第16話 ニュース

 到着した警察官は僕と波布さんから話を聞くと、奏人をパトカーに乗せた。

「奏人!」

 僕が奏人の名を叫ぶと、奏人は虚ろな目で僕を見た。

「戻ってきたら、一緒に先輩に謝に行こう」

「……」

 奏人は何も言わず、僕をじっと見つめる。それから、ゆっくりと首を縦に振った。

「そして……」

 僕は笑顔を作る。なるべく、奏人が安心できる笑顔を。

「また、一緒に遊ぼう」

 奏人はくしゃりと顔を歪ませた。何か言おうと口を開く。

「……」

 だけど、奏人は結局何も言わなかった。パトカーのドアがバタンと閉められる。そして、奏人を乗せたパトカーは、そのまま夜の闇に消えた。


「詳しい話はまた後日聞くから、今日は帰っていいよ」

 警察官にそう言われ、僕と波布さんは家に帰る。

「奏人、大丈夫かな?」

 波布さんを家まで送る途中、僕は胸の中の不安をポツリと呟いた。

 奏人がこれから、どうなるのかは僕には分からない。裁判の結果によっては刑務所に入れられることもありえる。もし、刑務所の中で奏人がまたあの『白い大蛇』に誰かを襲わせでもしたら……。

 そんなことを考えていると、波布さんが不意に口を開いた。

「大丈夫だと思います」

 波布さんはきっぱりと答えた。「どうして、そう思うの?」と僕は尋ねる。


「奏人さんは、自分が誰かを傷付ければ、雨牛君が傷付くことに気が付いたからです」


 波布さんの言葉に僕は少し目を見開いた。波布さんは続ける。

「先程、奏人さんは私を襲おうとしましたが、自分のした行いが雨牛君を傷付けることに気が付くと、私を襲うのを止めました。奏人さんが雨牛君に向ける『独占欲』は、他人を傷付ける程強いものですが、それよりも雨牛君が傷付くことの方が奏人さんは嫌なようです。奏人さんの心の中では、雨牛君を一人占めしたい『独占欲』よりも、雨牛君を傷付けたくないという『愛情』の方が上です。だから、安心してください」

 波布さんはニコリと笑う。

「奏人さんが誰かを傷付けることは、もうないでしょう」

 波布さんの笑顔を見て、僕の唇の端が自然に上がった。

「……そうかもね」

 奏人は優しい奴だ。僕は奏人の涙を思い出す。あの涙はきっと嘘ではない。僕はそう信じる。


「それにしても、よく奏人の気持ちが分かるね」

「はい、だって私も奏人さんも……」

 波布さんは、さらに笑顔を深める。


「雨牛君に恋をする人間ですから」


 波布さんの笑顔に、僕は完全に見惚れてしまった。

「あっ、えっと、ところでさ……」

 笑顔に見惚れていたことを誤魔化すために、僕は話題を変える。

「波布さんの予想通り、奏人、波布さんに『白い大蛇』を使わなかったね」

「はい」


 数日前、僕が波布さんに協力を求めた時のことだ。


『私が囮になります』

 波布さんの突然の提案に僕はぎょっとした。

『囮!?囮って!?』

『はい、もし奏人さんが鰐淵先輩を襲った犯人だとしたら、あることをすれば、今度は私を襲ってくるはずです。そこを捕まえましょう』

『ま、待って!どうして、奏人が波布さんを狙うの?』

 その時の僕は何故、奏人が先輩だけでなく、波布さんまで狙うのか分からなかった。波布さんは、唇に手を当てる。

『それも秘密です』

 波布さんは、奏人が先輩を襲った動機に心当たりがあると言ったが、教えてくれなかった。そして、奏人が波布さんを襲うと思う理由も同様に教えてくれない。

『どうしても?』

『はい、どうしても』

 僕は腕を組み、「ううん」と唸った。

『もし、波布さんの言う通り、奏人が波布さんを襲うのだとして、奏人が“白い大蛇”を使ったらどうするつもりなの?』

 此処ではない別の空間。もし、そこに波布さんの精神が連れていかれたら、僕は助けることが出来ない。

 だけど、波布さんは『大丈夫です』と即答した。

『奏人さんが鰐淵先輩を“白い大蛇”に襲わせた犯人だとしても、私に対して“白い大蛇”を使うことは恐らくないでしょう』

『どうして?』

『奏人さんは恐らく私の中にいる“シロちゃん”を警戒しています』

 波布さんは、真っ直ぐ僕の目を見る。

『雨牛君の話。そして、私自身が体験したことから推察してみました。仮に奏人さんが鰐淵先輩を“白い大蛇”に襲わせた犯人だとすると、奏人さんは私が鰐淵先輩を襲ったと雨牛君に思わせようとしていたと考えられます』

『うん、それで?』

『奏人さんには、私と鰐淵先輩を襲う動機があります。ですが、鰐淵先輩のことは傷付け、私のことは鰐淵先輩を襲った罪を着せるだけに留めた。何故、私も鰐淵先輩のように“白い大蛇”に襲わせなかったのか?それは、私の中にいる“シロちゃん”を警戒したからだと思います』


 波布さんは、そっと自分の胸に手を添える。そういえば、僕も似たようなことを考えていた。

 あの時、屋上に波布さんが現れた直後、僕達は元の場所に戻ってきた。あの『白い大蛇』は波布さんの中にいる『シロちゃん』を恐れて、あの奇妙な空間を解除したのかもしれない。そう考えたのだ。

 あの場所に飛ばされる前、波布さんの中から『シロちゃん』が飛び出した。飛び出した『シロちゃん』は周囲を警戒するような動作を取ったが、それと同じようにあの『白い大蛇』も『シロちゃん』を警戒していたのかもしれない。


『あるいは、奏人さんの中にいる“白い大蛇”の方が私を襲うのを拒否したのかもしれません』

『最初は、波布さんを“白い大蛇”に襲わせようとしたけど“白い大蛇”が言うことを聞かなかったってこと?』

『はい』

 確かに、その可能性もある。『生物』と定義していいのかは分からないが、波布さんの中にいる『シロちゃん』もあの『白い大蛇』も生きている

 そして、大半の生物は無駄な争いを好まない。もし『白い大蛇』が波布さんを襲えば、波布さんの中にいる『シロちゃん』と戦うことになるかもしれない。『白い大蛇』はそう考えて、波布さんを襲うことを拒否した。


『いずれにせよ、奏人さんが“白い大蛇”に私を襲わせることは考えにくいです。で、あるのなら……』

『本人が直接、波布さんを襲う?』

『はい。そして、奏人さんが私を直接襲えば……』

『その瞬間を捕まえることが出来る。そうすれば、奏人は……』

『傷害罪、あるいは殺人未遂となります』

 僕は口に手を当て、考える。確かにこれなら、もし、奏人が鰐淵先輩を襲った犯人なのだとしても罪を償わせることが出来る。でも……。

『やっぱり、波布さんが囮になるなんて危険過ぎる』

 仮に波布さんの言う通り、奏人が波布さんに対して『白い大蛇』を使わないとしても、危ないことには変わりない。奏人は運動神経がとても良い。襲ってくるのが分かっていても、もしかしたら攻撃を回避できないかもしれない。

『何か他の方法を考え……うっ』

 不意に波布さんが僕の唇に人差し指を置いた。僕は途中で言葉を遮らる。

『他に奏人さんに罪を償わせる方法はありません』

 波布さんは、両手で僕の手をそっと包んだ。

『私を信じてください。必ず、成功します』


 波布さんに協力を求めたのは僕だ。でも、彼女の身を危険に晒すことはできない。でも……。僕は悩んだ。おそらく三十分以上悩んだと思う。でも、最終的に波布さんの提案に乗ることに決めた。


『分かった。波布さんの言う通りにする』

『ありがとうございます』

『それで、僕は何をすればいいの?』

『雨牛君には、まず……』

 波布さんはニコリと笑う。

『私と付き合うことになったと、奏人さんの前で“交際宣言”をしてください』



「すみません」

 唐突に、波布さんは僕に謝罪した。何のことだか分からず、僕は聞き返す。

「何が?」

「色々と秘密にしてしまって」

「……ああ」

 奏人を捕まえるにあたって、波布さんは僕にいくつかのことを秘密にしていた。でも、それはさっきも言っていた通り、僕を守るためだった。

 奏人が先輩や波布さんを襲った動機を聞けば、僕の動きが鈍る可能性があった。

 そうなれば奏人を捕まえる際、もし、奏人が抵抗すれば僕が傷付くかもしれないと波布さんは考えたのだ。

「いいよ、別に気にしてない」

 むしろ、波布さんには感謝している。もし、奏人が僕のことを好きだと、あらかじめ知っていれば、波布さんの考えた通り、僕は奏人を捕まえることに躊躇していたかもしれない。

 それに、どうして僕が波布さんと『交際宣言』をすれば、奏人が波布さんを襲うことになるのか、その理由に思い至らなかった僕も悪い。奏人が僕のことを好きになる訳がないという思い込みがあったとはいえ、その時点で気付くことはできたはずだ。


「僕の方こそ、ごめん」

 僕も波布さんに謝罪する。波布さんはどうして僕が謝罪するのか分かっていない様子で、不思議そうな顔を僕に向けている。

「来るのが遅れて」

 僕が到着した時、波布さんは涙を拭っていた。普段冷静な彼女が涙を流すなんて、よっぽど怖かったのだろう。僕が来るのが遅れたせいで、怖い思いをさせてしまった。波布さんはゆっくり首を左右に振る。

「そんなことは、ありませんよ」

「どこか怪我とかしなかった?」

「はい。心配して下さって、ありがとうございます」

「う、うん、まぁ」

「嬉しいです」

 波布さんは、僕の唇に自分の唇を重ねる。不意を打たれ、回避できなかった。

「んっ」

 十秒程キスをした後、波布さんはゆっくり唇を離した。唇を離した波布さんは満面の笑みを湛えていた。僕の顔が一瞬で沸騰する。

「えっと、あの、そのお」

 僕はまたしても、その場を誤魔化そうとする。しかし、今度は今のキスが頭から離れず、中々別の話をすることが出来なかった。

(何か別の話題。キス……違う。……キス。違う!えっと、キス……そうだ!)

 僕は思いついたことを口にする。

「あ、あと、他にも分からないことがあるんだけど……」

「なんでしょう」

 呂律が回わっておらず、リンゴのように顔を赤く染めている僕を見て、波布さんはクスリと笑った。僕は軽く咳払いをして話し始める。


「奏人はどうして、僕と波布さんがキスをしたことを知っていたんだろう?」


『私のアマに抱き付いて、キスまでして……穢らわしい!』

 奏人は確かにそう言っていた。僕は何度か波布さんとキスをした(というかされた)。でも、そのいずれも、奏人は近くにいなかった。

「一体、いつ見られたんだろう?」

「……」

「波布さん?」

「……はい」

「どうかした?」

「……いえ、何でもありません」

 波布さんは首を左右に振る。さっきまで、笑顔だった波布さんの顔が少し曇っている様だった。

「大丈夫?」

「……はい」

 波布さんはニコリと微笑み、顔から曇りを消した。

「少し、考えていただけです。奏人さんがいつ、私達のキスを見ていたのかを……」

「分かった?」

 波布さんは少しの間沈黙して、口を開いた。


「いいえ、分かりませんでした」



 次の日の早朝、僕は眠たい目を擦りながら起床した。


 昨日は色々遭った。帰宅後すぐに両親に「警察から連絡があるかも」しれないと説明すると、両親は「何かあった?」と僕を質問攻めにした。

 僕は『女の子が別の女の子を襲っている場面に偶然遭遇したから、その女の子を助けて警察に通報した。そのことについて、警察から詳しい事情を聞かれるかもしれない』と答えた。

 僕の話を聞いた父親は「よく、女の子を助けた!よくやった!」と褒めてくれたが、母親は「この子に、もしものことがあったら、どうするつもりなの!」と父を叱った。

 そして、僕にも「あなたは、警察じゃない。そんなことは二度としないで!」と父親と共に二時間近く説教を受けた。

 

 そんなこんなで、溜まった疲れは一晩寝ただけでは完全にとれなかった。だけど、幸い今日は休みだ。この後、生物部で飼育している生き物の様子を見るために学校に行くつもりだが、それまではゆっくりしようと思った。


「おはよう」

「おはよう。朝ご飯、出来てるわよ」

「ありがとう」

 僕は母に礼を言ってテーブルに座った。父は仕事に出かけている。休日なのに、ご苦労様だ。帰ってきたら、肩でも揉んであげようと思う

「いただきます」

 僕は母が作ってくれた朝食を食べ始める。母が見ているテレビからは、様々な人間が色々なことを言っている。天気の話や芸能人の恋愛話。今は、来週公開される映画に出演している役者が番宣をしている。やがて、番組はバラエティーからニュースに変わる。最近起きたニュースをアナウンサーが読み上げ始めた。


『次のニュースです。今朝六時頃、~県~市で、女性の遺体が発見されました。女性は近くのビルから転落したものとみられ……』


「やだ、この近くじゃない」

 母が驚いた声を出す。僕も少しだけ驚いた。

「本当だ」

「自殺かしら?」

「そうかもね」

 正直、僕はそのニュースに対して、それ以上の感想を持たなかった。僕にとって、そのニュースは毎日テレビから流れる数多くのニュースの内の一つでしかなかった。


 アナウンサーが、発見された遺体の名前を読み上げるまでは。


 僕は持っていた茶碗を落とした。落下した茶碗が割れ、破片が床に飛び散る。その音を聞いた母が僕に何か言っている。しかし、僕の耳にはアナウンサーの声しか入らなかった。


『発見された女性の遺体は、兄円高校に通う奏人明美さんと確認されました。警察によると奏人明美さんは昨夜、傷害の現行犯で警察署に送られる途中、警官から逃走。行方不明となっていましたが、今朝、遺体で発見されました。奏人明美さんはビルから飛び降りたとみられ、警察は事故と自殺、両方の……』

 



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