6-3

 適当な喫茶店に入ってコーヒーを頼む。


 失敗したかな、と思うのは、煙草のすえた臭いがシートに染み着いていることだ。

 煙草を喫う人間は喫わない人間より嗅覚が鈍感だなんて言われているけど、案外そうでもないんじゃないかな、と僕は思う。


 こういう不快なレベルまで酸化した煙草の臭いに対する嫌悪感は、寧ろ非喫煙者より敏感なんじゃないだろうか。すぐ煙草で汚れるからといって消臭を怠っているとこういう感じになる。これでは誰も寄りつかないだろう。


 現に客の数は少なく、地元の住民だと思しき老人が新聞を読みながらコーヒーを飲んでいるだけ。マスタはテレビを見ている。


 要するにエンジンは燃料の燃え滓ですぐに汚れるが、だからといって整備しないままだと故障の原因になるのと同じで、すぐに汚れるものほど、こまめな整備が必要なんだ。たまにしか汚れないものはたまに掃除するだけでいい。もっとも、そんなもの、この世に存在するのかどうかも疑わしいけれど。たまにしか汚れないほど清潔な場所に置かれているものは、寧ろわずかな汚れも許されないものである場合が多い。結局、比率の問題なのだろう。


 テレビから流れてくる音声。そういえばこのプラスティックの匣に注目するのはいつ以来だろう。ロッカ航空郵便にもこの手のものはあるが、僕は大抵オフィスの外にいるし、オフィスの内側でも勤務時間中にはテレビは消されているので、僕にとってあれは単なるオブジェクトに過ぎない。情報なんて他からいくらでも正確に大量に取得出来るのだ。テレビにおけるメリットは即応性と情報量くらいのものだろう。


「……昨夜の爆撃作戦において制空権を獲得し損ねた同社の被害総額は……」


 やはりニュースにされているのは昨日のことだ。たぶん、どのチャンネルでも同じようなことを流しているのだろう。それなら放送する局はひとつに絞ったほうがずっと効率的なのに、なぜそうしないのか僕には未だに理解出来ない。


「では昨夜の作戦で活躍したポルト・リガト社のエース、ヘルガ・ヴァーリ氏の話題です。今回の作戦でヴァーリ氏は撃墜数をさらに更新。今年も撃墜王の座は揺るがない模様です」


 へえ、昨日、エースがいたんだ。

 運が良かったな。僕は不慣れな機体だったから、出会ったら間違いなく墜とされていただろう。


 顔写真とテロップが流れるのをぼんやり眺めながら、コーヒーをひとくち。どうにも、豆も酸化しているらしく、不味い。半分も飲めないまま煙草に火を点けたけど、こんな空間では何もかもが燃焼不良を起こすらしく。


 結局すぐに店を出た。軽く腕を振り、息を深く吸って吸気を調整。うまく行かない時っていうのは、だいたい全部がよくないんだ。


 少しくらい仕事をしていこうと思って、会社に電話。でも留守だった。いろいろ、忙しいんだろう。


 さて、どうしようか。本格的にやることがなくなる。軽く走ろうにも、このあたりの土地がジョギングに向いているとはとうてい思えない。


 見上げればわずかな雲の欠片しか見えない青い空。

 空気を奮わす羽音がかすかに聞こえる。ずっとずっと、高いところをヘリコプタが飛んでいた。きっと報道用だ。

 戦闘中の飛行は禁止されているから、彼らが撮るのはいつだってあちこちでぶすぶすと燻っている鉄くずと、地面に空いた大穴だけだ。


 空を自由に飛ぶことが許されているのは、大企業と戦闘会社のみ。それだっていろいろな制約が課せられている。


 地上の汚らわしい鎖。


 それが静謐な空にまで及んでいることを僕は不意に思い出すけれど、実際に飛んでいるときにはまるで気にならないんだ。


 きっとその鎖は一見、空にまで伸びているようで、実のところ企業の重役の目が届くところまでしか届いていない。とりあえず伸びていることが分かれば、みんなひとまず安心する。いっとき忘れる。


 空からの脅威を。

 消防車が目の前を通り過ぎていって、僕を驚かせる。まだ火が消えてないところがあるんだ。


 飛行許可が降りたのは翌朝になってからだった。


 これは緊急性の高い便から許可が降りる仕組みになっているため仕方ない。ただ、何をもって緊急とするかの決定権は企業にある。


 全く不自由。なんて地上。

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