5-6
セントラルの夜景はすっかり消えた。こういう場合には灯火管制が敷かれるため、人々は深夜に慌てて点けた灯りを、また慌てて消す羽目になる。代わりにハイパワーのサーチライトが夜襲の影を、黒煙を映し出す。
瞬きする間に、敵機を発見。
「タリホ」
「こっちも、タリホ」
僕は機銃のロックを外す。
「味方を撃つなよ」
スカーフェイスからの通信。
スカーフェイス、一度バンク。僕についてこいって意味だ。機体の腹を見せて斜めに上昇。僕も続く。操縦桿が思った以上に重たい。両手で思い切り振る。
サーチライトに照らされる敵機。銃火も見える。曳光弾の火線が交錯。既に上がった邀撃機と交戦を開始しているのだ。
双発の夜間戦闘機。
あれがシャムシール。双発なら、スピードはあるだろうけど、旋回性能ではこちらが勝っているはず。そうだといいな、という希望も含めて。
僕達に気づいたシャムシールが旋回して、突っ込んでくる。
スカーフェイスは無理をせず、腹の下に潜り込むように機首下げ。いい判断。僕も従う。
エンゲージ。
自機の爆音の中でも、頭上を飛び越す敵機のエンジン音が聞こえた。
すぐに翼を翻す。スロットルを絞り、旋回。
Gが腹にかかる。意識的に呼吸をする。
ターン。
敵機を頭上に仰ぐ。思ったとおり、旋回ではこちらが上。でも双発の長所を相手も理解している。旋回ではなく上昇を選んだ奴も何機かいた。そっちのほうが腕のいい奴ってことだ。
「シラユキ、俺達は下に行った敵だ。上昇から一気に襲う。コイントス、代理で指揮を。だいたいいつも通りでいい」
「コイントス、了解」
「ツー」
僕は無線に告げてから、スロットルとエレベータを思い切り入れる。文句なしのインターバルで怪物級のエンジンが吹き上がり、ぐ、と腹に重圧。歯を食いしばって堪えながら、一気にズーム・アップ。
敵の機体を頭上に捉える。上昇ではなく旋回を選んだ一機。相手はそれほどの腕じゃない。せっかくの双発なんだから、優位な上昇性能を利用すればいいのに。
機体が正立に戻ると、すぐさまトルクに任せたカーヴで敵の背後を取りに向かう。周囲をめまぐるしく見回す。僕を狙っているものは今のところいないようだが、夜空に紛れた敵機は本当に見えないものだ。
「シラユキ、無理をするな。上に何機か待機してる」
「知ってる」
スカーフェイスの通信に答えたが、無線のスイッチを入れていたかどうか、自信はない。
横旋回の失速限界が分からないまま、ターン。
十分に曲がれないが、旋回戦ならテンロウが有利。
両手で操縦桿を握り、思い切り倒す。かなり危険な行為。スロットルをいつでも掴めるように意識しておく。
まだ駄目、捉えられない。あまり長くぐるぐるやっていると、他の敵が来る。僕は諦めて離脱。スカーフェイスはどこだ?
いた。スカーフェイス、滑り落ちながら、さっきまで僕が追っていた一機にすれ違いざまの銃撃。
ぱっと夜闇に炎が散った。
赤い蛾のように閃光を曳きながら、墜ちていく。街じゃない。郊外に向けてだ。
これはスカーフェイスが狙ったというより、敵の義務感からの行動だろう。
戦闘会社の機体が企業の登録施設以外を攻撃したり、住宅街に墜落すると、損害賠償が発生する恐れがある。そういうルールだ。
だから墜ちる時は、出来るだけ人気のないところや空港に向かう。もちろん生きている場合に限るし、撃たれた時に生きている確率はまあ、低いので、そんな余裕はあまりないし、機体を捨てて脱出できる時間も少なくなる。でも死ぬ直前にまでやることがあるのは、幸運なことと言っていい。
地上の人間には関係のない戦いだ。
いかに企業の思惑が絡んでいようと、これは僕達の戦い。
空の戦い。
戦っている間だけは、企業の手も僕達には届かないんだ。
なんと統率されたパイロット達の本然だろうか。
国家間の戦争が起きていた時は、相手の国民を皆殺しにするために街ひとつを焼け野原にするくらいは当たり前だった。
でも今は違う。無駄な戦闘、無駄な消費が削ぎ落とされて、目的や機能はよりシンプルになった。
全てがシンプル。単純明快で分かりやすい。
その単純な盤上で、僕達は航空力学という数学を組み立て、それを躰に刻みこんで戦う。
全てをかけて。
「シラユキ、回避。スターボード。上だ」
指示に間髪入れず従う。急速な右旋回。思い切りやったせいでバランスを崩すが、僕がさっきまで進もうとしていた先を曳光弾が駆け抜けていく。続いて夜間塗装のシャムシール。急降下性能はやはり高い。一瞬だ。
背面飛行に移る。
操縦桿を引く。
スライス・バック。
世界がぐるり。
敵は高度を取り戻すために上昇に転じようとしていた。
なるほど、そうやるんだ。
今回は見逃す。
この距離から撃っても当たらないだろうし追いつけない。
「スカーフェイス、ちょっと好きに動く」
「やってみろ」
「ありがとう」
僕は機体を注意深く下降。
街の稜線ぎりぎりまで降りた。
「ビルにぶつかるぞ」
「大丈夫」
セントラルは中心部に行くほど。建造物の高さが上がっていく。だから空港周辺は比較的安全。といっても電波塔や電線があったりするから油断は出来ない。あれと来たら、星々に紛れて飛行機を引っ掛けてやろうといつでも狙っているんだから。
空港周辺は一通り、到着時に観察していた。暗かったから十分じゃないけど、今は仕方ない。
街中で低高度を飛ぶ利点は二つ。
ひとつは建造物への衝突を恐れて、腕に自信のある奴しか降りてこないということ。
もうひとつは街への誤射を恐れるということ。
市街への奇襲作戦があまり行われないのは、そういった事情もあるからだ。企業としてリスクが大きい。成果に対して見合わない。僕も都市上空は好きじゃないな。
ともあれ、十全に機体高度を低くすることで、僕は一時の余裕を得た。ひとつ深呼吸。
さて。
天空には月が輝く。
僕はその天体をスクリーンに敵機を見出す。あいつにしよう。
スロットルを叩くように押し込む。
すごい勢いでアップ。ここまでのエンジンはそうそうない。
翼を斜めにして上昇。
トルクに任せてわずかにバンク。敵機を視界に捉えるために、インメルマン・ターン。
相手は街灯りに紛れた僕を見逃している。そもそも飛行機の真下は死角だ。それを補うのは味方の目だけだから、僕は編隊の最後尾に向けて上昇。
機体後方やや下。
ぴたりと着く。
ここ。
ここに取りつかれたら、どんな凄腕も絶対に撃ち落とせる。
キャノピィに投影された照準器に、ぴたり。
一瞬だけ後方確認。敵影なし。
今。
ファイア。
撃つ。一秒だけ。
すぐさま離脱。上へ抜ける。
結果は見ない。今ので当たらなかったら、機銃がいかれているとしか思えない。
異変に気づいた先行機が素早くブレイク。なかなかいい反応だけど、ポジショニングは空中戦の絶対条件だ。
僕のほうが早く横旋回に移っていた。
相手が縦旋回を行わないのは高度のせいだろう。あの高度で唐突なループをやると、地上の稜線を見失って地表に激突する恐れがある。夜だからなおさら。
でも僕には出来る。
敵は高度を下げて、速度を稼ごうとした。
今は僕のほうが高度有利。
エルロンを切る。
反転。
機体を裏返す。
操縦桿を引く。
目の前を過ぎる街灯り。
スプリット・S。
高度は速度に。
空は大地に。
瞬く間に速度で追いつく。
この自由さこそがレシプロだ。
この数式の美しさがわかるか。
計算通り、ちょうど目の前に敵機が見えた。
ほんの二、三秒の調整。
相手がさらに加速するより早く撃つ。
一瞬でライタみたいに燃え上がる。
火の粉を散らして、
くるくる回り、
黒煙の螺旋を描いて、
落下していく。
その様はまるで、命そのものの炎のようで、美しく、僕を魅了する。
「シラユキ、飛んでいるか?」
「ここにいる」
上の空で答えて、三機目に食いつこうと機首を巡らせた。
けれどもう流石に、高度の加護は僕にない。
敵機は低高度を高速で抜けていく。離脱だ。賢明な判断。
すぐに追いつけないと分かって、僕はスパイラルに入れる。
「シラユキ、どこだ?」
「ぐるぐる回ってる。敵影は?」
「あらかた片付いた。敵の第二波は撤退を開始。上がってこい。一度編隊を組み直してから索敵」
「了解」
元々、燃料はあまり入れられなかったらしい。すぐに降りるように指示が来た。
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