの秘書という立ち位置に落ち着いていた。要するに飛び回るミモリの後ろで書類を渡したりスパナを渡したりする役割なんだけど、まあ、つまり、他に出来ることが見当たらなくなってしまった結果だ。
僕としては、こういうやったことのない仕事は面白くもあったけど、むろん不満もあった。
「飛行機、乗りたい。飛びたい」
出先からの帰り道。
車のハンドルを握りながらぼやく。
「前にも聞いたよ、それ」
「いつでも思っているから」
山間部での襲撃でフレガータが破損。そして今度は、破損はゼロだったけど、爆撃に遭遇。どちらも不可抗力とはいえ、少々目立ちすぎたので、僕はしばらく飛行の謹慎を命じられた。シマが渋面で言ったものだ。「何か取り憑いてるんじゃないのか?」――さあ、何とも。
そんなわけで現在は地上勤務。ミモリのために車を運転している。
こんな操舵輪なんて、全く好みじゃない。これで乗り物を動かすという神経が信じられない。上下に動けないってどういうことなんだ。
「もうちょっとの我慢だからさ。まあ、どうしても退屈になったら、バス機でドライブ……ってわけにもいかないか。やっぱりもうちょっと我慢だね」
「了解」
うめきながらポケットを探る。が、その手を止められた。
「あたしが同乗してる時は、運転中の煙草は厳禁」
機長に言われたのでは仕方ない。肩をすくめた。
「こぶ、大丈夫?」
額を指さされたので、そこに思わず触れる。ガーゼが貼ってあって、少しだけ薬品の苦い臭いがした。
「まさかペンキの缶が飛んでくるなんてね」
「まさかそれで目を回すなんてね」
呆れた声で言い合って、僕とミモリは一緒に笑った。
先ほどまで行われていたエンジンの起動試験中、現場になった倉庫で見学していた僕にペンキ缶が風圧で飛んできたのだ。とっさに避けることもできず直撃。気が付いたら医務室のベッドに寝かされていた。全く我ながら呆れる話だ。缶が空だったのは、本当に幸い。
「避ければいいのに、あんなぼーっと見上げてる時間があったら。シラユキのあの時の顔がまた」
体を折って笑いをこらえるミモリに、笑うしかできない。あれが空だったら、軌道を見た瞬間に、操縦桿を思い切り倒して反転していただろうに。地上の体ってなんて不自由なんだろうか。
「シラユキ、空と地上とで、まるで性能が違うよね」
「そりゃあ、鳥が地上で速く走れるもんか」
「速く走る種類もいるよ。でもシラユキはペンギンかな」
「ペンギンって何?」
「海中を泳ぐ鳥だよ」
「見たことないなあ」
「本当? それじゃあそのうち水族館に行こうか」
「海には興味がないなあ」
「水中では本当、すごいよ。地上ではよちよち歩きの癖に、水に飛び込むと自由自在に飛び回るんだ。泳ぐんじゃないよ、あれは。飛んでいるんだ」
「へえ」
「知らないの?」
「うん」
「じゃ、そのうち、観に行こう。大きな街の水族館でなら見られるよ」
そう言われると少し興味が出てくる。水の中を飛ぶ。それはどんな感じだろう。翼で切る水は、大気より粘っこいのだろうか。
「僕はよちよち歩きかな」
「そうだね。ペンギンのほうがまだ安心して見ていられるよ」
「ご挨拶だな」
ミモリは顔の前で指を組むと、そのままうーんと伸び。
「もうすぐフレガータの改修も終わるし。そうしたらやっと郵便飛行に戻れる。空を飛べるよ」
「エンジン・テストも成功したし、本当に後少しだね」
「試験飛行で何も起きなきゃね。まあ古い完成された飛行機だから、そうそう問題起こることもないんだけど」
「フレガータは未完成期の機体なんだけどなあ」
そうこう言っている間にねぐらにしているホテルにつく。
「何これ」
客用のポストに突っ込まれていた便箋にミモリが気づく。それなりに分厚い。宛名を一瞥して、ミモリ。
「ああ、戦闘会社のリクルートだ」
「軍の?」
「パイロットを探してる。ここに飛行機の関係者が集まってるってこと、どこかから嗅ぎつけたんだ」
ちらりと、茶色い瞳が僕を伺う。
探るような眼差しに、しかし何ともコメントしづらく、肩を竦めた。
「人不足なの?」
「優秀なパイロットはいくらでも欲しいってことでしょ。それに実際、戦闘機パイロットは常に足りないらしいよ」
「航空郵便自体が、肥大化しすぎた戦争ビジネスの縮小に伴う受け皿の側面がなかったっけ」
「よく知ってるね。そうなんだけど、企業が軍縮なんてするわけないじゃん」
「それもそうか」
そうでなければ、先日の爆撃作戦など立案されない。企業は互いに決めたルールなど、自分の都合で破る。
もっとも、ルールという概念そのものが、どちらか、或いは両方が勝手に破くことの出来るものだ。相手に言うことを聞かせるために一番手っ取り早い手段は、約束などではなく純然たる暴力なのだから。
「ミモリはやらないの?」
「戦争、嫌いなんだよね」
なるほど、実に真っ当な理由だ。僕は頷いた。
「シラユキ、興味ある?」
「さあ、特には」
「じゃ、捨てておいて。あたし、爺ちゃんとこ電話してくる。今日の仕事はここまでだから、休もう」
ミモリが祖父の部屋に向かうのを見送り、今日の仕事はもうないので、運転ばかりで少し疲れた僕はシャワーを浴びた。
ベッドにダイブしようとして、ふと、くずかごに目が行く。立った今、放り投げた封筒だ。どうだろうか。考えたのは一秒。
開いてみれば内容は単純で、陳腐なキャッチ・コピィと待遇についての諸々。経験者は当然ながらより良い条件で迎えられる。戦績については応相談。
煙草に火を点けながらぼんやりと眺める。
当たり前だがロッカ社より遙かに高給となる。休暇だってたぶん多いだろう。
単純計算で今の二倍。これは手取りだけの話。ここに出撃時の戦果に合わせた手当がつく。そうすると、まあそこそこの腕だと、三年くらい働けば十年は暮らせるような金額になるんじゃなかったかな。
まあ、三年も生きられるかどうかは、知らない。
そもそも空を飛んでいればいつかは墜ちるのだし、その先の安穏とした人生で得るはずだった金を、先にもらっているだけと言えなくもない。パイロットは、職業としての寿命も本来の意味での寿命も、その他の職種より遙かに短い。
機体についても記述がある。どれも知らない機体。写真がある。それをもっとよく見ようとした矢先、足音が聞こえたので書類を枕の下に押し込む。そのままごろりと寝転んだタイミングでミモリが入ってきた。
「これで決まり。新しい受注先決まったよう。割と若い会社だけど、経歴はきちっとしてるからいいだろうって」
「ふうん」
「シラユキ、服着ようよ」
「着てるよ」
「上着もさ。あと煙草臭い。窓開けて」
「うん……」
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