第52話

学生だけが住むこの学内でレストランといったらコ○スとかガス○とか○イゼリアとかどっちかというとファミレス寄りのイメージがあったが、このレストランはどうやら本格的なようで庶民では到底お目にかかれないような食事が次々と運ばれてくる。

………やべぇ、テーブルマナーとか全然知らねえ。精々、食器を落としても自分で拾わないくらいしか。

一人テンパっている俺のことなど露知らず、

俺を除く全員は飄々ひょうひょうとした態度で食事を口に運ぶ。その姿はなかなか様になっていて、見様見真似で実践するがどうにもぎこちない。

「………茜、手逆だよ」

「うっ………」

藍の思わぬ指摘に、より一層羞恥心を掻き立てられた。なんなら今すぐこの店から出たいところだったが、生憎代金を支払っていなかったため断腸の思いでこの場に留まった。

その後も特に会話が弾むことなく淡々と食していた。こういう場でルカははしゃぐものかと邪推していたが、予想に反し終始とても大人しい態度だった。緊張していただけか将又はたまた躾の賜物か。

躾。身を美しく、と書くがはてさてどうして考えてみると疑問を呈さずにはいられない。

勿論、躾は『身』というより『人生』を美しくするものだと思うのだが、現代社会において幼児虐待や体罰すらも躾と捉えてしまいがちだ。むしろ躾という言葉は悪い印象を与えかねない。簡単に言えば意味を履き違えている。いや履き違えるというより自分のサイズよりも大きいサイズを履いているような、過大解釈ではなく拡大解釈ともとれるようなものだろうか。

それを躾と呼んでも良いものかあずかり知らないが、少なくともこの平和な日本の子供よりも戦争や内戦、紛争に身をやつす彼らの方が『性格的』な意味ではなく『人生』においてしっかりしている。少なくとも生に関して貪欲だ。他人に言われるまでもなく今なにをすべきか自分の担う役割を文字通り身をもって理解しているわけだ。それはやはり身を置く環境に寄るところだろう。

そうなると教えられるまでもなく人生の生き方ルールを把握し実行するだけなら親、教師は生きる上で必要ない存在に成り下がりかねないのだが、そう一概にも言い切れないし遺伝が全てではないというのは環境も全てではないという証左に他ならない。

こんな長ったらしく言及してきたが、俺が言いたいことはつまるところ究極的には躾は必要ないということだ。

生きることに必要なことは生きていく道中に知ればいいし、わざわざ他人(家族や兄弟も結局は他人だ)に一から十まで言われなくてはいけないほど生きる上で必要なものも多くあるまい。もしも生きることが複雑怪奇で難しいと感じているなら、そう感じる理由が存在し散在していて、それはこれまでの世界を築いてきた『大人』と呼べるものの所為せいに他ならない。そう、生きるだけなら簡単なのだ。枕に豊かにとか心地よくとか付けなければ。

そこが戦場で戦う彼らと平和な地で穏やかに暮らす我々との違いなのだと思う。銃弾と怒号が飛び交う戦場に身を置く彼らには生きるだけでギリギリで一秒後には死が迫る状況下でそれ以上を望む余裕が生まれる余地などありはしない。かえって我々は生きることは生きることのように当然で当たり前のように享受していて一秒後に死ぬなんて誰も想像しないで青信号ばかりに目がいって、戦地で戦う彼らのことなど目もくれず今日も平和だとか、人類皆兄弟だとかペチャクチャと心地よい上辺だけの薄っぺらい言葉を恥ずかしげもなくさえずっている。

話が大分逸れてしまった。

誤解を恐れずに言うなら、平和ボケは悪なのだ。平和は悪ではないが平和ボケは悪だ。今ある平和は犠牲となった人達の屍の上で存在していることは決して、努努ゆめゆめ忘れてはいけない。そう戒めながら生きていくべきなのだと思う。一個人の意見だが。他の人がどう考えるかは分からないし興味もない。俺一人が考えているだけで、他人に押し付けるつもりもなければ正しいと思ってもらうつもりもない。

さて上から目線の高説はこれくらいにして。

と洒落込もう。

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