第13話 ヒト雫

 山から下りると、目の前に小さな小屋が立っている。小道はその小屋の入り口へと続いている。私は導かれるままに、その小屋の入り口へとたどり着く。

「すいません」

 戸を叩いて中の様子を窺うが、返事がない。悪いかな、と思ったが、私は取っ手に手をかけた。どうやら鍵が閉まっているようだ。取っ手の下に鍵穴が開いている。私は旅行鞄のポケットから龍のキーホルダーを取り出した。どうしてか分からないけど、その鍵で開くような気がした。鍵は抵抗なく穴へと入る。カチリという音がした瞬間、足先から鳥肌が駆け抜けた。

 もう一度戸口を叩く。

「すいません」

「おや、久しぶりな声が聞こえるね」

 しわがれた聞き覚えのある声が小屋の中から聞こえる。

「入っておいで。準備はできている」

 戸を開ける時、一瞬異様な感覚が体を抜ける。聞き覚えのある声はおばあちゃんのものではなく、あの老婆のものだ。

「何年ぶりかね、お前さんに会うのは」

「どうして、ここに?」

「まあ座りなさいよ」

 あの世界で、花畑の先にあった小屋にそっくりだ。

「どうして?」

「言っておくが、私が来たのではない。来たのはお前だ」

「嘘」

「昔から門には世界を越える力が宿っていた。あの鳥居だってそう。鉄棒だって同じ、少し力を加えれば、二つの世界をつなげることができる」

「でもここはおばあちゃんの家のはずよ」

「そう。だが、今は繋がっている。お前がそうさせたんだ」

「なんで?」

「お前が望んだからだ……よほど気に入らなかったのかね、お前はまだ納得ができていないようで」

 私は唇を噛んだ。結局最後無理やり戻されてしまって、何も分かっていなかった。

「最初を、教えて欲しいの」

「始まりなんてない」

「そんなの納得できない」

「それをそう理解すればいいだけのこと」

「だって、最初はなかったんでしょ、仮面たちは」

「原始はそう」

「だからどこかで」

「原始、地球に人は存在していなかった。だが今はいる。始まりはいつ?」

 突然のことに私は首をひねった。

「猿から進化したんでしょ」

「猿は猿。人は人。全く別のものさ」

「うー」

「卵と鶏、どちらが先? 答えは闇の中。お前はこちらにいるべき存在ではない。あまり長くこちらに入ると、こんどは山で遭難したことになってしまう」

 老婆は立ち上がると、表口を開けた。

「ここから出て行けば目の前はお前のおばあさんの家だ。そしてここはただの物置になる」

「うー」

「さあ立つんだ」

 私は立ち上がりながら、老婆の顔をうかがった。

「また裏から、鳥居を通ってくればここに来られる?」

「それは分からない。いつどこで繋がるのかなんて、誰にも分からない」

 出口に立ち後ろを振り返る。老婆は小さく、とても寂しそうに見えた。

「またね、おばあちゃん!」

「言ってくれるねぇ」

 そう言いながら、老婆は私の横に立つ。

「人は寂しい生き物だ。一人をひどく恐れる。孤独はとてつもない恐怖だ。もしかしたら始まりから、仮面が存在していたのかもしれないね」

 え、と私が思ったときには、私は老婆に背中を押されてその小屋から外に出ていた。眩しい光が一瞬通り過ぎたかと思うと、辺りは真っ暗だった。驚いて辺りを見渡すと、どうやらもう夜のようだ。振り返り物置を見ると、もう何年も使っていないかのような汚さだ。私は肩を竦めて、前を見ると、すぐ横にある大きな家の正面へと急いでまわる。

 懐かしい、見覚えのある家だ。

 私は呼び鈴を鳴らした。ピンポンという普通の呼び鈴が懐かしくて、私はそれだけで嬉しくなる。

「はーい」

 今度こそ聞き覚えのあるおばあちゃんの声だった。

「こんばんはー」

 私が返事をすると玄関ががらっと開けられた。驚いた表情のおばあちゃんが立っていて、ぽんと頭を撫でられた。

「あらまあ。ゆっちゃんが道の途中であったっていて、遅いからどうしたのかしらって思ってたらこの子は」

「ごめんなさい」

「もう全身泥だらけじゃない。どこで遊んでたのよ」

 言われて私は自分の体を見た。いつの間にか体中に泥がついている。お気に入りの服にも、サンダルにも、鞄にも。

「まだまだ子供ねぇ」

「ごめんなさいー」

「はいはい。さあ、とりあえずお風呂に入ってきな。ごはんはもうできてるから」

「はーい」

 私はサンダルを脱ぎ、足の裏を軽く拭くと、鞄を持ったままお風呂へ向かった。勝手知ったるおばあちゃんの家だ。すぐにお風呂にたどり着くと、私は鞄を置き、中から着替えを用意してから、汚れた服を脱いだ。

「ねえねえ、あの子もしかして川で遊んでたんじゃない?」

「さあ、山かも」

 何て声がはっきりと聞こえてくる。それさえも懐かしかった。

 風呂場で私はシャワーを使い泥を落とし、それから体と頭を洗った。ほとんど真水に近い冷たい水は、私の体をきゅぅと引き締める。

「ふぅ」

 と一息ついて私は湯船に使った。

 水面がゆらゆらと揺れている。そこに映った自分の顔。こうやって見ると、とてもよく似た顔をしている。私は口角をあげるようにして笑うと、今度は上を向いた。天井から水滴が落ちてくる。

 ぽっと私の額にあたり、水滴は辺りへと散らばった。

 そのまま重心をずらすようにして、私は頭まで全部湯船につかった。目を開けて見える、ゆらゆらと揺れた外の世界。

 ざぱんと音を立てるようにして、私は一気に起き上がる。体中から垂れる水滴を、私は猫のように振り払った。

 それからもう一度湯船につかり、天井を見上げる。


 ヒトシズク。

「うん。もう大丈夫」

「大丈夫」

「そうだよね」

「そうだよ」

 何万ものヒトシズクが落ちてきた。


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ヒトシズク なつ @Natuaik

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