第35話

格好良い恩人に見送られ保健室を後にした。

不思議と気分は軽く、だがその軽さは

無駄な物が無くなった心地良さではなく、

むしろ大切な物を何処かに落として来たような、それ故の身軽さ。文字通り、腑抜けと言っても良い。しかしその大切な物が何だったか、記憶の中でぼんやりと薄く靄がかっていて思い出せない。治癒能力は内面的な部分は

修復出来ないのだろうか。

どこへ向かうでなく、ただ一人廊下を歩いている。何かしなければいけないのは思い出せる。いや、忘れられなかった。具体的な事は

判明しないが。

取り敢えず荷物を取りに行くため教室へ向かうことにした。

帰巣本能、とでも言うのか。一部分とは言え

記憶が飛んでいても教室までの道のりは覚えていた。

酒を呑み過ぎた酔っ払いでも、呑んでいる途中の記憶は無くとも自力で家に帰れるという話を聞くがアルコールが脳に及ぼす影響はあくまでも新たにインプットする機能を麻痺するだけであって、日常的に習慣になっている事に於いてはアルコールによる影響は殆ど受けないためだそうだ。

ただ飲み過ぎると急性アルコール中毒になり

命を落としかねないので程々にしておこう。

お兄さんとの約束だよ!

ということで無事に教室に着いた。

放課後ということもあって既に教室には人が

居ないと思っていたが、それは思い違いだった。見知らぬ女生徒が俺の机の上に座っていた。その女生徒は俺の存在に気づくと座っている机から下り、近づいて来た。

「ようやく来た〜。どんだけ待たせんの?」

溜息をつき挑発的な態度をとる。

…最近変な女ばっかに絡まれてる気がする。

「……誰だ」

出来るだけ隙を見せないよう、臨戦態勢をとり警戒をする。

その女生徒は図書館にいたらさぞかし絵になりそうな大人しい外見からは考えられないような口調だったが、それは俺の偏見か。

それとも……。

「たかが軽く殴っただけで、どんだけ寝てんの?」

慇懃無礼とでも言うのか、袒裼裸裎と言うのか、とにかく失礼な態度だった。

俺自身、上下関係とか気にするタイプではないが初対面でこの態度は少しばかり癪に触った。目の前の女子の真意を探ろうと黙っていると、不機嫌そうに睨まれた。

「あんた、何見てんの?キモいんですけど」

……このアマ、調子乗りやがって。

ここで退いてやっても良いんだが、ここまで

言われて言い返さないのも俺のちんけなプライドが許さない。

「誰もお前の事なんて見てねえよ。

図に乗んな、自意識過剰女が」

ついでにこう付け加えとこう。

あまり強い言葉を使うなよ、弱く見えるぞ、と。

「は、はあ?誰が自意識過剰女よ!」

「お前の事だよ、この場に他の人間がいるの

か?そう見えるんだとすれば早急に眼科に受診、若しくは神社で祓ってもらえ。

俺はな、お前みたいな底の浅そうな頭の軽い女が一番嫌いなんだよ」

たかだか、女子相手にらしくもなく熱くなりすぎた。

女子相手にここまで言い返してしまった事に

若干の罪悪感を感じていると、目の前の女子は目を赤くして、涙を浮かべていた。

「べ、別に……っそこまで…言わなくたって……良いじゃない……!」

「お、おい。泣く事じゃないだろ」

「う、うるさい!全部あんたがわるいんだか

ら!」

なぜか理不尽に罪をなすりつけられた気がしないでもないが、泣き止んでもらわないと、

俺を待っていた理由も聞き出すことが出来ない。

「分かった分かった。俺が全面的に悪かった、悪かったです。どうしたら許していただけるのでしょうか?」

某式神童女にも負けないレベルの棒読みだ。

我ながらこの言い方で許されるとは一ミリも

思わないが。

「……土下座して」

「…………はあ?」

いまいち意味が分からない。

いや、意味が分からないのではなく意図が読めない。

「土下座してって言ったの!」

「いや、それは聞こえたけど……。

そんだけで良いの?」

土下座程度で許されるなら幾らでもしよう。なんなら頭を踏まれながらでも余裕で出来る。

というわけで、しっかり額を床につけ許しを乞うた。

「俺が悪かったです。どうか許して下さい」

「……もっと心を込めて」

「ごめんなさい!」

俺の誠心誠意の渾身の土下座に、慄くかと思いきや、ぐりぐりと頭を踏んできた。しっかりシューズは脱いである。

……こいつ、ぜってー嘘泣きだったろ。

先程、頭を踏まれながらでも余裕と言ったが

かなりやばい。

何がやばいかって、新しい扉を開きそうでやばい。

何分経過したか分からないが、頭に感触が無くなるまで土下座し続けた。一頻り俺の頭を踏み満足したのか、既に目に涙は浮かんでいない。潤いもなく乾き、渇ききったその見た目とは相反する目付きの悪い瞳を向ける。

「話を戻すわよ。

あんたには来てほしい所があるのよ」

「……来てほしいところ?」

「ええ。場所は別棟二階にある、元文芸部の

部室。今は誰も使っていない、ただの空き部屋。そこに来て」

「……断る、と言ったら?」

「別に。まあ、理由を聞けばあんたは絶対に断れないでしょうよ。んじゃあ、用件を。

……ええっと、誰だっけ?あの小さい子

ルカ?って言ったっけ?

それとあんたと同じクラスの……。

ああ、そうそう。確か、紅とかいった女。

そいつらが待ってるよん」

その言葉を聞き、ずしり、と身体に重みを感じた。先程まで無くしていた物がようやっと戻って来た感覚。……アホか、俺は。

こんな事を忘れていたなんて。

俺が殴られた時点で、こういう事態が起こると想定できなかったのか。

これはある種最も危惧すべき事態だ。

この学校には能力者がいる。

その特質性を知らない者ならば、ルカの存在を俺の戯言の通りに信じるかもしれないが、

その存在を知っている、或いはその存在そのものにとってみれば?

少し頭を使えば能力者絡みだと、疑いを持つかもしれない。どうしてルカを拉致するかは判明しないが。

ただそこで一つ疑問が浮かぶ。

仮にそこまで辿り着いたとして……。

ーー行動に出るにはあまりにも早すぎる。

この学校にルカを連れて来て、俺が襲われたのは、全て午前中の事なので大体三〜四時間ぐらいか。しかし殆どが授業時間で潰れるため、実質的な活動時間は休み時間のみ。

俺を殴り、紅とルカを連れ去った。

ただ、紅とルカを連れ去ったのはいつかは分からないが。午後でも充分に時間はあるだろう。

簡潔にまとめたこの一連の流れはどう考えても複数犯だろう。

それもこの、学校という人目が多すぎる空間の中で拉致するなんて、常識的に考えても

皆目見当もつかない。

……常識で考えるなら、の話だが。

それにこの事は他学年に伝わっているとは考えにくい。もしも仮に伝わっていたとしたら何人か様子を見に来てもおかしくない。

だがそれは見受けられなかった。

教室を出る際ちらりとだが俺が見た限りでは他学年の生徒は居なかったと思う。

ならばこの犯行は同学年、つまり一年生が

起こしたとみて良いだろう。

……ただ、あの先輩じゃないが黒幕がいないとは限らないし、その黒幕は上級生の可能性だってある。

しかし今回の事に限ってみれば、黒幕云々は

保留にしておいても大丈夫だろう。

一先ずはあの二人の救出を最優先に考えよう。ルカはともかく、紅を巻き込んでしまったのは心苦しいばかりではあるが、それは助けてから幾らでも償い、贖おう。

そもそも俺がルカから目を離さなければ、

こんな事態にはなり得なかったのに。

徹頭徹尾俺の失態だ。

「それじゃあ、先に戻ってるわ」

どこに?と聞こうとしたが、やめた。

それは既に分かりきっていることだ。

名も知らぬ女子は、そう言ったものの一歩も動こうとしない様子を見て首を傾げる。

直後、目の前で急に眠ったかのように意識を失い、無防備のまま床に倒れ込みそうになった。俺はそれを慌てて受け止め、床との衝突を防ぐ。受け止める際に感じた柔らかい感触など気にする余裕もない。

俺の腕の中にいる女子は、どうやら気を失ってるようだ。このまま教室に放置するわけにもいかず、とりあえず先程までいた保健室に

連れて行くことにした。

四階の教室から一階の保健室まで、一人の女子を運ぶのは中々重労働だった。

本来なら女子のことを重いと言ってはいけないだろうが、お互い様ということで。

……まったく、俺の身にもなってほしいものだ。

他にも行かなくてはいけない場所があるため、可及的速やかに保健室に運んだ。

「なんだ?もう困ったことでもあったのか?」

「いえ、ちょっと教室に貧血で倒れていた女子がいたので……」

「放課後にか?なんだか不自然な話だな」

うっ、勘が鋭い。

「ていうか、こいつお前を殴ったやつじゃねえのか?」

「あ、そうなんですか?」

「ああ。ってか意外と軽いな」

「? 何がですか?」

「いや、お前を殴ったやつだから少なからず

怨みでも持ってんじゃねえのか、と思ったんだが」

「貴女の言葉ではないですけど、この女子と

話していて違和感があったんですよね」

不自然だった、と言っても良いが

多分この人の言う通り……

ーーーー操られている。

根拠は二つ。と言っても証拠能力としてはあまりにも曖昧で推測の域を出ないのだが。

その一つ目は先述の通りに外見と口調の不一致。これは推測どころか邪推だ。大人しそうな外見の持ち主が砕けた、いっそ無礼な態度

を持ち合わせていないなんて、そんな事実はどこにもないわけで。故にこの根拠は殆どあってないような物だ。

そして二つ目。これは一つ目と比べれば、

多少マシな根拠だと思う。

一つ目と重なる部分もあるのだが、先に行く、という発言の後での気絶。

これはあまりにも不自然だ。お互いに無遠慮な会話を交わしていたにも関わらず、直後に

気を失うなんてことがあるのだろうか。

勿論、無いとは言い切れない。

だが、そんな薄い確率を信じほど夢見がちでもないし現実を知らないわけでもない。

ならその二つには因果関係があるとみて差し支えないだろう。

そこから考察するに、やはり能力者なのだろうか。それも人の意識を乗っ取る系の能力。

憑依とかマインドコントロールといった類。

だが、厄介だぞ。

相手の能力の発動条件、解除条件、範囲、効果が分からないまま対峙した場合、最悪俺が乗っ取られる可能性もある。

それが分かっていてもそれでも行かない理由にはならない。

「おい、そんでこの女子はどうすんだ?」

ぶっきらぼうな声が投げかけられた。

お陰で思考の渦から抜け出すことができた。

「あ、ああ。その、保健室で寝かせておいて

くれませんか?」

「まあ別に良いけどよ。 外傷はないのか?」

「ありませんよ。能力使いたいだけなんじゃないですか?」

「………はっはー、バレたか」

舌をぺろっと出した。その陽気な声とは裏腹に一瞬だが表情が暗くなった気がする。

だが俺の思い違いか、すぐにいつも通りの

勝気な表情になった。

それでも、返答までに空いたその僅かな間は

取り消せない。

……いかんいかん、今は他の事を考える余裕なんてない。

「つーかよ、せっかく別れ際にカッコいいセリフを言ったのに台無しじゃねぇか」

「それは勘弁して下さいよ。

こっちだって予期せぬ事態だったんだから」

「そうかよ」

そう言い、不機嫌そうに頬を膨らませる。

その様子を見て年齢よりも幼く感じた。

カッコいいのに可愛いとか最強かよ。

うっかり惚れるレベル。

「それじゃあ、お願いします」

背負っていた女子をベッドに寝かせ、

軽く一礼して保健室を後にする。

「おうよ。二度目は言わねえからな」

「まだ引きずってるんですか?

……分かってますよ」

この時の発言を俺は激しく後悔する事になる。俺は何にも分かってはなかった。彼女の事も、あの子の事も。会って間もないが、頼りになるこの人の事も。

それに気づくのはまだ先の事だ。

そろそろあの場所に向かうとしよう。

その前に俺はこの人の言葉に則って、

「今日は色々助かりました。

生きていれば……、また会いましょう」

そう言った。

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