3.夢の共有=
先進国の島国、日本。
とくに海外から評価を得ているのは、快適とすら言えるトイレ環境だ。
日本人からすれば『あたたかい便座』も『ウォッシュレット機能』も『自動感知システム』も当たり前のものだけど、この国以外では、未だに便座が冷たかったり、ウォッシュレットがなかったりするトイレが多い。
貧富の差が大きいままのアメリカなんかでは、日本のようなトイレのある建物はかなり限られている。
それを身を持って知っている僕は、朝から日本の快適なトイレを利用して、トイレだけは日本の上に出るものはいないな、なんて感心しつつ、国立病院の白っぽい廊下に出た。
忙しなく行き来する白衣の日本人、病院関係者を廊下の端に寄って避けつつ、湿っぽい息を吐く。
病院という空間にいれば、考えたくないことでも、考えてしまう。
病院。つまり、僕が受けている治療。Bookmark of a dreamについて。どうしても思考がそちらにいってしまう。
この前セヴィリーが言っていたことが、
現状の治療体制はセヴィリーらカウンセラー一人に対して患者も一名。それが一対二、一対三、一対四…というふうに移行するらしい。
最終的には一対五、カウンセラー一人と患者五人の共同治療で落ち着きたい、というのがBookmark of a dreamの言い分だ。
『Bookmark of a dreamはおかげさまで世界中から支持をいただいておりますが、現状、多くの方に治療が行き届いていない状態です。
Bookmark of a dreamが提供する癒やしの世界を、もっとたくさんの方に届けたい…。それが我々の思いです。
そのため、Bookmark of a dreamは新たな治療法を確立させるべく、日夜努力をしてまいりました。
そしてこのたび、多くの治療希望者に応えるため、夢の共有という新たな治療法に踏み切ったのです』
多くの雑誌、多くのWebニュースで掲載されているのは、Bookmark of a dream創始者によるそんな文面。
大きく記載された文面のあとには、謳っている夢の共有がまだ臨床段階であることや、ついてくる問題点などが挙げられて、『Bookmark of a dreamの体験はまだ先になるだろう』というふうにライター達がまとめている。
僕はまさに今、そのBookmark of a dreamの治療を受けている一人の患者であり、『夢の共有』という歓迎できないことを強いられる被験者の一人だ。
考えるたび、憂鬱になる。
僕は、限りなく一人…いや、独り、になれるあの空間が好きだった。
それが壊される。
僕の希望が。僕の平穏が。それも無理矢理に。
そんなこと、歓迎できるはずがない。
それでも世界は容赦がなくて、僕は今日、さっそく、夢の共有をさせられる。
病院側からはとくになんの情報提供もなくて、たとえば、今日夢を共有する相手は誰なのか、なんてことも知らない。知らないままに時刻はお昼になってしまった。
いつもは待ち遠しい夜が、来なければいい、と願っている。
口から漏れた溜息が何度目か、なんて、もう数えていない。
それでも時間は進むし、お腹は空くのだ。現実は容赦がない。本当に。
(ご飯。食べよう)
お腹が空いていると何事も悪い方向にしか考えられない、なんて聞く。まずは何か食べてみよう。
病院の一階のコンビニでオニギリとサラダを購入し、イートインコーナーでもそもそと口に運ぶ。
箸の文化に触れてこなかった僕だけど、割り箸を使うのも、今では慣れたものだ。オニギリのノリもそう。最初はお米とノリの黒い色に慣れなかったけど、海外でもスシは人気だ。その親戚と思えばオニギリもまぁまぁおいしく感じられる。スシもオニギリも具が違って味が変わるのは同じだ。
何かで自分を誤魔化しながら、僕は病院にい続けた。
スシとオニギリの関係性を考えたり、Tourism Japanを広げて次に出かける場所を考えてみたり…。
思考をBookmark of a dreamから遠ざけるよう意識しながら、断頭台へ突き飛ばされるその時を待った。
僕は死刑を待ちたいわけじゃない。
だけど、絶望があるとわかっている未来を目の前にして普段通りに過ごせるほど、僕は強くない。
うろたえて、泣かないように拳を握りしめて、その場に立ち尽くす。圧倒的な絶望の刃で僕の頭を落とそうとしている断頭台を精一杯睨みつける。僕にできるのはそんなことだけ。
そうして耐えているうちにいつもの時間にdream roomに呼び出され、重い、と感じる足を引きずるようにして白っぽい部屋に入ると、部屋の中では不安そうな面持ちの人間がたくさんいた。白衣ではないところからすると、僕と同じく患者だろう。
いつもは個人情報の保護がどうたらと難しい理由を並べて僕らを個別に夢に誘うのに、今日はこういう形を取ったらしい。
夢の共有相手の特定を避けるため…かもしれない。
僕らの記憶は思っているより曖昧なもので、夢から覚めると、夢であったことや抱いた感情はすぐに薄れてしまう。夢で一緒になった誰かも、すぐにぼやけてやがては消える。
僕はこの中にいる誰かと夢で一緒になるだろう。でも、その相手を夢が覚めても憶えていられるかどうかは別の話だ。
僕ら患者が集まったのを確認すると、どこにでもいそうな日本人男性が白衣を揺らして咳払いを一つ。それで僕らの注目を集めると、満足したように一つ頷く。
「本日から、Bookmark of a dream。夢の栞は、新しい治療体制に移行します」
それは、僕にとって、容赦のない死刑宣告に等しい言葉。
断頭台に上がった僕の頭を絶望の刃がドン、と切断し、僕の頭はあるべき場所から落とされて、病院の床を転がって鮮血を撒き散らした。
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