5-3

 飛行船。それもずっとずっと古いタイプのものだ。大きな樽が浮かんでいるように見える。その樽の下に小さな船がくっついていて、そこに人がいるんだ。


 ユピテル管が大企業の独占技術であるため、あの飛行船の樽の中に詰まっているのは浮揚性のガスだろう。速度も遅い。これは大きくて強力なエンジンを積めないことが理由。

 つまり小さな旅行会社の遊覧船だ。


「えらく背後から近づくね?」


 そういえばそうだった。僕がポジショニングしていたのは、後背のやや上方。

 何故かというに気嚢や垂直尾翼を置くこの位置は必然的に後方機銃が置きにくく、あっても狙いがつけにくい。大型飛行機の――この場合は飛行船も含む――死角になりやすいのだ。


 指摘を乗客の男から受けたからではないが、その位置からゆっくりとせり上がる。バス機のほうが速いのですぐに追い越す。向こうの乗員を驚かせない程度にゆっくりと姿を見せられたはずだ。丸い小さな窓から何人かがこちらを指差しているのが見えた。

 気配を感じてちらりと背後を伺うと、客の男は無愛想な顔のまま手を振り替えしていた。付き合いのいいことだな、と思う。彼は僕に言った。


「ぐるりと回ってみせたりしないのかい?」

「やってもいいけど、それをやると多分あなたが酔う。あれは慣れてない人間には辛い」

「飛行機に乗り慣れてないわけではないんだがね」

「それに他の荷物も少しだけど積んでる。そんな機動をしたらぐちゃぐちゃになっちゃう」

「そうか」


 とはいえ、リクエストを受けた以上は多少応えてやるのも仕事のうちかもしれない。


 僕は飛行船の乗客の顔が見える距離(そして航空法で許されるであろう距離)まで近づいて、軽く翼を左右に振った。

 反応は見てなかったけど、用は済んだのでそのまま機体を傾け、飛行船に腹を見せる形で離脱した。


「まだあんな飛行船が残っているんだね」

「ガス式の飛行船なんてずいぶん懐かしい」

「ユピテル管式のものにはない形状をしているね」

「積載量も低いし、速度も遅いから……企業としてあれを作り続けるメリットなんて、価格くらいじゃないかな」


 そして価格面からも見合わないと判断されたのだ。


「観光用のものも作られなくなって久しい」

「昔はあれを大きな爆撃機として使ったりもしたけど……今は制圧艦に役割を取って代わられたね」

「よく知っているね?」


 男に言われて僕は考え込む。


 まただ。こうやって僕の意識の外で、僕の躰と意識が勝手に喋り出す。こういうの、いい加減にしてほしいんだけど。

 苛々とした吐息を堪えて返した。


「勉強しただけ」


 やがて、薄暮の空の下、無数の蛍火の群れが、ささやかな曲線を描く大地の向こうにぽつりぽつりと生まれ始める。空港の灯台がちかりと光を放ち、その存在を僕に示す。光は他の街と違い、縦にも生まれ、地平線から逸脱してそこでも群れを成す。


 セントラルの摩天楼だ。


 セントラルの構造は円形に展開された都市だ。


 ミモリはその様子をウェディング・ケーキと形容する。実物を見たことなんてないけれど、確かにそう言われれば見えなくもない。中央区の塔を頂点として、だんだんと標高を下げて円形に街が展開している。塔、中央区、商業区、それから市街区。市街区もいくつかの段に別れて、意識してそうしたのかは分からないけれど、やはり利便性の高い中央寄りの土地のほうが富裕層が多いらしい。それらの区々を結ぶ道路橋が伸びている様が見えた。


 都市を囲む外壁こそないものの、「街」と「そうではない土地」は明確に分かれている。


 都市の中には周りが農地に囲まれているところも存在するけれど、多くの飛行機が離発着するセントラルは違う。


 農園に据えられる照明は飛行機乗りに嫌われるものの一つだ。僕らにとって命綱である管制塔の照明を消し去ってしまうので。


 ともあれセントラルは企業の中央区画に向かうにつれて、だんだんと高い建物が連なっていく山のような形状をしている。飛行可能なのは市街区など限られた地域のみ。中央区に近づきすぎると、高性能な高射砲が待ちかまえている。撃つにはいろいろ条件があるのだろうけど、近づきたがる奴はいないだろう。


 中央区には街の外からでも見える完全環境塔アーコロジー


 塔といってもこれ一つに巨大な積層都市がすっぽり収まっていて、まあ、要するにここに企業本社の社員がおおむね入っている。


 どこの企業もこういう塔があって、塔の外に住んでいるのは関係会社以下の人々。もっと要約すると本社以外の人間が住むのが塔外ということ。街の中にさらに街の入った塔があるので、セントラルがどれだけ巨大な都市かが理解出来る。


 環境塔の大きさは途方もなく、頂上の先端は雲がかかっていて見えない。飛行禁止区域だから近づいて見られる人間は少ないけど、上のほうには飛行船――もしくは航空艦の離発着施設があるはずだ。というか、そうでもしないと高すぎて不便だろう。


 航空艦は高給取りの乗り物だ。最近では技術の向上で、課題であった速度も解決できたし、高々度に行ける乗り物はまだ少ない。天敵のいない場所にいくのは生物の本能だし、彼らは地上が敵だらけであることに自覚的なのだろう。


 もちろん、そんなものが空に浮かんでいるのは僕にとって嫌悪の対象ではあるけど、高すぎる上に上空には流電層があるから機械にとってもあまり良くない。

 宇宙に行きたがる人間が限られているように、高すぎる空には生物は住まない。それについては僕も同様で、僕は別により高くを目指しているわけではない。


 より速く。


 より鋭く。


 より自由に。


 それだけ。


 高さなんて僕にとっては相対的なもので、要するに相手より高い位置かどうかこそが重要なのであって、絶対的な高さは、到達と帰還に費やすエネルギィを考えると決して多用できる選択肢ではない。


 僕は高度をゆっくり上げ、通信機のスイッチを押して管制塔に連絡。


 指示に従い、街の東部から進入。ぴたりと目の前に誘導灯の方形が飛び込んでくる。この街の管制塔の技術は素晴らしいのひと言だった。流石に物資が集積される大空港というだけのことはある。


 着陸後、機体を格納庫まで牽引してもらう。見届けてから、乗客と手続き。僕は書類に署名した。彼の名前を知る。どうということのない名前で、すぐに忘れてしまった。人の名前なんてそんなものだ。


「ええと、今夜はもう遅いので、どんなにあなたの用事が早く終わっても、フライト出来ません」

「うん」

「明日は予約通り、九時から飛べます。僕はその時間に空港にいる。遅れる場合は連絡を、空港の事務局に。もし連絡がないまま遅刻した場合、罰金が課されますので……」

「わかった」


 慣れない営業トークを一通り並べてから、僕は一緒にいた空港の事務員に確認を取って貰ってから空港を出た。


 周囲はすっかり夜。ついこの前まで、凍てつくような雪山を飛んでいたのに、少し暖かさを感じるくらいの気候だ。


 セントラルというのは別にこの国の首都という意味ではない。この近辺を勢力圏内に収めた大企業の拠点となる都市だからそう呼ばれているだけで、街の名前は別にある。実際、他の土地に行くとまた別の企業のセントラルがあるのだ。この時代はだいたいどこもそうだ。


 適当な店でラザニアとビールを胃に収めて、空港近くのホテルに。

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