第15話 勘違い
「……勘違い?」
波布さんの言葉に僕は一瞬、息を飲んだ。一体、僕が何を勘違いしているというのか?波布さんは静かに語り出す。
「自分が感じる『性別』と実際の『体』が一致していない人は多くいます。ですが……必ずしも自分が感じている『性別』と自分が好きになる相手の『性別』が異なっているとは限りません」
「……どういうこと?」
「つまり、体は『女性』ですが、自分のことを『男性』だと感じている人間が必ずしも『女性』を好きになるとは限らないのです」
波布さんの話を聞いた僕は驚き、目を見開いた。
「そう……なの?」
「はい、例えば自分と同じ性別の人間を好きになる人もいますが、その人達が必ずしも自分の体と『性別』にズレを感じている訳ではありません。『男性』のまま『男性』を好きになる人もいますし、『女性』のまま『女性』を好きになる人もいます。それと同じように……」
「自分のことを『男性』だと感じている『女性』が『女性』を好きになるとは限らない?」
「はい、そうです。ですから体は『女性』でも自分のことを『男性』と感じている奏人さんが雨牛君に恋をしても、何ら不思議はないのです」
波布さんの言葉を聞いて僕は大きなショックを受けた。僕はてっきり、体が『女性』でも心が『男性』の奏人は『女性』のことを好きになると思い込んでいた。
「本当……なの?」
僕は思わず奏人を見た。奏人はゆっくりと口を開く。
「ああ……そうだよ」
奏人は僕の目をじっと見る。その目には涙が浮かんでいた。
「私は……アマを愛している」
「……いつから?」
「お前が『君はキミだよ』って言ってくれた時から……いや、それよりも前、屋上で初めてあった時から……かな?」
奏人の言葉に僕は息を飲んだ。最初から僕のことが好きだった?
「……そんな」
じゃあ、僕は二年もの間、奏人の気持ちに気付かなかったことになる。それどころか『奏人が僕のことを好きになるはずはない』と、本人の目の前で言ってしまった。
「……僕は、なんてことを」
『奏人の悩み事を軽くしたい』などと言っておきながら、僕は大切なことに何も気付いていなかったのだ。
僕はヨロヨロと後ろに下がる。そんな、僕の肩に波布さんが優しく手を置いた。
波布さんが僕に奏人の動機を教えてくれなかった訳が今、分かった。確かに、こんな話を聞いていたら、奏人を捕まえることに躊躇していたかもしれない。
情けない僕の代わりに、波布さんが奏人に問い掛ける。
「だから、雨牛君に近づく私と鰐淵先輩を排除しようと思ったのですね?」
「……そうだ」
奏人は様々な感情が渦巻く目で僕を見た。
「アマのことが好きだと自覚してから、私は自分が分からなくなった。私は自分のことを『男』だと思っている。でも、私は『男』であるアマのことが好きになった。ありえない。私の心は『男』のはずなのに……どうして」
「先程も言いましたが、自分の感じる『性別』と実際の『体』が違っていたとしても、必ずしもそれで自分が恋をする『性別』が決まるわけではありません。自分の『性別』と誰に恋をするのかは、関係がないのです」
「ああ……知っているよ。自分のことだ。これでも色々調べたんだ。でも、分かっていてもどうしても自分が分からなくなってしまう!」
奏人は自分の胸を押さえ、吐き出すように叫んだ。
「あんたに分かるか!?自分が何者か分からない不安が、恐怖が、あんたに分かるか!?」
奏人は波布さんを鋭く睨む。
「でも……それでも、私はアマの傍に居たかった。どんなに自分が分からなくなっても、どんなに不安や恐怖を感じても、私はアマの傍に居たかった。だって、私はアマに恋をしているのだから。私にはアマが必要だった。アマから離れるなんて、私にはもう考えられなかった。私にはアマしかいない。でも、アマと一緒にいればいる程、私は自分が分からなくなった」
奏人は自分の胸に手を当てる。
「そうしている内に私の中に一匹の『怪物』が生まれた」
「『怪物』……『白い大蛇』のこと?」
僕の問いに奏人は首を左右に振った。
「『独占欲』……ですね」
「……そうだ」
波布さんの言葉に奏人はコクンと頷いた。
「アマと会えば会う程、私の中でアマを独占したいという想いが大きくなっていった。アマに近づく女、全部が憎くて仕方がなかった。特にむかついたのが、あんたと鰐淵だ!」
カッと奏人の顔に憎悪が広がった。
「部活の先輩だか何だか知らないけど、私のアマにベタベタして、あの女は前からムカついてた。そして、あんたもだ蛇女!」
「蛇女……私のことですか?」
「そうだ!あんたは鰐淵以上にむかついた。私のアマに抱き付いて、キスまでして……穢らわしい!」
「奏人、落ち着け!」
僕は興奮状態になり掛けている奏人の肩を掴み、必死に抑えた。
「アマは私の物だ。アマが好きなのは私なんだ!そうでしょう?アマ!」
怒りの表情から一転、奏人は歪な笑顔を僕に向けた。
不安定になっていく奏人。それを表すかのように、いつの間にか奏人の言葉遣いが『男性』のものから、『女性』のものに変化していた。
「アマ言ってたよね。好きな人がいるって、あれ私のことでしょ?」
僕は、はっとする。波布さんの告白を僕は『他に好きな人がいる』と言って断った。そして、そのことを僕は奏人に伝えた。でも、あれは……。
「奏人、違う。僕が好きな人は……」
「私でしょ?アマ?ねえ?私でしょう?」
「奏人、落ち着いてくれ!」
「私だ!私だ!私だ!私だ!私だ!私なんだ!アマが好きなのは私なんだ!蛇女!お前じゃない!」
「奏人!」
ギラリと目を光らせ、奏人は波布さんに飛び掛かろうとする。僕は必死にそれを止めた。だけど、波布さんは全く動揺する様子がない。それどころか、一歩、奏人に近づいた。
「蛇女!殺してやる!」
「波布さん!危ないから離れ……」
「奏人さん」
波布さんは顔をぐっと奏人に近づけた。そして、奏人の目を覗きこむ様にじっと見る。
「貴方は雨牛君を傷付けました」
「……え?」
暴れていた奏人だったが、波布さんの言葉を聞くと、まるで蛇に毒を注入されたトカゲのように動きを止めた。
「今回の件で、雨牛君は深く傷つきました。それは、理解していますか?」
奏人の顔に動揺が広がる。奏人は血が出る程、唇を噛みしめた。
「……分かっているよ。そんなこと!」
奏人は頭を抱える。
「鰐淵先輩を傷付ければ、優しいアマが悲しむことは分かっていた。でも、自分ではどうしようもなかった。ただ……アマに近づく女が憎くて、憎くて……私は」
「やはり、貴方は何も分かっていませんね」
「え?」
「雨牛君が傷付いた理由は、鰐淵先輩が大怪我を負ったからだけではありません」
波布さんは、すっと目を細めた。
「貴方が人を傷付けたから、雨牛君は傷付いたのです。大切な人を大切な人が傷付けた。だから、雨牛君は傷付いたのです」
「……っ!」
「優しい雨牛君がどうして、罠を張ってまで貴方を捕まえようとしたか分かりますか?これ以上、貴方に罪を重ねて欲しくなかったからです。そして、貴方に罪を償って欲しいと思ったからです」
正確には、波布さんを囮にして奏人に襲わせるということを最初に言い出したのは波布さん自身なのだが……僕は何も言わなかった。
波布さんの言う通り、僕はこれ以上奏人に罪を重ねて欲しくなかった。そして、奏人に罪を償って欲しいと思った。
先輩を襲ったことに関しては、奏人を法で裁くことはできない。でも、波布さんを襲ったことに関しては、法で裁くことが出来る。
これで奏人がこれ以上罪を重ねないようにすることができ、奏人に罪を償わせることが出来る。
「そんな雨牛君の優しさを貴方は裏切ったのです。そして、彼を傷付けた。とても深く」
「……ううっ」
「貴方は雨牛君にとって、とても大切な存在だった」
「うっ、うっ」
「それなのに、貴方は雨牛君を傷付けた。私は、それが許せません」
「うっ、ううう」
(波布さん……)
波布さんの顔はいつもと変わらない。だが、その声は静かな怒気を放っていた。
「雨牛君に謝って下さい」
有無を言わさぬ迫力で、波布さんは僕を指差す。奏人はゆっくりと顔を僕の方に向けた。
「……アマ」
奏人の顔からは怒りと混乱が消えていた。代わりにその顔には悲しみが広がっている。目からボロボロと涙が零しながら、奏人は崩れ落ちた。
「ごめ……なさ……い、ごめ、ごめんなさい」
何度も謝罪する奏人の手を僕は出来るだけ優しく握った。
「いいよ。別に……」
そして、僕は奏人にほほ笑むと、こう言った。
「友達だろ?」
パトカーがサイレンの音が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。
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