第45話
初めに異常を感知したのは視覚だった。
何もない空間に赤黒い体液に染まった肉塊が一面に広がっている。既に原型はなくヒトなのか人なのか
次に嗅覚。
鉄臭い匂いが鼻に付き、思わず
皮肉と言っても皮と肉の区別が既につかないのだが。そう自嘲気味に笑えるのは、余裕があるのか、あるいは現実逃避する為に狂っていた振りをしている方が楽だと判断したのか。
次に触覚。
靴を隔てて感じる微かな温もり。
液体が染み込んできたのか、徐々にその温度が上がっている。
その温もりは確かに生きていた証明でもあった。
膝をつき、肉塊に触れる。
自らの手や制服が汚れるのは既に気にしなくなった。
冷たい。ビスクドールのように冷たい。柔らかいタンパク質を感じることもない。
今持っているパーツは………足、だろうか?
もしくは腕か。あるいは胴体。
どれがどの部位か判然としない。
味覚。
不自然にも自然に一面に広がった液体を口に含んだ。
不味い。マズイ。まずい。
脳が単純な事象しか処理しきれない。
今はただ電気信号の、脊髄反射で動いていた。
聴覚。
背後から水たまりを叩くような音がした。
周囲の音が一切無かっただけに、その音は、現在、実存しているこの場所がトンネルのような閉鎖的な空間であるか定かではないが、よく響いた。
足音が近づく。
手に持っている肉塊を離し、後ろを振り返った。
そこには俺がいた。
全く同じ背丈、同じ髪型、同じ服装、同じ………顔。
「オイオイ、なんて顔してやがんだ、オレは」
皮肉げに歪ませ、嘲笑するような声色だ。
十数年間、常に聞いてきた、最もよく知る声だ。
その問いに何と答えるべきか、答えが見つからない。
「ちっ、だんまりかよ。ツマンねぇな」
不機嫌そうな吐き捨てる。
表情がコロコロと変わる所は俺とは似て非なる箇所だ。
「………………おい」
「あんだよ?」
「この死体はなんだ?」
「お前なら知ってるだろ」
「知らねえよ」
「知ってんだろ」
「知らねえよ」
「知ってんだろ」
「…………………そう、だな」
多分、俺は、一目見たときには気がついていたんだ。この死体が何なのか。何を意味しているのか。
この空間に俺しかいない。必然的に俺に関する物事であり出来事だろう。ならばこの死体は俺が殺してきたもの。そう考えるのが一番自然で筋が通る。
だから、おそらく、この死体はきっと……、
「はあ、まったく、お前は、いやオレと言うべきか、まあ何でもいい。
取り敢えず、オレは何とも狂った性格をしてやがるぜ…………。
この状況に置いて、冷静さを欠かないのは。
流石オレだ、と言いたい所だが、ぶっちゃけ
オレ自身けっこー、引いてるからな」
お前が何考えてるかなんてどうでもいい。
そんな事よりも訊かなくてはいけない事がある。
「お前は………何なんだ?」
「何だ、とは?」
「お前は俺だと言ったが、単純な比喩での意味か、それとも文字通り、言葉通りの定義通りの意味での同一人物なのか…………どちらだ?」
「そうだなぁ………、まァ、後者だな」
「そうか」
「驚かねえんだな」
「まぁな」
「ったく、我ながら、つまんねえなぁ。
いや、視点を変えれば、これ以上面白い奴も
いないんだろうが…………、
そーゆう所にあの会長が目を付けたんだとしたら…………バケモノはあっちだな」
「さっきから、何言ってんだ…………」
「いや、何でもねえよ。
ていうか、分かっていることをわざわざ訊くな。本当は分かってんだろ?」
「何を?」
「たく、お前、そういう所がダメなんだよ。
分かっていて、知っていてもなお、目を逸らして傍観者ぶって。生きて行く上でそれが楽なのは分かるけどよ。それが正しいとは思ってもないにも関わらず、敢えて間違ったことをしている、といった感じか。むしろ、正しいことを間違った風にしか出来ない、と言った方が正解か」
「………お前に何がわかる」
「分かるさ。なにせ、お前はオレだからな。
そして、オレは、お前だ」
どんな理論を並べられるよりも、その一言は
この世の何よりも力があった。
けどな、とオレは一呼吸おいて。
「お前はお前なんだよ」
その言葉で、世界が変わった。
一面血だまりだった景色が一変し、視界が開けた。
「お前はオレで、オレはお前だけど、お前はお前なんだよ。今、何に悩んでウジウジしてるか知ってるが、知らねえけど、どんなに努力したって、どんなに変化に準じようとしたって、お前はお前でしかねえんだ。周囲が、環境が、取り巻く人間が変わったって、お前は変われはしないんだよ!
確かに、お前の周りには変な奴らしかいねえよ。妹だって、姉だって、先輩だって、クラスメイトだって、恩人だって、会長だって、居候だって、全員漏れなく変人だ!
オレが保障してやる、漏れ無く、だ!」
家族に、兄妹に、先輩に、誰に言われるよりも、生まれてから苦楽を共にしてきたからこそ、その言葉は重く響いた。
そして、何より、眩しかった。
コイツは、俺だ、と言ったけれど、確かに、粗暴で粗野で荒々しいが、それでも気高く美しく生きていた。少なくとも、俺よりも。
だから、眩しかった。
俺にはこんな生き方は絶対に出来ない。
それ程までに、道を踏み外している。
「お前は、確かに性格が悪いかもしれない。
いや、終わるまでもなく終わり尽くしていると言ってもいい。けどな!それがお前なんだよ!勝手に周囲に期待してんじゃねぇよ!
誰かがお前を変えてくれるとか思い上がってんじゃねぇ!
何に悩んでいるか、あえて知らないふりをしてやるが、そんな事はどうでもいいんだよ!
今更最悪な性格を変えられるとか思ってんじゃねぇ!
多少、常識外れな現象があったから何だ!
そんな些細な事でブレんな!
それがどうしたと鼻で笑ってやれ!
クズならクズらしく生きろ!」
静寂があった。一刹那、あるいは一時間が過ぎただろうか。
「………は、効いたな」
乾いた笑みがこぼれた。
なんだ、案外捨てたもんじゃねぇな。
勝手に、世界を、人生を諦めていたけれど、こんな俺の為に怒ってくれる奴がいてくれたんだ。口には絶対出さないけれど、正直、救われた。
「そもそも、オレが出てきたっつーのが異常なんだが………、その顔を見る限り、もう大丈夫そうだな」
「ああ」
腹は括れた。思考回路は明瞭で、視界は定まった。もはや、考えるべきことは無い。
「そうかい。………それじゃあ、オレはそろそろ行くぜ」
「……ああ、ちょっと待ってくれ」
「何だよ、オレがいなくなるのが寂しいのか?」
オレは俺に似つかわしくもない、楽しげな笑顔を浮かべた。
「もしかして、あの時出てきてくれたのは、お前か?」
「あの時って?」
「言わなくても分かるだろ。…………お前は俺なんだから」
オレは、クスッと笑いながら答えた。
「そう、だな。ああ、そうだ。流石に女の子の前でかっこ悪りぃとこ見せられねえだろ」
「そうか」
「じゃあ、今度こそ行くぜ」
「ああ」
「あ、その前に一言」
「?」
「てめえのその最悪な性格、嫌いじゃねえよ」
振り返らず背を向けたまま、そう付け加えた。表情は窺い知れないが、声色には邪険さは感じ得なかった。
「じゃあな、俺」
「またな、オレ」
オレは俺から背をむけ、そのまま歩み続ける。そして、瞬きをしたその瞬間、オレの姿は消え失せていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます